第四章「巻き込まれた協力者」-その7

「来た」

「私はこっちから目が離せないから。確認したら教えなさい」

 禊は送られてきた文章データを展開し、一字一句を叩き込む。

しかし、ある程度の長文を送られてくることを覚悟していた彼は自分の考えていたより遥かに文章量が少ないことに驚いた。

「冗談だろ……」

「何があったの。あんま躊躇ってると辞めるわよ」

 禊はゆっくりと、再度文章を、今度は音読した。

「『保食葵の身柄の再度要求、渡せない場合は現金百億円でも可とする。時間はあと十五分。保食賢三が大臣を辞任すれば時間を三十分引き延ばす。要求が飲まれない場合、五分で一人殺す。強行手段をとった場合、全国各地のノーブルベアー構成員が各役所を総攻撃』……」

「……」

 二人の間に約五秒の長い沈黙が訪れた。言葉を忘れた頃に蘭が声を出す。

「アンタ嘘ついてるわけじゃないわよね?」

「むしろしたたかなのは奴らだぜ。もう捕まえてるから身柄を差し出すことは出来ないって高をくくってやがる。クソッタレ……!」

 禊はいつの間にか掴んでいたフェンスの形が歪んでいるのに気づいて、そっと力を緩めた。

「落ち着いたかしら? こっちは人質の生徒が一人壇上側に連れて行かれるのを見たわ。詳細な場所は不明」

 蘭は禊に目もくれず、淡々と報告する。禊も腹をくくったのか、少々嫌味たらしくも返答する。

「そうかい。これで要救助者が五十倍に増えたな」

「あら。アンタの口ぶりだったら、最初からそのつもりだったように聞こえてたけど」

「まあそりゃ最悪の事態は考えてるけど」

「ならいいじゃない。私もそのつもりで協力することにしたんだから」

「楽に越したことはないでしょ」

「言ったって仕方ないでしょ。大体どの道体育館を襲撃するつもりだったんでしょ? わざわざ屋根まで渡って遠ざかって、結局何がしたかったわけ?まさかアンタごときの腕でその特性の一切合ってないポンコツでこの私と同じことをするつもりじゃないでしょうね?」

蘭は自信満々に、それでいて少し怒り気味に禊へと問うた。禊に対して並々ならぬ対抗心を燃やす蘭にとって、これはとても不愉快なことだからである。


 片喰禊に対して三咲蘭が張り合うようになったのは、一年の終わりごろである。それまで成績でも能力でも下から数えたほうが早いような散々な結果だった禊が、「せめて学問だけでも努力せねば」と勉強の仕方を自ら考えた結果、自分の勉強適性が書くことより読むことにあると確信した。仮に英単語であれば、一単語を五回書いて一日六十単語を三十分で勉強するより、一秒で一単語を読み、千八百単語を毎日三十分で一回読みきったほうが覚えが早い、といったコツを禊は勉強する中で掴んでいった。

 そして学年末試験で禊はいきなりドベからテッペンまで順位を伸ばした。成績表の上位にいきなり連なった「片喰禊」の名前に、エリート志望の優等生達は自らの椅子がひとつ減ることの危惧と新たなる刺客の参上に過敏に反応した。その一人が三咲蘭である。

 三咲蘭は戦術論に関して高い理解度と応用力を有し、その成績は学年で一位だった。また、彼女の狙撃の腕はとても秀でたものである。生まれたときから超魔核だった彼女は、小学生の頃から厳しい親の元に優秀な人材となるべく育ってきた。精神を強くするようになどという、一昔前のような理由で始めさせられた弓道であったが、空間把握能力をつけるという意味で役に立ったのか、狙撃銃による精密な射撃は目を見張るものとなった。しかし、彼女はエリートとしての内勤を望んでおり、自衛隊士官において重要視される戦術論には力を入れていた。

 そんな中唐突に現れたのが片喰禊である。この男がいきなり優等生の座に現れたこと。そしてあろうことか、三咲蘭のひとつ上の順位に立ったこと。更にはぽっと出の男が戦術論で百点満点を取ってしまい、今まで必死に努力して勝ち取ってきた学年一位の座を奪われたこと。これだけ重ねれば、気難しい彼女の神経を逆撫でるには十二分であった。その上で「たまたま百点だっただけだ」などとのたまう輩の噂を聞けば、当時の三咲蘭は、血液は沸騰を通り越して閃光を撒き散らさんばかりの勢いだった。事実たまたま満点を取っただけだった禊は次の試験で蘭に栄光を明け渡すのだが、未だに彼女はこの男のことをよく思っていない。

 ハンドガン演習においても少しだけ順位が上の片喰禊に対して、三咲蘭は強いライバル意識を持つようになった。現段階で彼女が禊に対して優位性を持っていると自負しているのは、狙撃の腕だけである。だからこそ、今この場で狙撃の専門演習を受けていない彼に、ましてやサブマシンガンでスナイプなど任せることは当然出来ないものである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る