第13話 大根役者

 流石に酷い言い方だった。

 一晩経って少しばかり冷静になった旭は、昨夜の言動について深く後悔していた。

 真彩の言動が無神経だったのは事実だが、それにしたってあの言い方はなかっただろう。一応彼女は旭の身を案じてくれていたわけなのだし。旭は彼女をよく覚えていないが、彼女は旭をはっきり覚えているのかもしれない。悪いことをした。

 謝罪したいが、昨夜ああ言った手前こちらから出向くのは気まずい。しかしそんな事を気にしていてはいつまで経っても関係が改善しないのだ。それは、駄目だろう。これからしばらくひとつ屋根の下で暮らす以上、必ず顔を合わせることになるのだから。

 考えるだけで憂鬱になる。

 途方に暮れながら長い廊下を歩いていると、頭上から男性の声が降ってきた。

「どうしたんだい旭。ルディさんと喧嘩でもしたかな?」

 しきだ。小脇にクリアファイルを抱えた長身の男性を見上げ、旭は言う。

「ああいや、そっちじゃなくて」

「へえ、真彩ちゃんと」

 言ってから、またやってしまったと後悔する。もし喧嘩の理由を訊ねられたら何も答えられないではないか。色を相手に誤魔化せるとも思えない。迂闊だった。

 しかしそれは杞憂だったようで、彼は特に詮索することもなくこう言うのだ。

「まあ、人付き合いって難しいからね。真彩ちゃんでも怒ることはあるだろう。そうだな、気分転換に釣りでも行かないか?」

「え、お仕事はいいの?」

「弟分が悩んでるんだ。放ってはおけないよ」

 言うなり彼は旭とバケツを引きつれ近くの釣具店に寄り、テグスと釣り針、それとガン玉を購入。肝心のエサと竿には見向きもしなかった。

「それだけでいいの?」

「他は簡単に現地調達できるからね」

 向かった先は、街から少し降りたところにある河原だ。この辺りは流れが緩やかで、地元の少年少女がよく遊びに来る。とはいえ、ここ数年は旭と暁火ぐらいのものだが。

 辺りを眺め、適当な木の枝をナイフで切り取る。そこに仕掛けをくくりつければ、簡易釣り竿の完成だ。旭も見様見真似で竿を作る。

「こっちの小枝はウキ代わりに使う。こうしてこうだ。できるかい?」

「こうして……こう?」

「そうそう。上手いじゃないか。筋が良いな」

 それなりに苦労して竿を作り上げたら、今度はエサだ。

「エサって、もしかして……」

「そのもしかしてだ」

 言うなり色は草むらの岩をひっくり返す。ひときわ太いミミズをつまみ上げると、ナイフで切って見せつけるように針に刺した。

「やってごらん」

 田舎暮らしとはいえ現代っ子である旭は、無論ミミズを掴んだことなど無い。土と一緒に触るぐらいの経験はあるのだが。

「うう……」

 ブヨブヨしていて気持ち悪い。変な汁が指につくのを我慢しながら、なんとか針に刺す。

「よし、竿ができたらこっちだ」

 大きく張り出した岩の上に腰掛ける。仕掛けは投げず、竿のしなりを利用して振り子のように振って入れるのだ。五年ぐらい前だろうか。家族三人で釣りをした記憶が蘇ってくる。

 あの頃は暁火も反抗期とは程遠く、父と三人で仲良くいろいろな場所に出かけたものだ。連休は父が忙しいので、年に一度か二度ぐらいのことではあったが。

 ぼんやり考え事をしていると、不意に竿が動いた。小枝のウキが沈んでいる。手応えからして大物だ。

「おおお、おっと!」

 ピンクのラインと斑点が特徴の、よくわからない魚が釣れた。まじまじと眺めていると、色が楽しそうに言う。

「ニジマスじゃないか。唐揚げにすると美味いぞ」

 仕掛けから素早く取り外し、バケツの生簀に放り込む。木を切る時もそうだったが、見事な手際だ。

「シキさんは釣りが好きなの?」

「嫌いじゃないよ。特別好きってほどでもないけどね。かじる程度かな」

 とてもかじった程度には思えない腕前なのだが。あるいは工作全般に秀でているのかもしれない。イベントの飾りなどは彼が用意しているらしいし。

「おっと。俺もマスが釣れたみたいだ。もう二尾ずつぐらい欲しいね」

 言いながら、再びミミズを仕掛けにつけた。躊躇いつつ、旭もそれに続く。移動と休憩を挟みつつ、釣りを楽しむ。

 その日の釣果は目覚ましいものだった。

 マスが五尾にアユが三尾。加えてイワナが二尾である。あとなんか知らない魚。いっぱいになったバケツを持ち上げ、色は上機嫌に言う。

「今日のお昼は御馳走だぞ」

 どうりで釣り上げるごとにオススメの調理法を紹介していたわけだ。色の鼻歌と共に帰宅すると、早速真彩とかち合う。

 気まずい旭と裏腹に、彼女はバケツを覗き込み歓声を上げた。

「わあ、たくさん釣ってきましたね」

「というわけで真彩ちゃん。これでよろしく」

「合点承知の助!」

 トントン拍子に話が進む。真彩はまるで備えていたように下ごしらえをし、あっという間に調理してしまう。そろそろ旭にも種が読めてきた。

 振る舞われたのは風味豊かな山料理。川魚をベースに山菜で〆られたメニューは、派手さはなくとも食欲を誘う。

 配膳は三人前。旭と真彩と色の分……かと思えば、色はいつの間にか姿を消していた。代わりに京緋色の髪が視界に入る。

「一体なんの用件だ。あさ――」

 旭を一瞥したルディは、もうひとりの役者であるところの真彩に視線をやるなり絶句した。それから旭を睨みつける。

「これは一体なんのつもりだ。私も随分と舐められたものじゃないか?」

「い、いえ、僕も何も知らなくて……」

 絶体絶命大ピンチ。ルディの髪が淡い光を帯びて重力に逆らう。あわや消し炭もやむなしといったタイミングで、真彩がコホンと咳払いした。一同の視線が彼女に向かう。

「この場はあたしがセッティングしました。昨日のことを謝ろうと思ったからです。人払いも済ませてあります」

  依然としてルディの表情は険しいままだったが、ひとまず矛を納めたらしい。仰々しい波動は消え去っていた。

「まず……昨日は、乱暴なこと言ってごめんなさい。あなた達の事情を、なにも考えてなかった」

 折り目正しく頭を下げる。洗練された所作だ。滲み出る誠意。旭の腹の底に燻っていた怒りの感情がみるみる萎んでいく。

 しかし、対するルディは謝罪の言葉などどうでもよいらしい。椅子にドカリと腰かけると、面倒臭そうに続きを促した。

「それで、お前は何がしたいんだ」

 塩対応どころの話ではない。今にも部屋を出ていきそうなルディを前に、真彩は怯んで半歩後ずさる。……が、間を置かずに一歩踏み出した。

「あたしは雄飛さんから旭くんの監督も頼まれています。まあ、時々気にかけてやって欲しい、ぐらいの話でしたが……とにかく、昨日のことをそのまま看過するわけには行きません。そこで――」

 ルディの眉がピクリと動く。

「あたしもあなた達の活動に参加します」

「素人がしゃしゃるな」

 ガタリと音を立て、ルディが椅子から立ち上がった。立ったり座ったり忙しい女である。

「素人ではありませんよ」

 言いながら、真彩は懐から短刀を抜いた。昨日と同じものだ。

「古来より怪異と相対してきた存在……あなたの言う悪魔払いなんかもそうですが、そういった人々は基本的に荒事の専門家です。お札ぐらいなら自分で調達もできるでしょうが、妖刀まで来るとの専門家が必要になってきます。おわかりですよね?」

「……料理人風情が、少しは知っているようだな」

「同じく刃物を扱う生業なので」

「どうだか……」

 しばらく間を置いた後、ルディは再び腰を下ろした。並んだ箸を手に取り言う。

「邪魔だけはするなよ」

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