第5話 力を貸してくれないか?

 ろくろ首の顔面が視界に割り込む。苦悶の表情、苦虫を噛み潰したような顔……苦痛に塗れた表情を言い表す言葉はいくつもあるが、実際にそれを見たのは初めてだった。

 悲鳴は聞こえない。しかしその顔を見ただけで、ろくろ首を蝕む痛みが伝わってくるようだ。

「――終わりだ」

 ルディが呟く。

 旭の視界を、眩い光が塗り潰した。それはルディが飛頭蛮を消し去った時と同じ色の光だ。暖かみのない、永久とこしえの檻に閉じ込めてしまうような、冷たい光。

 目が慣れた頃、既にろくろ首の姿はなかった。

 どうやら凌ぐことが出来たらしい。一時はどうなるかとも思ったが、どうにかこうにか助かった。張り詰めていた緊張の糸が緩み、口から溜息が溢れる。

 それにしても、このロボット……ヴィルデザイア、それにルディは一体何者なのだろうか。

「ルディさん、聞きたいことがあるんですけど」

「……わかってる。明日には話す」

 また煙に巻こうとしているのかとも思ったが、どうやら違うらしい。

「今日はひどく疲れた。もう倒れそうだ」

 言いながらなにやら魔法でヴィルデザイアを隠してしまった彼女は、確かに疲れているようだった。眠気からか目つきは悪く、足運びもどこかおぼつかない。

「あ、それならお風呂にも入ってください。ウチの温泉は疲れが取れることで有名なので」

「温泉か……まあ、気休めぐらいにはなるかもな」

 気怠げに髪を触る彼女は、言い知れぬ色気を放っていた。上がった息を整えるように、ゆっくりと息を吸い、吐く。彼女と同じ空気を吸っているのだと思うと、途端に目を合わせられなくなってしまう。

「と、とにかく帰りましょう」

 足早に石段を登る。駆け上がると滑るので、一歩ずつしっかりと。

 と、不意にスマホが振動した。メッセージが来たのだ。ようやく電波が復旧したのだろう。立ち止まり、内容を確認。

 未読、二五七件。



 半狂乱になっていた暁火を電話口で宥めた頃には、旅館の前まで辿り着いていた。心配してくれているわけなので、過保護だと一蹴するつもりはないが……父娘おやこだなとは思う。

 と、そこで気づく。着信やメッセージの履歴に父の名前はない。行き先を知っているとはいえ、いつもより長い時間家を開けている以上、なにがしかのアクションがあっても良いものだとは思うのだが。

 他の人に関してもだ。

 あれだけの騒ぎがあったというのに、旅館前に至るまで誰一人としてすれ違いすらしなかった。日本人の野次馬根性を鑑みるに、そしてこの田舎の性質を勘定に入れて、総出で見物に出ていてもおかしくないように思えるのだが。

「そういえば、あんなに暴れたのに騒ぎになってないですね」

 相変わらず眠そうなルディに問うと、彼女は気怠げに答える。

「そりゃそうだ。私が全員、お前にやったように撃ち抜いた。そもそも結界を張っていたしな」

 そう言われたところで具体的な事情など何一つわからなかったのだが、彼女が何がしかの手を打って(撃つだけに)いたことだけはわかった。理由があるならいいのだ。今更彼女の言動に疑問を差し挟む必要もない。はっきりと見てしまったわけだし。

 疲労が限界に達していたらしく、部屋に戻るなりルディは倒れて眠ってしまった。旭の布団の上で、だ。温泉に入るのではなかったのだろうか。

 とはいえ疲れたのは旭も同じだ。それに彼女は徹夜している。温泉には明日案内することにして、今日はもう寝よう。

 予備の布団はないので座布団を並べ、布団代わりにする。タオルケットをルディにかけてやり、旭はそのまま寝ることにした。

 思っていた以上に疲れていたらしく、決して寝心地が良いとは言えないような環境でもあっさりと眠りに落ちることができた。

 ……。

 …………。

 とはいえ眠りは浅かったらしく、些細な物音で目を覚ましてしまう。時計を見やると、午前三時。あまり気持ちのいい目覚めではない。

 用事もないのに深夜に徘徊する非行少年でもないので、軽く水でも飲んでから再び眠るとしよう。そう思って布団から起き上がり、閉じられた襖を開くと見慣れぬ女性と鉢合わせた。

 いや、旭はこの女性を知っている。今日――正確に言えば昨日知り合ったばかりの魔女、ルディだ。色々あって、旭は彼女を自室に泊めている。

 じゃあなんでこの女は全裸なんだよ。

「ぎゃあああ! ごめんなさい!」

 年頃の男児であるところの旭は、わけもわからずとにかく謝りピシャリと襖を閉めた。

 見えてない。何も見えていない。しっとりと湿った京緋色の髪だとか、服の上から見るより更に大きな胸だとか、その中心に位置する少し大きめな輪っかだとか、そこに聳える突起の色だとか、そんなもの全く知らない。見ていないのだから当たり前だ。

 最後に見た異性の裸は小学生の姉。いや、親戚のお姉さんだったか。とにかく、京緋色の髪の女性では断じてない。

 興味本位で石段を駆け上がった時と同じぐらい息を切らした旭は、息を整えるまでの間に汗だくになってしまった。張り裂けんばかりに高鳴る心臓は、このまま死んでしまうのではないかとすら感じさせる。この場合、死因はショック死になるのだろうか。直前に大罪を犯したわけだがから、堕ちる先は地獄だろう。

 それからしばらくして、黒衣を身に纏ったルディが襖を開いた。昼間のものとはまた違う、ゆったりとした……寝間着のようなものだ。

 一歩退いた旭に、彼女はデコピンをお見舞いした。

「……私も迂闊だった。今回はこれで許してやる」

 感覚が鋭敏になっているのか、そう強く弾かれたわけでもない額がじんじんと痛む。

 深呼吸して、喉の乾きを思い出す。からからになった喉を潤すために落ち着かないまま飲み干した水は、いつもと変わらないはずなのに生き返るほど美味しく思えた。

 そそくさとタオルケットにくるまった彼女に、座布団に腰を下ろしながら旭は問う。

「温泉、入らなかったんですね」

「探したが、見つからなかった。設計がどうかしている」

 それで仕方なく部屋のシャワーを使ったのだろう。何も知らずに目的地に辿り着けるほどこの建物は甘くない。部屋をこちらに移した当初、旭も暁火も毎日のように迷ったものだ。

「そのうち案内してあげますよ」

 ついつい先輩面をしてしまう旭。近所に自分よりも若い人間が居ないこともあって、ついつい嬉しくなってしまう。

 しかし気に障ってしまったのだろうか。ルディはしばらく黙り込む。気まずい沈黙に耐えかねて旭が顔を覗き込むと、彼女は不意にこう言った。

「……確かに、私はここに居た方が都合がいいかもしれない」

「え?」

「明日以降の話だ。宿の話、今晩のことしかしていないだろう」

 そうだ、すっかり忘れていた。

 彼女がここに泊まるというのは、とりあえず今晩のみの話だ。そこから先のことに関しては、何一つ考えていない。

 ルディはゆっくりと身を起こして言う。

「察しているかもしれないが、私は……まあ、いわゆる悪魔祓いだとか、ゴーストバスターだとか、そんな類の者だ。今回はこの街の調査に来た」

 それはまあ、なんとなく、わかっていた。旭が頷くのも待たず、彼女は続ける。

「お前も見たあの妖怪……ろくろ首。あんなのがこの街にはウジャウジャ居る。あれを散らす……つまり倒すには、ヴィルデザイアが必要なんだ」

 その真剣な眼差しに吸い込まれてしまいそうで、旭は固唾を飲み込んだ。緊張しているのは同様なのだろう。一呼吸置いて、彼女は言った。

「私は諸事情でアレを使うことができない。だから……手を貸してくれないか?」

 旭は、首を縦に振ることができなかった。

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