月光

第117話 星を駆けるよ

 入浴順を待っている間、ぼんやりとニュース番組を眺めていた。

 地方局らしい、地元偏重なニュース。世の中の大きな流れとは切り離され、どこか牧歌的な話題ばかりが取り上げられる。

 これはこれで悪くないなと思った矢先、凄惨な交通事故の話が始まったので適当に局を変えた。

 ……のだが、そこで急にリモコンを取り上げられる。

 暁火かと思い抗議の視線を頭上に向けると、大きなおっぱいがそこにあった。

「うわっ」

「ごめんね~、ちょっと見たいのがあって」

 おっぱいが喋った。

(いい匂いがする……)

 このシャンプーの香りは真彩だ。風呂から上がったらしい彼女は、ほかほかと湯気を立てたまま、旭の隣に腰掛けた。

 番組表を呼び出し、目当ての番組を探す真彩。あったあったと呟きながら、彼女はチャンネルを回す。

 人気バラエティ番組のUMA特集だ。

「珍しいですね」

 あまり見ないテーマだった。旭の言葉に、真彩はうんうんと頷いてみせる。

「昔はちょいちょいやってたんだよねえ。あの頃は良かったなあ」

「妙な話ですよね。居なくなったわけじゃないのに」

 居ないものを追い求めているのだから、むしろ時を経るごとにUMAは増えていくはずだ。実際、昔は毎年のように新たなUMAの特集が組まれていたのだから。

「いやあ、どうだろうね」

 だが、真彩はそうは思わないらしい。苦々しげに眉をひそめ、皮肉っぽい笑みを浮かべる。

「ネッシーなんかは、居なくなったようなもんだと思うよ」

 そうして彼女は、世界一有名な未確認生物の名前を挙げた。

「沢山の専門家が寄ってたかってフェイクを指摘して、遂には製作者が作りものであることを認めた……。まあ、それだけならよくある話なんだけどね」

「そうなんですか?」

「うん。UMA……に限らないけど、この手の話はね、嘘か本当かは、この際どうだっていいんだよ」

 根も葉もない作り話だって構わない。彼女はそう付け足した。

「大事なのは、実在感……『居るかもしれない』って思えるかどうか……それだけだよ」

 確かに、今時ネッシーの実在を信じている人間なんてほとんど居ないだろう。

「ネス湖のネッシーは作り話。そんな正しい知識ばかりが先行した結果、あの怪竜は居なくなったんだよ」

 それは、確かに。

 だからこそ、あの時触れられなかったのだし。

 豊かな知見に旭が感じ入っていると、真彩は好き勝手に語り始める。

「その点ツチノコは絶妙なんだよね」

「え?」

「実在感と面白味のバランスが絶妙なんだよねえ。大概のUMAって無難すぎるかトンチキすぎるか極端な話に振りがちなんだけどこれは絶妙。ほんとに居そうだし、居たら絶対に面白いし」

 急に話が変わったものだから、旭はついていけなかった。

「火を吐くまで行くとちょっとやりすぎかなって感じもあるけど、でももし本当に居るなら元になった話も絶対あるわけじゃん。火まではなくても吐いた毒で手が爛れて火傷みたいになったとかならあるかもしれないよね。相当に強い毒を持ってるとか、そうするとほら、食物連鎖の上位は数が少ないから滅多に見つからないって理屈にも繋がるしさ」

(凄いなこの人……)

 適当に相槌を打っていると、あれよあれよと話が進む。誰しも好きなものについては饒舌になるものだが、ここまでとは。

 とても理解できる内容ではなかったが、それでもこの熱量に揉まれる感覚は悪くない。

 旭は、そう思った。



 工房へと足を運んだのは、確固たる意志を持っての行動だった。

 気分良く鉄扉を開き、無骨な土間へ踏み込む。

 思えば、ずいぶんと長いこと鉄を打っていない。

 倉庫で名もなき刀を眺め、それを打った時のことに思いを馳せる。

 手にたくさんのマメを作り、時には火傷なんかもしながら、何度も何度も鉄を打った。

 無駄にした鋼も無数にある。

 正直、苦痛に感じたこともあった。やめたいなと思ったことも……なくはない。モノにすれば一生食べていけるだけのことはある、遊びでやるにはハードルが高すぎる行為だ。

 だが、それでも。

 あの時、真彩は確かに楽しんでいた。

 刀を打つのが、好きだった。

「どうしたの? こんな時間に」

 不意に声をかけられる。

「……未央」

 常識を遥かに凌ぐスキルを持ち、かつて真彩を絶望のどん底に陥れた張本人だ。

 ずっと苦手意識を抱いていた。

 顔も合わせたくないと思っていた。

 だが、今は。

 疑問符を浮かべたままの未央に、真彩は笑いかける。

「あたしも、またなんか作ろうかなって」

 眠たげな未央の顔が、ぱあっと明るく花開いた。

「そうなの!? じゃ、じゃあ、一緒にやらない!? まずはお鍋とか、ああでも姉妹刀とかも楽しいかも……えーっとえーっと……」

 真彩には多大なブランクもある。彼女から教わることも無数にあるだろう。

 だが、それでいい。

 また、楽しいあの日々が戻ってくるのなら。

 妹に教えを請うことなんて、恥ずかしくもなんともない。

 ひとしきり談笑してから、部屋に戻る。すでに爆睡している旭と、その寝顔を眺めるルディ。暁火はまだ入浴中とのことだ。

 真彩をちらと一瞥し、ルディは口を開く。

表情かおが変わったな」

「まあね」

 決して遅れを取る気はない。……この女にだけは。

 勉強机に向かい、引き出しの一番下を開く。大昔に封印したアイデアノートは、未だ健在だった。

 ぱらぱらと古い記述を眺めてから、白紙のページへ。ありとあらゆる知識を身につけた今、新たに思い描くものは。

 取り入れたい魔法陣に、組み込みたい術式。相乗効果と延べ面積、占有率を計算し、スタンダードサイズへ落とし込む。

 ……が、余白が少しだけ足りない。なにか削ぎ落とさなければ。

 少し考え、真彩は呟く。

「いや……」

 別にスタンダードである必要はない。

 どこかに出品したり、売りに出すわけでもないのだ。少しぐらい大きくても構わないだろう。

 定められた規格なんかよりも、作りたいものがある。

 なんなら、鞘まで用意してやってもいい。それもきっと、楽しいはずだ。

 まとまりなど存在しない。ああでもないこうでもないと考えながら、ガリガリとノートへ描き込んでいく。この設計図も、実際に作る段になったら七割書き換えられるのだろう。

 ページを真っ黒にしたところで、ふと思いつく。

 そういえば、まだこの刀の名前を決めていなかった。

 妖刀は名前が命。これを決めなければコンセプトもまとまらない。

 逆に言えば、名前を決めれば方向性も決まる、というわけだ。

 ……早くも行き詰まってしまった。

 くるりと椅子を回し、立ち上がる。

「飽きたか?」

 フンと鼻を鳴らすルディに、ベッと舌を出す。それから、爆睡している旭に視線を向けた。彼が居てくれたから、今、こうして――

「……ふふん」

 ひらめいた。

 この刀の名は朱明星あけのみょうじょうだ。

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