第七章「無謀の騎士」-その1

 禊は腕が凍傷になる前に、凍った血液を溶かす。そのまま左腕に刺さったナイフを抜く。

「あ“あ”っ!!」

 腕を伝い、まだ冷えたままの血が火傷した掌を冷やす。肘より下に力が入らない。

「無事かしら」

 蘭が壁に背中を預け落ちる。まだ桑島に殴られた衝撃が抜け切れていないようだ。

「お前よりはな」

 禊が立ち上がる。

「コイツのこと拘束するもんあるか?」

「ん……無いわね」

 蘭は遅れて返答した。禊は知っていたと言わんばかりに続けた。

「まあ仕方ねえか。小一時間は起きねえだろ」

 禊は血を垂らしながら歩き始める。

「アンタ。傷くらい塞いだらどうなの」

「止血する道具も余裕もない。保食は、きっとこの先にいる」

 禊は自分の状態を思い出し、魔素軍用食を手と歯で袋を破り口に入れる。

「うぐっ……!!」

 魔力が急激に魔核へと入っていく感覚で、禊は激しいめまいに襲われる。

(まだだ……まだ耐えろ……!!)

 3秒後、耐え切れなくなった禊は、廊下に吐瀉物をぶちまけた。魔素を吸われた残りカスが出てくる。

「こっちだって腹にいいの貰ってるのに、辞めなさいよ」

 蘭は禊の方を向くことなく言った。

「もうアンタが行ってどうにかなるものでも無いでしょ」

「どうだろうな。ただ、今俺以外にやれる奴はいない。そして、俺はやりたい」

「何のために? そこまでして名誉が欲しいの」

「ああ。欲しいね」

 禊は、今朝の自分を思い出した。眩暈も吐き気が加わっただけで、今と大差ない。今朝家を出るまでに開けた扉と、これから敵の居座ってる場所へ突っ込んでいって空ける扉を、禊は重ね合わせていた。

「キャリア形成に失敗して、選んだ高校間違えたなんてことを考えて、想像以上に真っ暗なお先に対して、それでも無理して元気を装って家を出るのと」

「片喰禊……アンタ……」

 蘭は思わず、何かを言おうと何もいえない口を開く。

「最早死ぬ確率の方が高いクソみたいな争いに、お嬢様のおこぼれで成り上がるって言う、アポもない交渉のために突っ込むのと、俺に取っちゃ大して変わらんのさ。むしろおまけがつく分こっちのが良い」

 蘭はもはや禊を止める言葉を考えるのをやめた。ライバルに対して、自らの敗北を認めたのだ。チキンレースにおいて、蘭では禊には勝てない。それを、芯から思い知らされた。あの男になくて、彼女にあるもの。三咲蘭は自分の持って得た才能によって負けた。

「そう。私は少し休んでいるから。勝ちなさいよ」

「任せろ」

 禊には既に敵を倒すための算段がついている。成功するかどうかは別として、可能な限りその場の判断が必要な局面を排斥した策を考えた。

 今の片喰禊には、目の下の隈も、日光が痛む目も、自らで焼いた掌も、穴が開いた腕の熱も、魔素軍用食によって胃の荒れ模様も、気持ち的に消し去っていた。そうして彼は、三咲蘭に聞こえる独り言を呟いた。

「さて、鐘が鳴っちまう。ラストダンスの時間だ」

 精一杯のポジティブ精神を抱え、禊は情報処理室へと足を運んでいく。

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