第3話

 村の水がいっこうに引かないまま、いつかすっかり夏になって、お寺のまわりはにわかににぎやかになりました。どこからやってきたのか、無数の人々が湖で水泳を楽しむようになったのです。

 三人の兄弟は水際に腰掛けてその様子をうれしそうに眺めていました。すると一人の青年がユラユラと泳いできて、大きくしぶきをあげて笑いました。

「君たち泳がないの」

 いかにも水の中はキリッと透き通って、涼しそうで、心地よさそうなのです。それでもなぜだか兄弟らは、泳ぎたい気分ではないのでした。

「君があがっておいで。お堂にはりんごもあるし、それとも握り飯をこさえてやろうか」

 すると青年は一瞬まじめな顔つきをして、それからやっぱり笑いました。

「なんだかそういう気分じゃないや。ぼく、もうこのまま魚になってもいいような気がしてるのさ」

 そうして何度も何度も八の字を描くみたいに水の中を行ったり来たりしてみせました。そのうちにどうやら深いところまで潜ってしまったようですっかり姿が見えなくなると、その日の夕方にはずっと向こうのほうで、青年の笑い声と、水面に背びれと尾びれとが交互に光るのが見えました。


 そのようにして人々は、夏が終わる頃にはみんな泳いでどこかへ行ってしまい、兄弟らはまた三人だけになりました。

 辺りには再び静寂が訪れ、いくつもの季節と、いくつもの昼と夜とが行き来し、あらゆるものが生まれては消え、生まれては消え、永い永い時間が過ぎ去りました。年月ではもう数えられません。億光年という果てしない時間です。その光の中で、三人の兄弟は不思議と退屈することもなく、何かに飢えることもなく、仲良くやっておりました。

「次に小舟が流れ着いたら、ぼく飛び乗ってみせようか」

 一郎か、二郎か、あるいは三郎だったか、そんなことを言ったりもしました。けれどももう、舟がやって来ることはありませんでした。

 いつしか湖は蓮の葉でいっぱいになり、水底に沈んだ村もすっかりおおい隠されてしまうと、三人はなにもかも忘れて平穏な気持ちに満たされました。もう、九九なんて必要ありませんでしたし、家のことや、嵐のことも、ここで何をしているのかさえ、とうに忘れていました。ただひとつ、最後まで気掛かりだったのはお母様のことです。

「ぼくはもう、お母様のことだけだよ。お母様がどうか元気で暮らしてくださるように」

 そしてついに、自分のこともわからなくなりました。

 一郎が、最期にもう一度だけ弟たちのことをチラッと思い出したとき、そこにはすでに二人の姿はありませんでした。かわりに、美しい二羽の小鳥が羽ばたいていたのです。一郎はおどろいてハッと息をのみましたが、すぐに安心して心を弾ませました。自分も、鳥に生まれ変わっていることに気付いたのです。


 三羽の鳥たちは、若々しく軽やかに羽ばたいて、お堂の外に出ました。そこにはもうあの大きな湖はなくなり、すっかり新しい時代が広がっていたのです。

 生まれてはじめて見る世界に目を細め、三羽はしばらくの間、杉の枝に腰掛けてピチピチ言葉を交わしていましたが、いちばん小さな鳥はやっぱり少し怖がって、ときどき思い出したように「おかぁ、おかぁ」と鳴きました。それでもいよいよ東の空が新しく染まるのを見ると、三羽の鳥は覚悟を決めて、それぞれの方角へと飛び立って行ったのです。

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渡り鳥 イネ @ine-bymyself

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