第11話 備前藤之助
闇夜に浮かぶ真紅の鎧。深緑や黄土色の差し色が施された豪奢な武者甲冑だ。面頬に隠された表情を窺い知ることはできず、受ける印象は無色透明。あまりにも淡白な存在感は、それが生者でないことを否が応でも理解させる。
旭が固唾を飲み込むと、その肩を引き寄せて真彩が言う。
「旭くんも見える? 幻覚じゃ、なかったんだ……」
――落武者。
武人の身にありながら
落武者は暗い瞳で旭を見つめ、怨の念を口から撒き散らす。
「貴様が部外者の遣いか」
恐怖もあって、何を言っているのかさっぱりわからない。真彩の手を握り後ずさりしながら旭は言う。
「い、いえ、人違いだと思います……」
「戯けたことを。拙者は全てを知っている。貴様がこれまで下した怪異についてもだ」
降って湧いた心当たり心臓造を鷲掴みにされたような気分になる。得体の知れない相手に知られてしまったこと。真彩が隣に居ること。ルディがこの場に居ないこと。その全てが旭を追い詰める。
真彩が前に出た。
「わけわかんないこと言わないでくれる?」
旭を庇うように一歩踏み出すと、ビシッと落武者を指差す。甲冑が、ピクリと肩を震わせた。明らかに苛立っている。
「真彩さん、危な――」
動いた。
「――成敗」
気づけば眼前に刀の影。横薙ぎに振られた長巻が二人を真っ二つに切り裂くかと思われた、その時。
月夜に浮かぶ一筋の閃光。甲高い金属音。長い刀を短刀で弾いた京緋色の魔女。
「世話の焼ける奴だ。余計な手間をかけさせて」
「ル、ルディさん!」
白い肌をバスタオルで隠した彼女は、塗れた髪もそのままに落武者へ短刀を突き付ける。
「お前が何者かは知らないが……私の邪魔はさせん!」
それから早口で何か呟いた彼女は、肢体を覆い隠すバスタオルに手をかけた。……いや、待て。こんなところで、まさか――
「ちょ、ちょっとルディさん!?」
旭の静止をものともせず、ルディはバスタオルを脱ぎ捨てる。旭はすぐに顔を隠した。
「……何やってるんだ? さっさと準備しろ」
一体何の準備をさせようと言うのだろうか。ルディの呆れ声に、おっかなびっくり前を向く。そこに居た彼女は……いつもの黒装束を身に纏っていた。
拍子抜けする旭に、彼女はビシビシ指示を飛ばす。
「まずはその女をどけろ。木の陰にでも隠しておけ」
「は、はい!」
見れば真彩は腰を抜かしてへたり込んでいる。かろうじて意識はあるようだが、それでも
「真彩さん、こっちへ!」
小さく相槌を打つ彼女を太い木の幹にもたれさせ、ルディの元へ。短刀と魔術で対抗するルディに、落武者は苛立ちを顕にした。
「ええい、ちょこまかと! ならばこうだ!!」
乱暴に足を踏み鳴らす。落武者を中心に魔法陣が展開し、光を放ちながら収束。中央から現れたのは――巨大化した落武者だ!
「やはり奥の手を隠し持っていたか」
ルディは対抗するように指を鳴らし、ヴィルデザイアを召喚する。旭は素早く駆け上がり、コックピットに身を投じた。
「ここは奴の作り出した異空間、結界の中だ。いくら暴れて壊しても街に被害は出ないぞ!」
「はい!」
都合がいい。周囲を気にせず旭は駆け出す。バトルはいつだって先手必勝だ。全重量を掛けたタックルで相手の体勢を崩し、雪崩込むように銃を構え――発砲。
しかし相手は落武者。生前は戦地を渡り歩く
「見切ったぞ!」
二発目の弾丸を回避し、長巻を抜いて上段斬り。ギリギリで回避すると、背後のホテルが真っ二つに割れた。恐ろしいまでの切れ味と剣技。落武者は更に長巻を振るい旭を追い詰める。完全に相手の間合いだ。徒手空拳と銃撃だけでは対応できない。
「銃のグリップを引き抜け!」
ルディが叫ぶ。言われた通りにグリップを引くと、なんと銃身の中から刀が姿を現したではないか。表と裏を持ち替えると、グリップがそのまま刀の柄となる。
「ほう、隠し刀か。しかしそのような無名の刀で拙者を祓うことはできん!!」
「やってみなくちゃわかんないでしょうが!!」
返す刀の一撃を、旭はなんとか受け流す。続く一撃も角度を変えて打ち払った。長物を振り切った落武者には隙がある。今度はこちらが体当たりを仕掛け、崩した姿勢に追撃の一閃を叩き込む。
「甘いのだ!」
弾かれた!
闇夜に火花を散らして激しくブレる刀身。剣筋を整える間もなく次の打ち込みが迫る。転びながらも後退りして回避。山根さんの家を粉砕してしまった。
間断なく放たれる追撃を足技でいなし、ギリギリで立ち上がる。一進一退の攻防。剣戟の隙間を縫い、旭は次の攻め手を探る。
打ち合った時の感覚を思い出す。恐らくパワーはこちらが上。力比べならヴィルデザイアに分があるはずだ。
一歩後退。追いすがる落武者を蹴手繰り、大振りの一撃。上段からの剣閃を、落武者はも同様に上段構えで来た。力と力のぶつけ合い。そこにこそ活路がある!
しかし――鍔迫り合いは互角。どれだけ力と自重を掛けても力任せに押し切れない。パワーは勝っているはずなのに。
気になるのはその長い柄と独特の構え。いや、これは、まさか。
「付け焼き刃の得物で拙者に勝とうなど、二千年早いわ!」
そう。落武者は長巻の柄を離れた二点で握ることで、テコの原理を最大限に活用しているのだ。再び膠着した戦況に焦る旭。
どうする? 力任せに押し込むか? いや駄目だ技量では負けている。むしろ距離をとって銃撃戦に持ち込むべきではないのか。しかしすぐに間合いを詰められてしまうだろう。相手の距離を取られたら終わりだ。ならやはり力任せか。しかし……。
堂々巡りの思考。それを貫く彼女の声。
「抑えていろ!」
ルディが腕を振ると、ヴィルデザイアの足のハッチがひとりでに開いた。飛び出す短刀。彼女は魔法でそれを制御し、落武者に向かって撃ち出した!
「何!?」
回避不能の一撃。目が眩むほどの白い光。しかし落武者は消滅しなかった。右腕こそ根本から失ったものの、その全体は未だ健在だ。
「
よくわからないがパワーが足りないらしい。だが腕は落とした。決して勝てない相手ではない。旭は次の短刀を構えた。次は胴体を狙う。
しかし、落武者の方が一枚
「構うと思うか! 撤退する!!」
広範囲に黒い霧を放ち、夜の闇に紛れる。どちらに逃げた? いや――
気付いたときにはもう遅い。落武者は完全に姿を消していた。
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