最終章「気持ち半年後の文化祭」-その3

 保食と共に着替えを済ませた俺片喰禊は、校庭へと出ていた。

 何故この太陽光苦手族寝不足科専攻インドア派主席たる俺が、態々一番五月蝿そうな文化祭と言う日に、日光が照りつけ地面が身を焼く屋外へと姿を晒したのかと言うと、俺が心配で心配でたまらない保食葵お嬢様の為である。

「こんなところにまで付き合わなくて良いのに」

「そうも言ってられねえよ。大ボスのお父様にあんだけ啖呵切った以上、ご挨拶とボディーガードはやらないとな」

 今日の文化祭には、一般来場者と自衛隊志望の学生向けに設けられた、自衛隊の演習見学スペースが設けられている。保食は当然自衛隊の面々に挨拶が必要というわけで、数日前に彼らの大将たる保食の父親に盛大に声をあげた俺が、保食の横にいないと口だけの人間になってしまう。

「とりあえず、ちゃっちゃと済ませようぜ。目が痛ぇ」

「今日は日差しが強いですしね。不眠症の片喰さんには厳しいかもしれませんね」

 後ろから音もなく近づいた影とそこから聞こえた声に、俺は少しからだが跳ねた。

「うおっ」

「驚かせてしまいましたか。ですがこれからはこのくらい察してもらう程度にならなくては」

「あまり片喰くんをからかわないで、結平さん」

 保食が男の名前らしきものをを呼ぶ。

「ああ。自衛隊の人」

「そうです。結平緋色と申します。今後あなたに指導を行なう一人です」

「片喰禊です。よろしくお願いします」

「畏まらないで。葵さんも、ご挨拶はもう大丈夫ですので、文化祭を楽しんでください」

 結平緋色と名乗った男が、俺と保食を気遣う。

「ですが……」

「あまり葵さんが我々と接点を持っている場所を見せて注目を集めたくない。と言うのも理由のひとつです。ご挨拶であれば、今後片喰さんともお話する機会は増えますし、是非そのときに」

「……保食、お前に任せるぜ」

「なら、行こうか、片喰くん。私かき氷が食べたい!!」

「そうだな」

 結平さんと俺は簡単な会釈をして通り過ぎる。そして、今まででは面倒くさがりすぎて考えられなかった、つかの間の学生らしい時間を満喫する。かき氷を作ってるところへ行き、ブルーシートまみれの体育館で軽音部のライブを見て、自分達のクラスのメイド喫茶で今度は堂々と客になった。店内では勝浩と舜月が騒いでいて頭が痛くなったが、今まで自分が運んでいたオムライスを保食が嬉しそうに食べる姿は、目に染みない、優しい眩しさに包まれていた。

 満足げに二歩前を歩く保食が、振り返って俺に尋ねた。

「片喰くん。次は何処に行こうか? さっきっから付き合ってもらってばっかりだし、そろそろ片喰くんの行きたいところに行こうよ!」

「……そうだな。屋上がいいな。入れるかわからねえけど」

「わかった!!」

 保食の二つ返事の早さに俺は少し気圧されたが、その素振りは見せなかったつもりだ。

 屋上には案外簡単に入ることが出来た。ブルーシートが敷いてあるだけで、人目の無いタイミングでそれを避けるだけで外に出るのは容易だった。

 しかし、屋上は今までの俺の知る風景を保ってはいなかった。

「三咲から聞いてはいたけど、とんでもねえ吹き飛び方してんな」

「フェンスも無い……」

「ドアも変えられちまうだろうからな。入れるのは今日最後だな」

「残念だね……」

 どこかに座ろうかと思ったが、予想以上にその辺の瓦礫等々が汚かったので諦めた。

「あっ」

 保食の何かに気がついたような声を聞き、俺はそっちを振り向く。

「お弁当のゴミ、捨てて無かったね……」

 瓦礫の下に、コンビニの袋が引っかかっていた。

「……そうだな」

 俺と保食はこの前フェンス越しに見ていた風景からフェンスが消えたことに少し淋しさを覚えながら、その景色を見ていた。三咲との時とは違う、会話の無い時間が流れていた。

 しかし、その時間はさほど長くは続かず、俺のほうから自然と言葉が出た。

「なんか……申し訳ない」

「え?」

「俺が余計なことをしたおかげで、お前の人生に俺が暫くついて回ることになっちまって」

「そんなことないよ」

 保食はこの暑い日差しの中で、更に鬱陶しくなるような暖かい声で俺の言葉を否定した。

「私はね、片喰くん……いや、禊くん。私は禊くんの優しさに甘えているの」

「へ?」

「君は自分のために人に優しくなれる」

「だからそれは優しさじゃn」

「優しさだよ」

 決して大きな声でも、迫力があったわけでもなく、それでも目の前の少女の言葉には力を感じた。

「禊くんは私には裏表がないから」

 今までの言動を振り返った。

「……確かに」

「あの日がもう半年くらい前のように感じるけど、私はそのときに禊くんの良いも悪いも知った。私がどう思ってるかなんて知らないはずなのに、お父さんに声をあげた禊くんの優しさに、私は甘えてるからこうして一緒にいるんだ」

「保食……」

 俺は彼女に返す言葉を探すが、見つからない。

「そういえば、聞かせてよ」

「ん? 何を」

「情報処理室で言ってたこと、『私の優しさに甘えている』って」

 そんなことを言ったような気もする

「ああ。それか」

「無事帰ったら話すって言ってたよね。そろそろ教えてくれてもいいんじゃない?」

「もう言ったと思ってたけどな」

「いつ!?」

 保食の顔が近くなる。髪の毛から優しい甘い匂いが漂う。

「どうして助けに来たのか俺に聞いたとき、アレがほとんど答えだよ」

「どんなこと言ってたっけ?」

「お前の俺への過大評価を利用して、お父様とのパイプを作っていいとこ就職したい、見たいな話だよ」

 保食は首を傾げる。相変わらず近い。

「そういう話だっけ?」

「まあな。あの時は特にな」

「でも私が可愛いからそんなの関係なしに助けに来てたって」

「一緒に逃げてたときは、正直貴族の仲間入りすることしか考えてなかった」

「私が捕まってからかわいく見えたの?」

 俺は自分の言っていたことを思い出して恥ずかしくなる。

「いや。アレは。何というか。言葉のあやっていうか……」

「やっぱちょっとヘタレなときもあるね」

 保食は軽く笑ってから右手を伸ばす。

「始めて握手をしたのもここだったっけ。私のことは『葵』って呼んでよ。防衛大臣の苗字を呼び捨てとか、怖いでしょ?」

 葵の伸ばした手を、俺はしっかりと握る。

「はぁ……考えてた言葉が全部抜けちまった。ここで何かズバッとかっこいい一言が言えりゃ俺も主人公の仲間入りなんだろうが、アドリブじゃボロが出ちまう」

「別に禊くんのボロなんて結構いろいろ見てる気がするから今更大丈夫だよ」

「ちょっと嫌だな」

 葵がクスクスと笑う。

「禊くんはもう、禊くんの中で主人公になってるはずだよ」

「違いねえ。俺は俺以上に俺の欲求を叶えてくれる神を知らねえ」

「こういうときは良く舌が回るよね」

「これしか取り得が無くてな、死にそうな時でも口が動きやがる」

「死にそうな経験をしたから言える台詞だね」

「だあああああああ!! 話がどんどんずれていく!!」

「わざとだよ」

 互いに腕を握ったまま方向性の定まらない会話を続けていた二人が、その奇妙さに笑い出す。

「ふぅ。何から何まであの日に似てんな」

「そうだね」

「そろそろ戻るか。今後とも頼むぜ、葵」

 葵は名前で呼ばれたことに満足したのか、眩しい表情を見せる。

「よろしくね、禊くん!!」

 離した手に残った温もりと彼女の底抜けな明るさが、俺に突き刺さる。きっともう見ることの無いこの場所からの景色を見つめながら、俺もこの少女の優しさに甘えることを誓った。

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