紅い稲妻
第111話 凪
カヤオの報告をまとめながら、光はコーヒーをぐいと飲み干した。
観察開始から一晩明かしてもなにも起きず、その不可解な性質ばかりが発覚していく。深まるばかりの謎をどう解き明かしたものか。考えをなんとかまとめようと、カフェインと糖分の混合物を脳に流し込む。
オブジェクトは明らかに完成している。にも関わらずなにも起きないということは、現地組の見立て通りなにかを呼び寄せるための目印なのだろう。
であれば、本命であるなにかの準備に手間取っているということか。
ならば、そのなにかとは一体なんなのか。
途中、謎の刺客は現れたが、妖人同盟との関与は不明。荒國の呟いたカグヤという名に覚えがあるらしく、現在フラッシュが個別調査中。
ほとんどなにもわかっていないが、しかし光は妖人同盟の仕業であると踏んでいた。
マガツとの一件以来、彼らに目立った動きがないからだ。
マガツが彼らの切り札であったことは、疑うべくもない。あれは国内でも指折りの特級呪物に匹敵する。あんなものを複数所有しているなら、とうの昔にこの国を滅ぼしているだろう。
恐らく、彼らは搦手を仕掛けてくる。なにか変わり種の手札を隠し持っていて、今はそれを切るために東奔西走しているのだろう。
と、不意に呼び鈴が鳴った。部屋に備え付けの、簡素なブザーだ。
「ちょっといいか? 話がしたい」
色の方から訪ねてくるのは、とても珍しいことだった。
迎え入れると、彼は早速本題を切り出す。
「旭達が出かけた理由、光は知ってるか?」
疑問の体をとっているが、彼は確信している。彼らの外出は怪異に関することであり、それには光も一枚噛んでいるのだと。
そうでなければ、こんなところに訊きに来ない。
いくら衰えたと言えど、これぐらい察してくれなければ困る。
「はい。もちろん、引率はつけていますよ」
「そうか」
わずかに安堵の色が差すも、まだ緊張は解けていない。
「そんなに心配ですか?」
「……まあな」
「やけに気にかけるじゃないですか」
からかうような光の言葉に、色は俯きながら返す。
「俺がここに逃げ帰ってきた時、辛抱たまらず雄飛さんに全部打ち明けた」
以前聞いた、彼が大敗を喫した戦いの話だ。そういえば、続きを聞いていなかった。
「まひるさんを守れなかったこと、全部投げ出して逃げたこと……あの人は、それを咎めなかった」
恨まれても、蔑まれても仕方がない。そう思っていた彼は、しかしその反応に心底驚いたのだろう。語る声は、震えていた。
「今でも信じられない。それどころか、俺に新しい居場所までくれたんだ。俺が生きていられるのは、あの人のおかげみたいなもんだろうよ」
別に掃儀屋は極道ではない。敵前逃亡や作戦失敗などが発覚したところで、即座に処罰が下されるわけではなかった。
だが、しかし。
彼が逃げ出したのは、目の前の恐ろしい敵からではない。四日色という男は、自らの双肩にかかった重大な使命に、耐えられなくなったのだ。
恐らく、戻ってきたところで戦えるような精神状態ではなかったのだろう。
そんな彼を救ったのは、上山一家の優しさだった。
「暁火ちゃんと旭、あの二人は……雄飛さんの、大切な子供達だ。それだけじゃない。こんな俺を、暖かく迎え入れてくれた。事情を知らないとはいえ……見るからに落ちぶれていた俺に、明るく声をかけてくれたんだ」
強い決意を込め、彼は語る。
「俺は二人の手本になれるほど立派な人間じゃないが……せめて、あいつらが立派な大人になれるまで見守っていてやりたいんだ」
彼の想いは理解した。そのうえで、問わねばならないことがある。
「それで、どうするんですか?」
どんな御高説を垂れてみせたところで、行動に移さなければ意味がない。それが大人というものだ。
色がこう言ったのは、それ故のことだろう。
「あいつらが戦っているのなら……俺も逃げてばかりじゃ居られない」
遂に、彼は踏み出したのだ。
「原隊復帰、ということですか?」
光の問いに、彼は自嘲気味に答える。
「いいや、急にそれは手続きに困るだろう。ブランクも長過ぎる。もはや素人同然だ」
それは確かにそうだ。彼の劣化ぶりについては、つい先日に嫌というほど思い知らされている。
「それに、この戦いが終わったら、元の生活に戻るしな……」
あくまで旭達の保護者という立場を崩すつもりはないらしい。彼は変わってしまったが、しかしそれが悪い事のようには思えなかった。
旭の安否は、光も最大限気にかけている。協力しない理由はない。
「わかりました。僕らにできることがあれば、なんでも言ってください」
「恩に着る」
色は深々と頭を下げる。
こんな彼の姿を、光はこれまで見たことがなかった。
四日色という人間について、光はそれなりに知っているつもりでいた。
それなりに長い時間を共にしてきたからだ。期間で言えば一年と少しだが、昼夜を問わず行われる作戦行動を通して、寝食や日常すらも共にしてきた。
仕事へのスタンスから、プライベートの過ごし方。その日目についたニュースから人生観の一端まで、多くの話を聞いてきた。
そんな光が、彼のこの言動を、想像することすらできなかったのだ。
もともとこうだったのか、それとも変わってしまったのか。その実態はわからない。
不快感はなかった。
それよりも。
彼の新たな一面を知れたことが、なんとなく嬉しい。そう思ってから、少し気持ち悪いなと感じて心の奥に留めた。
「手間を取らせた。話はこれで終わりだ」
「いえいえ。いつでも来てください」
最後に新たなお茶菓子を置いて、色は部屋を出る。甘さマシマシ白餡モナカ。
行き詰まったら糖分を補給しろ、ということか。
濃く煮出した緑茶をすすり、モナカを口にする。喉の奥に染みる強烈な甘さが脳を刺激する。
「……ん、荒國……?」
思い出した。
荒國は、ヒトヨロイの開発スタッフに名を連ねていた科学者だ。
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