第71話 月明かりに問う

 ようやく祠の前に辿り着いた三人だったが、その変わり果てた姿には驚きを禁じ得なかった。

「なにこれ……真っ赤じゃん」

 祠の全体が、赤い液体に塗れている。懐中電灯の光を照り返し、鈍く輝くそれは……鮮血。

「これが臭いの正体か……」

 鮮血はドス黒い包帯から滲み出ていた。その凄惨な光景に、暁火は吐き気すら覚える。

「な、なんですか、これ……」

「……大口真神に施された封印は、よほどむごいものだったらしいな。大口真神」本人や、生贄に使われた連中……関係者全ての残留思念が、ここで呪詛を吐き続けている」

 言われて、ようやく気づいた。

 今も赤黒い血を吐き出し続ける包帯から、絞り出すような声が聞こえる。

 イタイ、イタイイタイイタイイタイ、ヤメテ、コナイデ、コロサナイデ――

「ひっ」

 暁火は思わず後退りした。ほんの小さな声なのに、恨みつらみや苦しみが伝わってくる。この声の主達は、一体どんな酷いことをされたのだろうか?

「こういうのもあるって、聞いたことはあるけど……」

 口元を押さえ、真彩がポツリと呟いた。

「私もこれほどのものを見たのは初めてだ」

 言いながら、ルディは刀を持ち出す。古びた鞘から引き抜いたそれは、錆びることなく美しい光沢を維持している。その刃に彼女は胡乱な視線を向けていた。

「この刀も、どこで拾ってきたものやら……」

 ルディの呟きに、真彩が呼応する。

「これ軍刀じゃん。ほら、軍人さんが使ってたやつ」

 一目で見抜いてみせた真彩を、ルディは横目で見やった。

「……腐っても刀鍛冶か」

 暁火からしたらそちらの方が衝撃だ。

「え、真彩さんって刀鍛冶やってたんですか?」

 一見するとちゃらんぽらんなお姉さんの、裏の顔。なんて格好良いのだろうか。

 しかし、なぜか真彩は口ごもる。

「ああ……まあね」

 否定も肯定もしない。煮え切らない態度に、暁火は疑問符を浮かべた。

 だが、今はそれどころではない。

「そんなことはどうでもいいだろう」

 ルディに言われ、再び祠に視線を戻す。

「さっさと終わらせるぞ」

 見ていられないとでも言いたげに細められた瞳。見つめる先では、今もどくどくと血が流れ出している。

「達者でな」

 逆手に持った軍刀を、大きく振り上げた。

 ――その時だ。

「なっ!?」

 ルディ目掛けて飛び出すムカデ。たたらを踏んだ彼女を咄嗟に真彩が引き寄せて、その場はなんとか事なきを得る。

 ムカデは水っぽい音を立てて落下した。血だらけの床で溶けるようにもがき、ほんの数秒で姿を消してしまう。

「ありえん。この封印を施した奴は人格破綻者かサディストだろうな」

 嫌悪も露わにルディは言った。

「一体なにをしたらここまで恨まれるんだ」

 怨嗟の声を垂れ流した挙げ句、実体化までして見境なく襲いかかるほどの怨念。想像を絶する出来事に、暁火は言葉を失うばかりだ。

「酷いよこんなの。許せない」

 拳を握りしめ、真彩は憤りを露わにする。

「許す許さないは、お前の勝手だが――」

 ルディもまた。

「見ていて気分のいいものではないな」

 珍しく、それに同調していた。



 激しく動き回って人狼を仕留めるコウガ。旭はそれをカバーするように動き、ちょくちょくあぶれる個体の処理と老狼への牽制を行っていた。

「どんと来い! まとめて相手になってやるぞ!」

 調子よく叫んだコウガは、居合の構えで眼前の人狼を真っ二つにする。

 こいつコウガの癖がわかってきた。

 ……いや、癖というよりかは性格、あるいは性質だろうか。

 この少年は、とにかく自由に餓えていた。

 その原因が、傍若無人な父、雷光にあることは想像に難くない。本人は絶対に認めないだろうが、彼の人生はまさしくあの男に歪められている。

 本人は、絶対に認めないだろうが。

「どうだ! お父様直伝の、この剣術!!」

 右に左に飛び回り、好き勝手に人狼を斬る。傍目から見る限り、とてもマトモな剣術だとは思えなかった。

「行くぞ、必殺の一撃!!」

 共に戦う旭のことなど微塵も気にしていない。雷光と居る時のなにかに怯えているような姿とは大違いだ。

 日頃の鬱憤を晴らすが如く、思うがままに暴れまわるその様は……どこか哀れでもある。

「行くぞ旭!」

「わかった!」

 人狼を叩き伏せたコウガは、勢いのまま老狼へと斬りかかった。旭もそれに追随する。

「オオオオアアアアアアアアアアアア!!!!」

 半死半生の老狼は、それでも動きを止めることがない。血だらけの足でカウヘッドを蹴り飛ばし、ヴィルデザイアの斬撃もボロボロの牙で受け止める。恐ろしいまでの執念。今も刀に食いつかれてしまった。

「メテオフラッシュ!!」

 口腔を焼き一時離脱。油断も隙もありはしない。

「ここらでちょっとは大人しくしろ!!」

 旭日を逆刃に構える。峰打ちで頭を狙うのだ。

「コウガ! 頭だ!」

「……! そうか!!」

 旭は叫ぶ。暴れる老狼の下顎を蹴り上げ、バックステップから跳躍。

「行くぞ!!」

 月の光に照らされて、二機のヒトガタが宙を舞った。



「終わりにしよう」

 とうに嫌気が差したのだろう。ルディはいち早くこの場から去りたいとばかりに刀を振り上げた。

 逆手に構えられた刃が、懐中電灯の光を受けて鈍く光る。

「安らかに眠れ」

 白刃は、優しい声音とともに振り下ろされた。



 決着。

 空を仰いだ老狼は、千鳥足で二、三歩歩いた後にその身を湿地に投げ出した。

 泥汚れに塗れた銀の毛並みが揺らぐ。その姿がどんどん透けるように薄くなっているのは、気のせいだろうか。

「ちょうど封印も上手く行ったんだな」

 そう言い残したコウガは、旭に背を向けて歩き出す。

「もう帰っちゃうの?」

「お父様に報告しないといけないから」

「そっか」

 引き止めてやろうかとも思った。このまま雷光の元へ戻っても、彼に幸せが訪れるとは思えない。

 とはいえ、他人の家庭事情にいちいち口を挟むのも不躾だ。特に彼のようなタイプは、気分を害するだけだろう。

「今日は助かったよ。ありがとう」

 コウガは振り返りもせず、そのまま去っていった。

 ただ一言だけを残して。

「……俺も、楽しかった」

 それから程なくして、ルディ達が戻ってきた。横たわる老狼の姿を見て、真彩が呟く。

「……このまま、消えちゃうんかな」

 そんな彼女のセンチメンタリズムを、しかしルディは一刀両断してみせた。

「そんなことはない。神格は頑丈だし、封印のやり方も不完全だ。恐らくは――」

 すっかり半透明になっていた老狼の体が、ゆっくりと縮み始める。

「溜め込んでいた力を放って元の姿に戻るだろう」

 ルディの読み通り、あれだけ大きかった体は昨夜と同じぐらいにまで小さくなっていた。

「……すまない。人の子よ」

「正気を取り戻したか」

「憎悪に……飲み込まれていたようだ」

 受け答えに危うさはない。ルディもそれを察したのか、早くも次の話題に移る。

「お前にはいろいろ聞きたいことがある。礼代わりに答えてもらおうか」

「そう、か……なにを……知りたい……」

「そうだな、まずは……」

 鋭い視線を向け、彼女はこう言った。

「お前と源雷光の関係を聞こうか」

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