第11話

 廊下を歩いていたら、前方にある職員室の戸が開いた。中から出てきたのは、春子だった。

「失礼しましたー……」

 あからさまに気落ちした声で告げ、戸を閉める。そうしてノブに手をかけたままうつむいて、特大のため息なんかついていたので

「どうした?」

 後ろに立って声を掛けると、「うわ!」と声を上げて春子がこちらを振り向いた。

「智か。びっくりしたあ」

「なに、お説教でも食らってたん?」

「うん、まあ……」

 春子は力なく笑って、自分の前髪をいじると

「ちょっとこの髪色はさすがにどうか、と。島田先生に」

「そりゃそうだろうな」

 いくらうちの高校がゆるいと言っても、さすがにここまでの金髪は見過ごされなかったらしい。むしろ見過ごされなかったことにほっとする。

 肩を落としたまま廊下を歩き出した春子の隣に、俺も並んで歩き出すと

「だいぶ怒られたのか?」

「まあ、なかなか」

 島田先生なら相当きつかったのだろう。春子はちょっと涙目になっている。

「このままだと内申にも響くぞー、知らんぞーって」

「ほんとそうだよ。春子、大学行きたいっつってなかった?」

「ううん、短大」

「短大でもいっしょだよ。頑張れば推薦とかもらえるかもしんないのに。こんなことしてたら絶対無理になるぞ」

「……島田先生にも同じこと言われた」

 いじけたようにうつむいて、ぼそりと呟く春子に

「じゃあいい機会じゃん。髪、黒に戻せば」

「やだ」

 それでもその返答はいつもどおり、はっきりしていた。俺はため息をつく。

「戻さないとまた島田先生に怒られるぞ。今度はもっと怒られるぞ」

「わかってる。でも仕方ない」

「……だから、仕方ないってなんだよ」

 春子はごまかすように笑って、なにも答えなかった。


 下駄箱で靴に履き替え、昇降口を出る。校門に続く坂道を下っていたところで、前方からジャージ姿の集団が坂道を上ってきた。それがバスケ部ではなかったことに、思わずほっとしてしまう。

「……なあ、春子さ」

「うん?」

「須藤さんとは今も仲良いの?」

 唐突な質問に、春子はきょとんとした目でこちらを見て

「へ? うん、仲良いよ?」

「でも最近、あんまいっしょにいなくない? 須藤さんと」

 あー、と春子はちょっと困ったように頬を掻きながら

「最近は私、桃ちゃんといっしょにいることが多いからなあ」

「……須藤さんと桃ちゃんって、仲悪いの?」

「え? いや、そんなことないと思うよ。仲良しってほどでもないけど。あんまりしゃべってるところ見ないし」

「……そっか」

「なに、すーちゃんがどうかしたの?」

「いやなんでも。ちょっと気になっただけ」

 首を振って、話題を打ち切る。そうして春子のほうを見れば、不思議そうな顔でこちらを見つめる彼女と目が合った。いっこうに彼女になじむ気配のない金髪は、今日も目に痛いほど眩しい。

 ――なんとも思わない、わけがない。

 須藤さんの言葉が、ふいに頭の奥でリフレインする。


「なあ春子」

「ん?」

 俺が足を止めると、春子もいっしょに立ち止まり、こちらを振り向いた。

「その髪さ、俺にも関係あるって言ってたよな」

 低い声でそっと尋ねれば、春子はちょっと警戒するような表情になった。

 うん、と慎重な声で相槌を打つ。

「まあ、あるといえばある、けど」

「じゃあ、俺がどうにかすればやめんの?」

「え」

「なあ、どうすりゃお前その髪やめてくれんの。黒に戻してくれんの。教えてくれれば俺そうするからさ、どうすりゃいいのか教えてよ」


 春子は困ったように俺の顔を見つめたまま、しばらく黙っていた。

 やがて、足下に視線を落とした彼女は、ゆるゆると首を横に振って

「いいよ。仕方ないんだもん。だって智、桃ちゃんのこと好きでしょ?」

「……そりゃ、まあ」

「それで桃ちゃんも、智のことが好きなんだから。だから、これでいいの。なにもしなくていいよ」

 春子の言葉の意味は、さっぱりわからなかった。

「……意味わかんねえ」

 途方に暮れた気分で、ぼそりと呟く。

 春子はやっぱり困ったように笑って、「わかんなくていいよ」と言った。

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