第伍幕 魔女の里帰り
空穿つ怨霊
第73話 禍つ大槍
戦場原からの帰り道。知らず識らずの間に疲れが溜まっていたのだろう。旭は船を漕いでいた。
そんな時、旭のスマホが鳴り響く。滅多に使わないキャリアの電話だ。
知らない番号からの着信なので、無視しようかとも思った。だが、無性に嫌な予感がする。恐る恐る、慣れない手付きで受話ボタンをスライド。
「もしもし」
「もしもし、お世話になっております。私、掃儀屋の区道と申します」
いやに他人行儀な挨拶だ。
「区道さん? どうしたんですか……?」
堅苦しいのは挨拶だけだったらしく、光はすぐにいつもの調子に戻る。
「今、大変なことになってるんだ。そっちからも見えるかな?」
「ちょっと今森に入っちゃってて」
助手席から見えるのは、どこまでも生い茂る深緑。それ以外には何も見えない。
「……わかった。とにかく気をつけて」
光の声音は、事態の深刻さを物語っていた。
森を抜けたその先に、一体何が待ち受けていると言うのだろうか。スピーカー越しの緊張が、旭にも伝播する。
雑音に紛れ、勝やカヤオの声が響く。相当に焦っているようだ。
「それじゃ!」
急ぐように通話を切られる。
車内にはただならぬ雰囲気が漂っていた。
「一体、どうしちゃったんだろ……」
不安も露わに暁火が呟く。電話口の様子からして、ロクなことになっていないのは確かだ。
「もうすぐ森を抜けるよ」
真彩の言葉通り、緑のカーテンは徐々に薄くなっていく。
――それは、あまりにも堂々としていた。
天高く、雲を貫かんばかりの巨塔。陽の光を照り返し、鈍く光る節々からは無数の節足が伸びている。
生理的嫌悪を呼び起こすその形を、一度煮え湯を飲まされたその姿を、見紛うことはないだろう。
「……オオムカデ、なんで……」
呆然と呟く旭。
「とにかく急げ。街の人間は、恐らく全員アレを見ている」
「わかってる。しっかりつかまってて……!」
ルディに急かされ、真彩がアクセルを踏み込む。街へ戻るまでの道中、オオムカデに大きな動きはなかった。
※
街全体には異様な空気が漂っていた。
人々の視線は、ある一点に集中している。空を切り取る、巨大なムカデ――
戻った旭を目ざとく見つけ、カヤオが駆け寄ってきた。
「おかえり皆。早速だけどアレについて――」
「アレの正体は怨霊の集合体でした。ですから――」
早口で答える旭を、しかしルディは手で制す。
「待て、状況が変わった」
彼女は怯える人々を一瞥し、眉根を寄せて歯噛みした。
「元は確かに怨霊だった。だが、今は違う。こうして人々の目に映り、恐れられている。噂話や伝承の粋を超えたんだ」
「流石は魔女だ。察しが良いな!」
背後から降りかかる軽薄な声。――雷光だ。
「貴様、これは一体なんのつもりだ」
ルディの語気からは強い怒りを感じられる。だがそれに言い返す雷光の言葉にもまた、同じように……いや、それ以上の怒気が迸っていた。
「なんのつもりだぁ? そんなの決まってるだろうが! テメエらが邪魔だから本気で潰しに来たんだよ!!」
袴の裾が汚れるのも気にせず、何度も何度も地団駄を踏む。石畳を叩き割る勢いで踏み降ろされた脚は、怒りに震えていた。
「なあクソガキ、どうして出る杭は打たれるか、考えたことはあるか?」
「え、そ、それは……」
急に話を振られた旭は、狼狽え一歩後退る。それが気に入らなかったのか、雷光は迫るように一歩踏み出した。
「道歩くのに飛び出してたら邪魔だから叩くんだよ!!」
そうやって好き放題に騒ぎ立てた雷光は、オオムカデに目をやり不敵な笑みを浮かべる。
「こいつは人の恐怖をたんまり食らった。テメエらにバレないように実体化まで漕ぎ着けるのは骨が折れたぜ」
オオムカデが最初に姿を現してから数週間。すぐにぶつけてこなかったのは、力を蓄えさせるため。いわば仕込み期間だったというわけだ。
「だがな、ここまで来たらもうイッキだ。あいつはもう百足の粋に収まらない。言うならば――
「くだらんな」
ただの一言で切り捨てたルディは、躊躇うことなくヴィルデザイアを喚び出した。
「いいか旭、やるべきことは変わらない。斬って、殺せ」
「わかりました」
オオムカデ――改めマガツは、今も人々の恐怖を喰らい続けている。急ぎ旭はヴィルデザイアに乗り込んだ。
「やれるもんならやってみな! 無様に恥を晒すだけだろうがよ!!」
嘲笑うようにそう言った雷光は、踵を返して姿を消す。
「今、ウチの方で住民の隔離とアレの誘導を準備してる。あのムカデの足元だ。勝と合流してくれ!」
「了解です!」
カヤオの指示に従い、旭は跳んだ。眼下に広がる好奇の目。気に留めている暇などない。
敵の接近に気づいたのだろう。マガツの複眼が旭を見やる。体躯の割に細い足が、ワシワシと蠢いた。
ジャンプ三回。山の麓の廃村で、豪月華が大筒を抱えている。
「来たかボウズ! こっちも準備が整ったぞ!!」
言うなり大筒に火をつけた。その先端から、無数の矢が飛び出していく。
「破魔矢砲だ! 喰らいやがれ!!」
怒涛の物量攻撃。しかし相手は、あまりにも巨大すぎた。強靭な外骨格は破魔の力などものともせず、目障りなハエに狙いを定める。
――来る!
大きな体をムチのようにしならせ、マガツはその全身を山肌に叩きつけた。とうの昔に無人となった建物が瓦解し、瓦礫の山が吹き飛んでいく。
あまりにも大振りな攻撃。直撃を免れてもその衝撃は計り知れない。太い木々達を薙ぎ倒し、ヴィルデザイアは倒れ伏す。
なんて強さだ。インチキが過ぎる。
だが、勝はそれを待ちわびていたようだ。
「いいところに来た!」
土砂を撒き散らし、背後の森から巨大なネットが放たれる。四隅に槍をくくったそれは、マガツの触覚を絡め取り、頭から五○メートルほどを地面に縫い付けた。
「やれ、最上!!」
ハウリング気味の光の声。
「合点承知!!」
豪月華がネットの角を握りしめる。バチバチと音を立てて――放電!
高圧電流が極太のワイヤーを駆け抜け、ネット全体に波及する。
プラズマ光を発し、周囲を照らすほどの高電圧。断続的に響く破裂音は、素線が耐えきれずに爆発する音だ。
暴れるマガツはどんどんと深みに嵌っていく。動く度に絡まるネットが外骨格を灼き、細い足をむしり取る。
「いいぞ最上! 放電を続けろ!!」
実体を得るまで力を得たマガツは、しかしその実体を侵す電流にその身を焦がされていた。もがき苦しむ巨大なムカデは、遂には痙攣を起こすまでに至る。
だが。
遥か遠く数キロ先、マガツの尻尾が大きく揺れる。
細長い体が波打った。尾の先から迫る山なりの動きは、さながら津波のようでもある。
複数の筋肉を連動させたその動きは、遂に頭頂に達しネットを大地から引き抜いた!
「なにを!?」
ネットと共に舞い上がる、黒と白のツートンカラー。重力に負けて大地に囚われた豪月華は、放電の反動からか機体の各部を震わせる。
「そう簡単には行かないか……!」
旭は独りごちる。
マガツの姿はなおも健在。焼き目のついた外骨格は、しかし致命傷とは程遠い。あれだけの自重を支えているだけのことはある。
豪月華はもうしばらくダウンしているだろう。覚悟を決めた旭は、旭日を抜いて構えた。
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