第五章「熱で撃鉄を叩け」-その2
予想外に足に響く衝撃に、非日常によって大量分泌しているアドレナリンによる高揚感が少し静まるのを感じる。たどり着いたはいいが、強化ガラスはそう簡単に割れるものではない。そして俺は不安定な縄に宙吊りの状態である。魔法を使い拳で叩き割る方法もあるが、魔力の温存と破片で下手に怪我することへの危惧が俺を躊躇わせた。
「こいつでぶち破る方がお利口だな」
壁が削れていき、徐々に片喰禊の体重を支えきれないことをアピールしているお手製ジップラインを見て、俺は左腕でロープを直接掴み、カラビナを外す。ドイツ製サブマシンガンRF-715を構え、セーフティを外した。
壁を蹴り後ろへ飛んだところで目の前の透明の板目掛けて鉛の嵐を降らせる。これほど豪快に窓を開けたのは、勿論このしょうもない人生において初めてだ。
体が落ちていき、反動で今まで隔てていた壁のあった位置程度まで加速したと同時に左腕を離すと、限界を迎えたナイフが地面へと落ちていく。
穴だらけになったカーテンを引っつかんで着地の邪魔にならないように開け放つ。硝子の破片が上履き代わりに履いている体育館シューズに踏まれて、乾いた音を立てる。
向けられた銃口から逃れるように俺は咄嗟に走り出した。
「止まれ!!」
狭い通路の前後から小銃を抱えた男が飛び出してくる。
俺は、銃口を向けている奴から止まれと言われて、止まっていい身分の人間を知らない。通路の中央ほどまで走りながら、ポーチの中に左手を突っ込み、簡単に周囲を確認する。
(三咲の言うとおり、壇上にご丁寧な舞台を用意してやがるな。人質は全部中央か)
確認だけして整理する余裕なく、片喰禊は通路の手すりを飛び越える。その頃、ようやくポーチの中からお望みの品を取り出すことが出来る。
「インテリ共よ頼むぜ……!」
俺は取り出した三つの二百五十ミリリットル缶程度のサイズのスモークグレネードのうち一つを正面に落とす。残りの二つは思い切り左右に投げた。
ボン、と鈍い音と共にスモークグレネードは破裂する。時代の賜物だ。かつての煙幕より展開が早く目標の隠蔽が即座にこなせる。五十年前のそれでは、おそらく間に合わなかっただろう。俺は科学の進歩に感謝した。
更に俺の感謝は時代に止まることなく、慎重すぎる相手にも向けられた。
「吸い込むな! ガスの可能性がある!!」
「爆発物かどうか調べろ!」
俺は人質の塊へ飛び込んだ。
煙の中で必死に俺を視界に捉えようとしている人間が三人いることは確認していた。今まで同様武装をした者二人と、見覚えのないスーツ姿の男が一人。正面にいた兵士を避ける形でまずスーツの男を、と言いたいところだが非武装の男を一人相手取っている余裕は正直ない。回り込む時間すら惜しいので、俺は直接突撃する。
煙の中、まともに視界も取れず、歩幅のある程度でどのくらいまで近づいたか勘で悟るしかない。数歩歩いたところで、俺は低い姿勢をとった。どんなに殺しても消しきれない足音の存在を諦め、叩きつけるように地面を蹴り上げた。
「そこか!!」
鉄の弩が自分の正面上側で構えられたのに気づき、俺は脚で無理やりブレーキをかける。
倒す手段は既に決めている。
力強く踏み込んだ左足だけでは止まりきれず、右足が前に出る。俺の体が目の前の男の体に図らずも接触する。勢いが止まりきらず、衝撃と共にバランスを崩していくのがわかる。
「くっ……!」
自分の不手際ゆえに起きた予想外の事態に声が漏れる。
しかし過程はどうでもいい。こいつを仕留めなければ俺が死ぬだけ。
俺は右手に魔力を送り込んだ。なんとも不思議な感覚だ。もう何年とやっていることだが、本来人に与えられていなかった機能と言うこともあってか、いつまでも違和感が残る。だが、今の俺にはその違和感が自分の腕の感触を味わわせてくれて、下手な高揚感で切り離されつつある肉体と思考をつなぎとめてくれるようで、少しだけ冷静になった気がする。
二人の体が地面に叩きつけられ、別の衝撃が体を襲うが、そこで思い悩むという思考を俺は捨ててきた。指の先に溜め込んだ魔力を使い、空気中の元素から電子を強引に引きちぎる。電圧だとか電流だとかそんな細かい調整は出来ない。ただありったけをぶちかます。人差し指と親指の間で行き来する電気をそのまま男の首筋に当てる。自分の中で人を抵抗出来ぬ間に気絶させることの出来る魔力量が、大体全力の半分である。数字で具体的に表されているわけではないが、ともかく調整して人差し指と親指の間に電気を流す。
「なっ……うっ!」
男は一瞬体が揺れたかと思うと、そのまま伸びてしまう。適当に転がして、俺は膝で立ち上がる。
「片喰か!?」
少し抑えられた聞き覚えのある声に、俺は一瞬だけ手を止める。
「好宮先生ですか」
「ああ。お前がこんなとこに助けに来てしまうバカだとは思ってもいなかった」
「その話は後にしましょう。とりあえずこいつ、でっ!」
禊は刀を抜き、そのまま地面に直角になるように刺した。
「とっとと縄切っちゃってください」
「言われなくてもやるさ」
言い切ることには、先生は後ろで結ばれた両手のロープを切り落とした。すかさず俺は、ポーチからいろいろと渡す。まずは、三咲から借りたナイフを手渡しする。
「刀で紐を切ってもらうのと同時にこいつも使って、なるべく早く全員を解放して逃げる準備を」
次に魔素軍用食を数個とスタングレネードを落とすように置いた。
「先生がどう逃げようと考えてるかは知りませんが、魔力の調達と目くらましはこいつを使って」
「準備がいいもんだな」
先生は眉ひとつ動かすことなく言った。
「言ってる場合ですか。あと武器はそこに転がってる男のとコイツでなんとかしてください」
最後に先ほど窓を叩き壊すために使った短機関銃をリロードもしていないまま弾倉と共に置いた。
「もう一人を倒します」
「そっちを優先するか、お前は――」
会話に割って入るように男が声を荒げる。
「聞こえてるんだよ!! どこだ!?!?」
兵士は銃を振り回す。服がこすれる音が奴の位置を示す。
少ない視界を頼りに、床に座らされている学生達を避けながら、俺はあえて足音を打ち鳴らし最短距離を駆ける。
「そこか!!」
兵士は銃を鈍器代わりに振り上げた。俺にしては気がつくのが早かったと思う。体が動くかどうかは別だが。そんなことで止まるようには俺の体と思考は出来ていないので、当然のように突っ込む。このときの俺はタックル決めて体制崩せばいいと思っている。さっきの成功例に乗っ取り、コイツも同じように痺れさせればよいと思っていた。
しかし、一回使った手というものは、存外対策されるものだ。
ぶつかったことによる衝撃があるというのは変わらない。が、倒れる瞬間の浮遊感が襲ってこないことに気がつく。
「あれだけ散々音を立ててんだ。そのくらいの予想は普通つくぜアホめ」
視界は確保できていないが、俺の眼前には、いかにも嫌味なオッサンの汚い笑みが見える。やけになって押し続けてみるが、体幹が強いのか全くもって動かない。
「必死こいて踏ん張ってたと思うと笑えるぜオッサン」
どうやら俺は、体は動かないくせに口はまあ良く動くらしい。今思えば散々大口叩いてた様な気もする。そういう才能だというなら、そういうものを活かす術もあったのかも知れない。
しかし、走馬灯と言うのは意外とどうでもいいことを思い出すものなのかと実感した。いや、たかだか銃のストックで殴られる程度で死ぬほどでもないのだが、さっきの話を聞いてみた印象だと、多分舌を噛み切って自殺することも吝かではない思う。
「言ってろ。じゃあ、お休み……うっ!」
武器が振り下ろされることはなく、その代わりに、力の抜けたように男の体が崩れ落ちていった。
俺は釣られるように落ちていく体を、剥がすように無理やり離れて避ける。
「お前がバカ正直に走ってくれるから隙だらけだったな」
重い音の後に、その声の正体である好宮先生の、身長百七十八センチである俺より少しだけ小さい影が見えた。
「自分のかわいい生徒をデコイにした気分はどうです?」
「別にかわいくもないし、大して感情も湧かん」
「こりゃひでえや。……とかはどうでもいいか。とりあえずここの人たちを解放して、逃げましょう」
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