第9話 再会、誰と?

「そこにいろ!」

 閑静な地下室にルディの声が響く。風切り音と共に視界の端を横切ったのは、文様の刻み込まれた短刀だ。

「目を閉じろ!」

 言われるがままに瞳を閉じる。刹那、まぶた越しでも眩しいとわかるほどの光量が旭に襲いかかった。再び目を開けて、視界に焼き付いた赤色にうんざりする。

 明滅する赤色の隙間から周囲を伺う。先程の女の姿はどこにもなかった。

 徐々に回復していく視界に、ずいとルディが映り込む。京緋色の髪が、重力に従って肩口からサラサラとこぼれた。

「何もされなかったか?」

 無表情なうえ、声に抑揚もないが、これでも心配してくれているらしい。

「おかげさまで、なんとか」

 とはいえ、旭は自分が何に襲われて、どんな状況から助かったのかをまだ理解していなかった。状況から推察できないこともないのだが……。

「まさかこんなところにまで妖怪が出るなんて」

 あてずっぽうに言うと、彼女は首を横に振った。

「アレはそんな上等なモンじゃない。この街、あるいは隣町くらいで死んだ誰かの霊だ。誰しもが人生に満足して死ねるわけじゃないからな。事件性のある死因でなくとも、大概の人間に未練は湧く。とはいえ、それぐらいなら化けて出るような――現世にまで干渉するようなもんじゃない、平凡な存在だ。だが……それがこの街に蔓延るてられたことで余計な力を持ったんだろう」

 確かに、学校やらなんやらで語られるような怪談では、幽霊の出自にそれなりに泊の付いたエピソードが存在している。激しい憎悪や、恨みつらみ。強い後悔に、死してなお収まらない情動や衝動……などなど、エトセトラ、エトセトラ。

 だが、少なくともこの街でそんな物騒な話を聞いたことはない。長い歴史がある街なので、一人ぐらいは無念の中に息絶えた人も居るのだろうが……化けて出たという話は、聞いたことがなかった。

 彼女は言う。

「ハッキリ言って、あまりいい状況じゃない。退治できる数にも限りがあるしな……」

 それは初耳だった。

「え、そうなんですか?」

「ん、言ってなかったか? まあ、アレだ。大雑把に言うなら、連中を倒すための武器が使い捨てだって話だ。いつもトドメに使ってる短刀みたいにな」

 まさかアレが消耗品だとは思っていなかったので、面食らってしまう。それなら、使用を控えたほうがいいのではないか。

 旭の心配を悟ったのか、彼女は言う。

「だからって出し惜しみするなよ。どのみちトドメにはアレが必要なんだ」

「で、でも……」

「安心しろ。なくなる前にケリをつける」

 それが根拠あっての発言なのか、あるいは旭を安心させるための虚言なのか、中学生の旭には判断がつかなかった。

 話は終わりだとでも言わんばかりに、彼女は次の話題に移る。

「ところで、お前はこんなところで何をしていたんだ?」

 言えない。ナニをしようとしていたなんて、とても言えない。万事休すか? 硬直した旭を見て、彼女は怪訝顔をする。

「どうした?」

「い、いや、少し懐かしくなって。昔ここで肝試ししたんですよ。姉と。最近、妖怪とかそういう話に巻き込まれたから、思い出しまして」

 舌を噛みそうなほどの早口でまくし立てる旭に怯んだのか、ルディはそれ以上追求することをやめた。

「そ、そうか」

 とにかく事態の露見は認めん。男の尊厳に傷がつくからな。



 こんなオンボロの旅館に安置などなかった。

「外に……出るしかないのか……」

 旭はぼやく。

 希望は潰え、安住の地は消えた。勝利を手に入れるためには、リスクを避けて通ることなどできない。経験から、旭はそう結論した。

 だからといって諦めるわけにはいかない。旭のボルテージは今にも爆発寸前だ。先程ルディに助けられてしまったのも、欲望を後押しする形になった。極めて原始的な衝動に突き動かされ、旭は街に繰り出す。

「なんだよ……これじゃまるで変態じゃないか……」

 いいや、それがどうした。そもそも自宅を兼ねているとは言え旅館の中も十二分に公共の空間だ。動機も最悪なんだからこれ以上落ちぶれたって大して変わらないだろう。

 支離滅裂な自問自答を繰り返し、旭はとある場所を目指していた。公衆トイレだ。

 あまり上等な選択肢ではない。が、それでもある程度の居住性と安全性は確保できる。そのうえ、証拠をすぐに隠滅できる点も魅力的だ。旅館のトイレは長く使っていると咎められるが、こんなド田舎の公衆トイレの、それも大便器だなんて滅多に使われない。許せプライド。掴めエクスタシー。

 元気の自――

「おや、旭少年。こんなところでどうしたんだい?」

 背後から突如降り掛かった声に、旭はすぐさま振り返った。早打ちガンマンさながらの反応速度に驚いたのか、声の主はわずかに面食らってから、バツが悪そうに頬をかく。

「ごめんごめん。少し驚かせちゃったかな」

 少しどころではなく心臓が止まるぐらい驚いたのだが、それはさておき。旭は心中で頭を抱えていた。

(誰だっけ……)

 肘のあたりまで伸びた黒髪。厚手のタンクトップは激しい凹凸を描いており、それを引き継いだジーンズもまた曲線美をアピールしている。ハッキリ言って、今は眼にしたくないタイプの女性。リュックサックを背負っているので、外部からの来訪者なのかもしれない。

 旭の名前を知っていて、かつ親しげに話しかけてきたことから、少なくとも一方通行の知人でないことは明らかだ。状況を鑑みるに、過去に面識のある人物なのだろう。

 クラスメイトや親戚以外の知人があまり居ないので、絞り込むのは容易なはずだが……。

 いや、待て。親戚かもしれない。

 小学生ぐらいの頃、高校生か大学生ぐらいのお姉さんと遊んだ記憶がある。いや、高校生と大学生の姉妹だった。二人でいるイメージが強かったので、すぐに思い出せなかったのだ。名前は確か……真彩まあや未央みおだった気がする。名字は忘れた。

 とはいえ彼女はかなりの遠縁。父方の血筋故に旅館の関係者でもないので、この街に来る理由がわからない。あるいは、観光客として来たのだろうか?

 なにはともあれ、まずは答え合わせだ。候補に上がった名前は二人。髪の長い彼女は、恐らく――

「真彩さん、どうしてこんなところに?」

「君んちの手伝いだよ」

 どうやら旭は賭けに勝ったらしい。彼女は大きな胸を張り、自慢気に言う。

「君は知らないだろうけど、あたしはこれでもお料理の専門学校を出てるからね。ちょっとしたシェフぐらいの腕はあるんだよ」

「え、そうなんですか?」

「おやおや、意外そうな顔してるね。確かに家庭的なタイプには見えないかもしれないけど……まあいいや。今度なんか作ってあげるよ」

 旭が驚いたのはその点に関してではない。そもそも彼女のことをほとんど知らないので、意外性もなにもなかった。

 では何に対して驚いていたのかというと、外部から手伝いを呼んでいたことだ。

 確かに、夏や冬などの連休になると観光客が増えるので、臨時でスタッフを増員する。とはいえ毎年起きるとわかっていることなので、ある程度繋がりのある他企業や知人などに頼んでいた。バイトも居ないことはないが、ごく僅かだ。

 親戚とは言えあまり関わりのない人間を、それも肝心要の厨房スタッフとして呼び寄せたというのは、経営に全く関わっていない旭でもわかるぐらい妙な話だった。

 だが、そんな話を外部の人間にしても仕方がない。旭は適当に話を合わせた。

「それで、今からウチに?」

「そだよ。あ、案内してよ」

「ひと目でわかるじゃないですか……」

 とは言いつつも、旭はきちんと案内した。どこぞの魔女のように行き倒れても困るからだ。

 当初の目的は、すっかり忘れていた。

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