第110話 二人の過去

 傲岸不遜なこの女は、武酉 華紅弥たけとり かぐやと言うらしい。

 雷光とは旧知の仲らしいが、あまり良く思われていないようだ。それ以上を詮索するような興味を、お菊は持ち合わせていない。

「のうアキラ。あたくしの椅子は、まだできないのかい?」

 今日も今日とてウザ絡み。なぜだか、この女は雷光のことをアキラと呼ぶ。紛らわしいが、もう慣れた。

「は? 座りたかったら自分で買ってこいよ」

 雷光は相変わらずの塩対応だ。

「レディの椅子もまともに用意できないとは……ずいぶんと情けない男に堕ちたものねえ」

 口元を隠し、上品な仕草で笑う。本気で咎めるような口調でないあたり、これも彼女なりのコミュニケーションなのだろう。

 しかし雷光はキレた。

「んだと!? テメエ誰が情けないっつった!? もっぺん言ってみろ!!」

 器の小ささを露呈した雷光に辟易したのか、華紅弥はほんの小さな声で呟く。

「冗談の通じない奴め……昔からこすいところだけは変わらんのう」

 もしこれが雷光に聞かれていたら、日に油を注ぐ結果になっただろう。が、幸いなことにそうはならなかった。彼は機嫌が悪いと視野が狭くなるきらいがある。

「冗談に決まっておろう。あたくしが情けないと思う男を相手に体を許すわけもあるまいに」

「は?」

 今なんて?

 硬直したお菊に目もくれず、二人は勝手に話を進める。

「どうだかな。昔は結構遊んでたらしいじゃねえか」

「妬くな妬くな。男の嫉妬は可愛くないぞ」

「言ってろ。テメエの相手はいちいち疲れる」

 お互いに突き放しあうような会話だが、それ故に心の距離は近い。近くに居るからこそ、突き放すことができるのだ。

(こいつら交尾したんだ……)

 お菊の生涯は独り身のまま幕を閉じたため、男女の機微にはとても疎い。だがしかし、この二人がただならぬ関係であることは……直接的な表現を用いられたこともあり、はっきりとわかった。

 雷光のシモ事情と言えば、必然的に連想されるものがある。彼の息子であるコウガと、その母親の存在だ。

 こんな男が複数人の女性と関係を持てるとは思えない。少しぐらい乱暴な男の方がモテるとも言うが、それにだって限度がある。人間的な魅力が皆無だとは言わないが、しかし彼に異性としての魅力を感じるかと言われれば、首を横に振らざるを得ない。

 そうであるなら、なんの因果か彼と肉体関係を持っていたこの女は、コウガの母親である可能性が高いのではないか。お菊は訝しんだ。

「それで、まだ準備はできないのか?」

 かろうじて苛立ちを抑え、雷光が問う。

 マガツという切り札を失った今、妖人同盟は華紅弥の手を借りるしかない。故に今は、こうして彼女の準備が整うのを待っているのだ。

 雷光の催促に、華紅弥は余裕の言葉を返す。

「まあそう焦るでないよ。連絡によれば、今宵にも調整は終わる。それから打ち上げて……到着まで丸一日、といったところか」

「明日の夜、か。フッフッフ……クソガキめ、目にもの見せてやるぜ」

 つがいの女に野望の面倒を見てもらう、成人男性。

 暇を持て余していたお菊は、現代の知識にも長けている。故に、今の雷光をどう形容するのにちょうどいい単語も知っている。

(まるでヒモだね……)

 それにしても、なぜ華紅弥はここまでしてやるのだろうか。彼が神に成り代わったところで、取り巻きが得られるメリットはほとんどないにも関わらず、彼女は甲斐甲斐しく雷光の世話を焼いている。

 なぜ、そこまで?

「アキラぁ、あまり調子に乗るでないぞ。いつ足元を掬われるか、わかったものではないからな」

「言ってろ。俺はそう簡単に騙されたりはしねえよ」

「フクク、弱い犬ほどなんとやら……」

 華紅弥は雷光に生暖かい視線を向ける。どこか嘲るようでいて、確かな熱を孕んだ視線だ。そこに込められた感情に、お菊は思いを馳せる。

「変わらんのう……」

 見下すような、それでいてどこか甘えるような声色。

「お前はどうなんだ。あれから少しは変わったのか」

「さあ、どんなものか……見定めてくれぬか?」

 メス声だこれ。

 ダラダラと関係が続いているのだろうか。粘着質な生々しさを感じ、お菊はそっと距離を取る。これ以上あの二人を見ているのは健康に悪い。

 特に目的もなく、館の中をウロウロする。

 また暇に逆戻りしてしまった。ただ長いだけの時間を浪費するのは、苦痛だ。

(コウガにちょっかい出しに行くか……)

 そう思い立って土蔵に赴くも、そこはすでにもぬけの殻。館をぐるっと一周するが、しかしどこにもコウガの姿はない。

 また雷光にこき使われているのだろうか。再び大広間に戻ると、ちょうど華紅弥が出ていったらしく、疲れた様子の雷光が机に腰掛けていた。

「ちょっと行儀が悪いんじゃない?」

「あ? 誰も見てなきゃいいんだよ……」

 言いながら、彼は立ち上がる。誰も見ていなければ問題はないが、観測者が居るのならば話は別なのだろう。妙なところで律儀なのだ。

「ねえ、コウガ知らない?」

「あいつなら能売川だ。クソガキの注意がカグヤに向いてる間に、こっちはこっちで仕掛けるぞ」

「仕掛けるって? なにを?」

 マガツを失った以上、今の雷光に切れる手札はない。だからこうして華紅弥を頼っているのではないか。

 しかしこの男は、いけしゃあしゃあとこう言った。

「リサイクルだよリサイクル。エコだろ?」

 主語を欠いた説明では納得することなどできない。それにこの男がコウガを重んじているとは思えなかった。

「私はコウガを見に行ってくるよ」

「なんだ急に」

 ――暇だから、と言おうとして、コウガの顔が脳裏を過る。彼を慮る相手が一人も居ないというのは、あまりにも可哀想だ。

「心配だからね」

 雷光は眉をひそめ、横暴な親の顔を覗かせる。

「ほっとけよあんなの。あんま甘やかされても困る」

 毅然とした、強い語気。『他人の家庭の事情に口を挟むな』とでも言いたげだ。お菊としても、彼らの教育方針に興味はない。コウガの将来について、なんら責任を取る気もないし。

 だが、お菊は退かなかった。

「いいでしょ。どうせここに居てもやることないんだし」

 あれこれ理屈を重ねたところで……結局のところ、暇つぶしであることに間違いない。そもそも、最初にコウガを探していたのも暇つぶしのためだ。

 強情なお菊に、雷光はようやく観念する。

「チッ、好きにしろ」

「好きにしま~す」

 ひらひらと手を振りながら、お菊は館を後にした。

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