第七章「無謀の騎士」-その5
片喰禊は暗闇の夢の中にいた。
(……死ぬとこうなるのか)
体は動かない。視覚も聴覚も味覚も触覚も嗅覚もない。ただ自分の意識だけが在るような無いような気がする。この後はどうなるのか、天国でも地獄でもあるならむしろそこに連れて行って欲しいとすら感じる。
長いのか短いのかも分からない時間が過ぎたとき、何かが聞こえた気がした。
「――――――!!」
(……なんだ?)
体の感覚は無いはずなのに、左胸に熱さを感じる。
(熱っ……!! やっぱ地獄行きか!? 割にあわねえな)
熱の来る位置から、白い光の線が延びる。
「――――くん!!」
(聞き覚えがある声……誰だ??)
光が大きくなる。禊は感覚の無い手を伸ばすために感覚の無い全身でもがく。
「片喰くん!!」
(……そうだ、この声は!!)
視界が光に包まれるとき、禊は無意識かで悟った。まだ、自分が生きていると。だからこそ片喰禊は、これから一番最初に出逢う人物のための言葉を考え始めた。
片喰禊が目を開く。どうやら情報処理室から動いてはいないらしい。ただ天井が見え、目の前には自らが略奪対象の顔、そして彼の頬に当たる眩しいほど綺麗なオレンジの髪、床に突っ伏しているにしては柔らかさに包まれている後頭部、自分のポジションを把握するには十分な推測要素が揃っていた。
「片喰くん!!」
必死の葵の叫びに、禊は必死になって最適な答えを探した。探した挙句、結局どうしようもないほど寒い冗談を言うくらいしか思いつかなかった。
「……天使のお迎えってことは、どうやらもう死んじまったようだな」
葵も禊の会話のテンポが分かってきたのか、すぐにジョークを返す。
「贅沢なあの世だね」
「全くだぜ」
安堵からか、禊は笑う。反対に葵は涙を流し始めた。
「どうして……私を助けに来たの?」
「理由か……」
数秒考えた禊は、最も自分らしい最適解を探し自分らしさの迷路に迷い込む。目の前で自分の為に涙を零してくれる少女に、ただ欲求を叩きつけるだけでは納得がいかない。
「大丈夫? まだ完全に治ってるわけじゃないから痛いのかな」
答えを出すのに固まっていた禊は、葵が投げた言葉によって、戻ってきた五感と同時に痛覚に迫られる。
「い“っ”っ“っ”っ“っ”っ“!!」
よくよく思い出せば当然だ。目に見えてやられている左腕と左脇腹に開いた風穴、そしてバキバキに砕けている右足が……
「……手当てがしてある」
「それは三咲さんがやってくれたの」
「そうだ三咲は!? なんならそこで最後っ屁かましたクソ野郎はっづあ“っ”!」
「三咲さんが拘束して連れて行ったよ。多分もう然るべきところに身柄を預けてるんじゃないかな」
葵は涙を右手の親指で拭う。
「そうか……でも、なんでだ?」
禊には別の疑問が浮上した。
「ん?」
「俺は体のこと度外視した魔法を使ってズタボロだったはず。痛ぇもんは痛ぇけど、こんなに軽いものじゃないんじゃ――」
「私の魔法」
葵の早すぎる回答に、禊は困惑した。
「……え?」
「私の魔法で痛んでた内臓系を治療したの」
魔法は本来そんなに万能ではない。この世に存在する魔法は、ファンタジーなどでありがちな魔法の形とは程遠い。火を噴いたり凍らせたり、雷を出したりはできるが、都合のいい場所に出すことは出来ず、必ず自身のどこかしらが開始点となる。ましてや治癒魔法などという贅沢なものは、魔素の性質上実現はほぼ不可能とされている。
「いやいや、そんなのアリかよ……」
思わず一言漏れた禊に葵が少し頬を膨らませる。涙で少し赤くなった目で膨らむ頬も、少しかわいらしいという感想を禊は胸の打ちに秘めた。
「私だって好きでこんな力手に入れたわけじゃないんだから!!」
禊が膝枕から体を持ち上げる。
「どうりでこんなとこ来るわけだ。どうしてそんなこと出来るのかわかってるのか?」
「まだ分からない。私の魔素を送り込むと、何らかの変異を起こして活性化して、細胞に何かを働きかけてるみたいなんだけど、それがどうやって起きてるのかは……」
「そりゃそうか。まあいいや。助かった、ありがとな」
葵の膨らんでいた頬が縮む。
「……うん」
禊が鼻から息を抜いて笑顔を作ると、先刻の質問に回答する覚悟を決めた。
「さっきの質問だけどな。なんで俺が来たかって?」
「そう……どうして、片喰くんならそのまま黙って身を引くほうを選ぶと思ってた。相手の価値観を否定しないのが、片喰くんだから……」
葵の言葉は、語尾の歯切れが悪いまま止まってしまう。
「実害が出ちゃそんなことも言ってらんないよ」
「でも自分優先って!」
少し涙を浮かべながら、葵は少し強い声を出す。
「自分を優先した結果がこれだったんだよ」
禊はひとつひとつ理由を述べ始める。
「保食が防衛大臣様の娘だったこと。自分が逃げて人を見殺しにしたとして、その時自分自身に降りかかる圧を嫌ったこと。逃げ出して『臆病者』のレッテルを貼られたくなかったこと。全部うまくいったときに報酬とか人脈等を確保できること。仮に奴らの言ってたことが本当に実現したとき肩身が狭くなりすぎること。他にも大量に、自分のことを考えた結果だった。保食が普通の生徒だったら逃げてたかもしれない」
片喰禊は赤裸々に語った。保食葵はあふれ出そうな涙をこらえるため俯いた。彼の正直さは、自分を完全に信用しているからだと言うのを彼女は分かっていた。悔しさも嬉しさも、怒りも悲しみも喜びも、今の葵には多くの感情が、その涙を吐き出させようとしていた。
「でも、やっぱり俺はお前のこと奪いに来てたよ」
葵の落ちていた首が持ち上がる。禊は彼女の瞳を見て、耐えられなかったのか目を逸らす。
「だって、かわいぃ……か……ら」
あまりにもたどたどしい、まるで頼りにならなそうなナイトの口説きに、今まで耐えていたお嬢様の涙腺は遂に崩れた。
「うわああああぁあぁあぁあぁああぁぁああああ!!」
涙を隠すように、それでいてその意味をしっかりとかみ締めさせるように、葵は禊の胸に顔を預ける。彼の背中に手を回し、力強く抱きしめた。
「い“っ”っ……」
痛みから大きな声が出そうになる禊だったが、涙を流してる女の子が抱きついてきているのに、痛みに身を任せて叫ぶことは出来なかったようだ。
「幻滅したか? ごめんな」
「ヘ“タ”ク“ソ”!“!”」
葵のこの罵倒の意味が、禊には分からなかった。ただでさえこういった経験の少ない禊が、戦いを終えてアドレナリンも切れ、痛みと疲労がにじみ出ている中で、最早答えを出すことなど出来るはずも無い。
「……へ??」
「もっと男らしく言ってよ!!」
葵の腕に更に力が入る。
「いや……その……恥ずかしい……」
片喰禊は、さっきまで見せていたジョークを出す余裕はなく、朝の彼同様その童貞たる所以を見せ付ける。保食葵はあまりにも今までの禊と言動が違いすぎて、違和感に近い何かを感じたのと同時に流していた涙が弱まっていく。
「……なんかさっきまでと言動違わない? なんか独特なアメリカ人みたいな喋り方どうしたの?」
今までの言動が無意識だったのか、度肝を抜かれたような顔をした禊は、思い出しながら「確かに」と納得したかのような表情で、力を抜きこう口にする。
「その……女性とこういう話する経験が、あんま無いんだ。いや、なんか、口説いたみたいなことして悪かったけど……ごめん。いや、これはこれで恥ずかしいな……」
「……少し落ち着こうか」
「……そうだな」
会話の流れがどうやってもうまいところに帰ってこない二人は、一旦会話をやめることでどうにかしようとした。しかし、時間にして数秒も持たなかった。
「……バブみ感じる?」
「……うん」
「そろそろ行こっか」
「うん」
過去の会話を思い出して恥ずかしくなっている彼らは、触れていた体を離して立ち上がる。右足が崩壊してまともに歩けない禊に葵が肩を貸す。部屋の外に出ると、若干沈んでいる日光が窓を通り越して入ってくる。その光が禊の目に入る。痛覚の許容量を超えているのか、葵の眩しさに慣れてしまったのか、いつもの痛みが感じられなかった。
午後に帰る筈だった禊は、既に普段の放課後と同様の時間帯になっていることで疲労をより強く感じた。ともかく今日と言う日のこの男の戦いは、もう終わったのだ。
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