第72話 ミナモトアキラ
ルディの問いに、老狼はほんの少しだけ考えてから頷いた。
「……そうか。今はそのように名乗っているのか」
まるで昔はそうでなかったかのような言い方に、旭は疑問符を浮かべる。
「昔は違ったんですか?」
「その通りだ。あやつの
それだけでもかなりの衝撃だったが、しかし続く話はそれ以上に波乱を生む。
「まあ、名前などどうでもいいだろう。麓の役人であったあやつは、この山に巣食う雷神を退治しにやってきた」
滔々と語る老狼。そこまで聞いたルディが、なにかに気づいたように指を鳴らす。
「なるほど。雷神はつまり
ルディの言葉に老狼は頷いた。百足は百人の兵隊で、大蜘蛛は雷神。戦場原の伝説が、徐々にその真の姿を露わにする。
「あやつは雷神を討つにあたり、百人の兵隊を引き連れ、その上で土地神……我の力を借りたいと言ったのだ」
「それで、力を貸してあげたんですね。でも……」
言いながら、暁火は俯いた。そう。結果として老狼は力に呑まれ、百人の兵隊に封じ込まれたのだ。
「雷神との戦いは苛烈を極めた。我も久方ぶりに本気を出したものだ」
「それで、お前は雷光にどうされたんだ」
結論を急ぐルディ。しかし老狼はペースを崩さない。
「まあ聞け。物事には順序というものがある」
それはまるで、語りたがりの老人のようでもあった。
「我は最後、雷神を滅するために己の力を全て奮った。雷神と心中するつもりだった」
老狼の切れ長の瞳が、更に鋭く細められる。それはまるで、どこか遠くを眺めるように。
「だが、あやつは雷神の力を奪い取ったのだ」
旭は言葉を失った。
雷神の力。つまり、神の位を簒奪したのだ。旭の街でやろうとしていたように。
つまり今、あの男は雷神だ。
名は体を表す。店をやるならば看板はそれに相応しいものにしなければならない。不似合いな看板は、邪魔なだけだ。
故に、彼は雷光を名乗り始めたのだろう。
名実ともに神となった人間は、どこまでも傲慢だった。
「神の力を奪ったあやつは、混乱する配下の兵士百人を生贄にして我の力を封じ込めた。……最初からそのつもりだったのだろうな。まっこと鮮やかな手際であったよ」
老狼が語り終えると、ルディがフンと鼻を鳴らす。
「まあ、そんなオチだろうとは思っていたが」
それにしたって酷い話だ。言外にそう付け加えた彼女は、洞窟のある方角を見やる。
「さしづめあの軍刀は生贄の……百足にされた連中の私物だろう」
そのうえ、今はその自分で生贄にした部下達の成れの果て――オオムカデを怪異として使役しているのだ。
旭は気分が落ち込んでいくのを感じた。
戦場原に伝わる逸話には、やたらめったら俗説が多い。パンフレットを何度も読み返したので、嫌というほど知っている。
例えば、百足の頭が逃げたという話。
アレはそのまま、指揮官……要するに部隊の頭である雷光が逃げ出したという話だろう。各所に残る溜池やら割れた岩やらも、ズバリそのまま戦いの跡だ。
無数に散らばるエピソードが、まるでパズルのピースのように繋がっていく。
(嫌なパズルだなあ)
辟易しているのは、旭だけではないらしい。
「私ここ気に入ってたんだけどなあ……知りたくなかった」
暁火はげんなりと肩を落とす。そんな彼女に、真彩はすまし顔でこう言った。
「暁火ちゃん、人はこうやって大人になっていくんだよ。知らない方が幸せで居られることなんて、この世にはいくらでもあるからね」
それが一番知りたくない情報だった。
そんな二人を尻目に、ルディは腕を組んで言う。
「まあいい。オオムカデの正体はわかったからな」
旭も言われて思い出す。本来の目的はオオムカデの調査だ。
「でっかい怨霊ってことですよね? なにか弱点とかあるんですか?」
「怨霊なら旭日が通じる。もっとも、あれだけ大きいと一撃とまでは行かないだろう。……なんて言ったか、前にお前が貴重な短刀を使い潰して倒した奴」
「ネッシー」
真彩さん早かった。
「そんな名前だったな。とにかく、アレみたいな長期戦は覚悟しておけ。それに、単体で来るとも限らない。連中にとっても虎の子だろうからな」
彼女はそこで言葉を切って、ヴィルデザイアに視線を向ける。
「……すいません。ボロボロにしちゃって」
月の光に照らされているからか、細かい傷や凹凸が目につく。一ヶ月近く戦い続けて、ヴィルデザイアの装甲には数多のダメージが刻み込まれていた。
旭は俯く。ここまで手傷を負ってしまったのも、全ては自らの至らなさ。
だが、ルディは旭の背中を軽く叩いてこう言った。
「いいや、構わない。そもそも、ここまでマメに引っ張り出してくるような代物じゃあないんだよ、こいつは」
それだけ、あの街が置かれている状況が異常だということなのだろう。旭は深く肝に銘じる。
……話はそこで終わるはずだったのだが、暁火が割って入ってきた。
「でも、これどうやって直すんですか?」
「……確かに」
まだまだ動くので問題はないが、もし本当に壊れてしまったら、一体どこで直せばいいのだろうか。そもそも直せるようなものなのだろうか?
「ウチでもこれは手に負えないなあ。掃儀屋さんに頼むとか?」
真彩が言うと、ルディは首を横に振る。
「いいや駄目だ。モノが違う。……まあ、その辺りは私に一任してくれていい」
それだけ言って、強引に話を切った。
まるで、触れられたくない何かを隠すように。
※
翌日。
帰りの車中で、暁火はこんな疑問を口にした。
「ところで、真彩さんってお盆は帰省しないんですか?」
そもそも彼女は繁忙期の臨時スタッフとして雇われている。忙しいお盆に帰省する暇なんかないだろうし、そもそも夏が終われば家に帰るのだから関係ないだろう。
だが、旭の予想に反して彼女はこう言ったのだ。
「ん? ああ、まあ、一日ぐらい顔出しに行くつもりだよ。こっちの仕事伸びちゃったし。そのまんまお盆休みに、っていうのは厳しいかもしれないけど」
どうやら旭の知らない間に彼女の雇用期間が伸びていたらしい。家の事情で手間を掛けてしまい申し訳ないと思う反面、彼女と居られる期間が増えることを内心嬉しくも感じてしまう。
「そう言う暁火ちゃんは……って、君らの家はそういうのなかったね」
そもそも瀬織が母方の実家だ。父方の実家も近所にあるので、たまに遊びに行くし遊びに来る。
となると、次に話を振られるのはルディだ。
「……そう言えば、あんたの実家ってどこなのよ」
「あ? 私のことはどうでもいいだろ」
真彩に訊かれたからだろうか。ルディは露骨に機嫌を損ねる。こうなってしまうと厄介だ。仮に旭が訊き直したところで、彼女は何も答えないだろう。
(ルディさんの実家か……)
前に、星が綺麗に見える場所だと言っていた気がする。それ以外に、何もないとも。
とは言え、彼女の生まれ故郷だ。
きっと素敵な所なのだろう。
無邪気にも、旭はそんなことを考えていた。
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