第6話 旭が行く
「ぼ、僕には……できません」
旭がそう言うと、ルディは露骨に機嫌を損ねた。
「できただろ、さっき。あれだけやれれば十分だ」
言葉こそ優しいが態度は正直だ。切れ長の目はより一層細められ、口元はわずかに痙攣している。努めて冷静に振る舞っているようだが、苛立ちを隠せていない。
「あれは、まぐれっていうか……」
「まぐれでできるようなモンでもない。私とこの街を守ろう」
結論ありきの言葉。是が非でも旭に協力を取り付けようとするその強い意思に、口をついて言葉が出る。
「……無理です。それに、こんな寂れた街なんか守るのに、危ない目に遭いたくない」
酷いことを言った。
この街に住む人々に対しても、それから――彼女に対しても。
突き放されるとは思っていなかったのだろう。面食らったとばかりに目を丸くしたルディだったが、気を悪くしたのかすぐに不貞寝してしまった。
眠りに落ちるまで気まずい時間が続く。明日から楽しい楽しい夏休みが始まるというのに、早々に躓いてしまった。
※
旭の夏休み初日は、父親であり『能売川温泉
「ルディさんはこの辺りの民話を調査しに来たみたいなんだけど、電車で荷物を置き引きされちゃったみたいでお金がないらしいんです」
適当に言い訳し、なんとかルディが瀬織に滞在できるよう取り計らう。彼女の現状を考慮し、真実は伏せつつ信憑性を持たせる。バスと違い、電車は文無しでも切符さえ無くさなければ降りられるのがミソだ。どうにもルディは近辺の地理や交通事情に疎い(余所者というところを考慮しても、だ)ので、ほとんど旭が考えた。
落とし所としては、滞在期間中は住み込みで手伝いをしてもらう……というのを狙った。よくあるやつだ。実際、結果としては近い話に落ち着いた。厳密に言うならば、繁忙期における臨時社員として正式に雇用が決定したのだ。福利厚生として、朝昼夕の三食及び部屋と浴衣の貸し出しと旅館設備の使用が可能となる……これは他の社員とほとんど変わらない待遇である。見習いなので賃金は低いだとか、紛失届は勝手に出しておいてくれだとかそんな話をしていたが、旭にとってはどうでも良かった。多分、帰りの電車賃ぐらいが確保できれば問題ないだろう。
とりあえずの役目を果たした旭の脳は、完全に夏休みモードに移行していた。
今日から楽しい夏休み。出だしこそ躓いてしまったが、その小石も片付いた。もはや旭は自由そのもの。景気づけにどこかへ遊びに行きたいところだが、最果ての田舎故に外出には気合が必要だ。今日はそこまで頑張りたくない。
なにもしないをするには憚られるので街を散歩していると、人だかりが目に入った。
騒ぎだ。街の住民と、興味本位の観光客が詰め寄っている。その中心にあるものを、旭はすぐに理解した。いいや、理解せざるを得なかった。
昨晩、ろくろ首との戦いで壊れた廃墟なのだから。
否応なしに、旭はもう関わってしまったのだ。見て見ぬ振りはできない。さりとて、ここで自分が関係者であると名乗り出ることもまた、旭にはできなかった。
街を守るためにやった。悪いのはろくろ首で、自分は被害を最低限に抑えるために奮闘した。他の誰かであればもっと上手くやれたかも知れないが、あの時の旭にはあれが精一杯だった。言い分はいくらでもある。しかしそれでも、関わってしまった事実が消えてなくなるわけではなかった。
やめる理由が、ひとつ増えた。
この場を逃げ出したい。
旭はもう関係者であることをやめたのだ。もうヴィルデザイアには乗らないし、妖怪とも戦わない。こんな街のために戦うことも、いらぬ罪の意識を背負うことも、もうたくさんだ。
誰にもバレていない今のうちに、この場を逃げ出してしまいたかった。
右足を一歩引く。
逃げよう。
そう思って後ずさりしたところで、誰かに肩を叩かれた。
「だいぶ派手に壊されてたみたいだな」
誰だ!? なぜ知っている!?
驚いて振り返ると、そこに居たのはルディだった。
「そんなに大きな声で言わないでください!」
小声で抗議してから周囲を伺い、衆目を集めていないことを確認する。どうやら誰もこちらには注目していないようだった。落ち着かないながらも、ほっと一息つく。
「気にすることでもないだろ。誰もお前を咎めたりしない」
「でもだって、こんな……」
「ロボットに乗って妖怪と戦ったガキが居るなんて誰が信じるんだ。目撃者も居ないっていうのに」
それはそうだ。実際に見たわけでもない人間が、そんな破天荒な出来事を耳で聞いて信じるはずがない。
「それに、お前はもうやらないんだろ? だったら、忘れろ」
それは昨晩の意趣返しなのだろうか。突き放すような物言いに旭はたじろぎ、胸がチクリと痛むのを感じた。昨晩、彼女にこんな酷い事をしてしまったのだ。
さりとて、彼女に力を貸すような度胸もないのだが。
返す言葉を持たない旭から興味を失ったのか、踵を返してルディは言う。
「私は、一人でもやるさ」
呟くようにそう言った彼女の横顔は、どこか遠く――まるで別の世界を見つめているようだった。
※
日が落ちてから、ルディは再び姿を消した。旭が宿題に興じている間に、音もなく部屋を出たのだ。
今日もまた妖怪退治に出かけたのだろう。昨日と、同じように。旭には関係のないことだ。
この街には妖怪が跋扈している。それは旭が見た通り、紛れもない事実だ。いずれこの街には人が住めなくなってしまうだろう。
しかし、それならば引っ越してしまえばいいのだ。暁火がそうしたように、別の街へ引っ越してしまえばいい。旭の通っている学校は広い学区を持っているので、それなりに遠くからでも通うことができる。卒業後の事を考えれば、むしろこんな僻地に居る方が不利だ。
あんなに危ないことをしたら、きっと父に怒られるし。
それでも。
それでも、あの京緋色の髪の女性が。
どうしても気になってしまって。
旭の身体は、自然と外へと向かっていた。
「なんだ旭。今日も電話か?」
「うん。行ってくるね」
父に嘘をついてまで、旭は夜の街へと出かけていた。
スマホが圏外表示になっていることを確認しつつ、石段を降りていく。幸いなことに、ルディはすぐに見つかった。
「野次馬のつもりか? ならすぐに去れ」
あまり芳しい状況ではないらしい。空を泳ぐ巨大な鯉を前にして、彼女は片膝をついていた。悪態をつくその口元は苦々しげに歪められ、旭を睨めつけるべく細められた瞳は痛みを堪えているようにも見える。
ヴィルデザイアの姿はない。彼女には扱えないというのだから当然だ。しかし、相対している大鯉からしてみれば、そんな事情など知ったことではないのだろう。嘲笑うような事もせず、その鋭い牙を剥いてルディに襲いかかる。
「クソッ!!」
立ち上がりながら短剣を投擲。しかし容易く弾かれ夜の闇へと消えた金属片。舌打ちしたルディは、大鯉の突進をギリギリで回避し、道端の公園に転がり込んだ。
見ていられない。
いや、それは違う。決して見苦しいなどと、彼女を哀れんだり蔑んだりしたわけではない。彼女がこうして危険な目に遭っているのを、ただ黙って見ていることに耐えられなくなってしまったのだ。
だから旭は叫ぶ。
「ルディさん、僕……戦います!」
砂埃を払い、ルディは立ち上がる。
「……聞こえないな。もう一度言え」
繰り返し、復唱する。
「僕は戦います! だからヴィルデザイアを!」
彼女の表情は広いツバに隠されていて、推し量ることすらできない。しかしその声色は、先程までの不機嫌なものとは似ても似つかないものだったように思える。
「一貫性のない奴だ」
「なんとでも言ってください。それで気が晴れるなら」
「別に。お前の言葉に一喜一憂している暇はない」
そう言って彼女は指を鳴らす。二人を庇うように姿を現したヴィルデザイアは、しかし棒立ちのまま大鯉の突進を受けて転倒した。
倒れて四肢を投げ出したヴィルデザイアを後ろ手に指差し、彼女は言う。
「乗りやすいように倒してやったぞ」
「それは絶対に違う!」
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