第14話 リベンジマッチ
その晩、奴は再び現れた。
姉と通話に出ていたところ、黒い霧が辺りを包む。警戒する旭の眼前、隻腕の武者が姿を現す。
「
通話の途中だったので無視。落武者はキレた。
「貴様! 拙者を愚弄するつもりか!」
困る。ここで落武者に応対したら暁火は怪しむだろう。詮索されるとマズい。しかしこれ以上落武者を怒らせて襲い掛かってきたら死ぬ。どうにか暁火に悟られぬように通話をやめる方法は――こうだ。
「あ、ゴメンお父さん来た! また今度ね!」
急ぎ電話を切り、旭は言った。
「昨日の結界は張らないの?」
落武者は嘲笑うように答える。
「気付いていないのか? 貴様は既に術中にあるというのにな」
辺りを見回す。人気はなく、しんと静まり返っている。昨夜と同じ状態だ。しかしルディのものと違い、スマホの電波は途切れなかった。全てを遮断しているわけではないのだろうか。
だが、それなら。
……ヴィルデザイアが、呼べないのではないか?
アレを呼び出しているのはルディだ。ならば、彼女が居ないこの状況では使えないのではないか。
「して、小童よ。あの巨人は呼び出さぬのか?」
いや、しかし。
「今は、使えなくて……」
相手は武人だ。こちらに力がないと告げれば結界を解除、あるいは決戦を延期してくれるのではないか?
「ほう、そうか」
旭は賭けた。
「ならば」
彼の武士道に。
しかし――
「それは、これとない好機だ!」
旭は駆けた。斬撃が背後を通り抜ける。失敗だ。下手なことを言うんじゃなかった。しかし後悔している
重厚な一歩を踏み出し、落武者はその長巻を空に振るう。
「そのまま逃げ続けるがいい!」
運が良かった。次は避けられないだろう。思考を巡らせ――旭は走り出した。建物の影から裏道へ。大人は知らない秘密の抜け道だ。この結界は能売川温泉街、旭の生まれ育ったこの街を完全に再現している。それ故に、地の利は旭にあるのだ。
ゆっくりと追いかけてきた落武者は、旭の姿がないことに気づくと、その場で立ち止まった。
「なるほど。拙者も少々迂闊であったかもしれんな」
少しでも遠くへ逃げる。時間を稼いで活路を見出だす。いかにして、外部と連絡を取るべきか。
……そうだ。
スマホを取り出し、旭はとある番号を叩いた。事務所の電話番号だ。この時間ならまだ色が居る。
「はい、瀬織の四日です」
スタッフ用の番号なので面倒な挨拶はない。旭は小声で捲し立てた。
「色さん旭です! ルディさんを!」
「旭か。ちょっと待っててね」
保留音。八十年代の歌謡曲だ。父が好んで聴いていたので、旭もよく知っている。いい曲なのだが――今はこの悠長なメロディが恨めしい。
どれぐらいそうしていただろうか。ガチャリ、ガチャリと……落武者の足音が近づいてくる。声を聞かれたのだろうか? 細心の注意を払い、旭は再び歩き出す。
島を移動。段差を乗り越え下ったところで、落武者が叫んだ。
「小童め! どこへ行った!」
刹那、石垣の上を斬撃が凪ぐ。崩れる建物、飛び散る草木。あの上に居たら死んでいた。間近にまで迫っていた命の危機に固唾を飲む。
音楽が途切れる。電波が途切れたのではないかと、旭は焦った。
「おい、どうした」
ルディだ。
「落武者が出ました」
「なんだと? 少し待っていろ」
乱暴な音と共に通話が切れる。要点は伝わったのだろうが、言葉が足りない。
※
結論から言えば、ルディは結界から閉め出されていた。
相手がそれを意図したものであるかどうかは不明だが、危機であることに変わりはない。旭は魔法が使えないのだから。
ルディが彼ぐらいの頃にはもう戦場に出ていた。しかしそれは、自身に相応の実力があったからに他ならない。ヴィルデザイアがなければ、旭はただの無力な子供だ。
「旭くんに何かあったの?」
どこかから嗅ぎ付けてきたらしく、真彩がルディの隣に並ぶ。鬱陶しいことこの上ないが、邪険にするわけにもいかない。
「昨日の奴が来たらしい。旭が相手をしている」
ルディがぶっきらぼうに言うと、真彩は目を見開いた。
「は? それマズくない? ロボットはあるの?」
「ないな」
「すぐになんとかしなきゃ!」
騒がしい女だ。なんとかできていればこんなところで棒立ちなどしていない。
「昨日の……結界? とかあるんでしょ。どうにか破らないと」
この女、旭と比べてやたらと理解が早い。恐らく持っている情報の土台が一般人とかけ離れているのだ。妖刀の知識といい、只者ではないだろう。
少し試してみるのもいいかもしれない。
「手詰まりだ。何か策はないか?」
「て、手詰まりって……」
わずかに黙考してから、彼女は言う。
「結界なら、これでなんとか――」
言いながら短刀、榧鼠を抜き、空間を切り裂いた。
「よし、上手く行った!」
急ぎ異空間に飛び込む真彩。知識だけではなく、理解も伴っているようだ。とてもただの料理人だとは思えない。
「やはりタヌキか」
呪詛にも似た言葉を吐き捨て、ルディも異空間へ足を踏み入れるのだった。
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