第三章「革命家は笑う」-その2

「葵おじょうさm……ッ!」

 右足で机を蹴り飛ばし、百八十度半時計回りに体を回しながら飛び出す。手の甲を下に腰まで引いた拳を、捻りながら上前方へ突き出す。全身で一撃を放つ。拳と同時に腰にも回転を加えていく。

 今は、今この瞬間だけは、自分の拳が最速であることを信じる。そこに邪念は不要だ。振り抜け。振り抜け! 振り抜け!!

(振り抜けええええええええええええええ!!!!)

「片喰くんまって!!」

 標的の顎を捉える数センチメートル手前で俺の拳が止まる。しかし、拳の先に相手の手が構えられていたことが分かる。大した話ではないが、俺はそれこそ実戦に関しては圧倒的に苦手だが、型にはめた動きそのものに関して言えば、ほぼ完璧にこなすことが出来ると自負している。ましてや、空手道は俺が好きで授業に集中していたこともあり、正拳突きの基本の動きである拳と腰の捻りは、体育教師からもそれなりの評価を得ていた。相手の隙をついたこの一撃は、俺にとって確実に相手の顎を捉え、仮に意識を刈り取ることは出来ずとも、確実にダメージを取ることは可能だと考えていた。しかしこの相手は、あの瞬間で俺の渾身の一撃に対して、あろうことか対策を立てていた。

俺があの拳を止めることをできたことにも困惑していた。保食葵の言葉に反応してから止められるほど器用だったら俺は困っていない。考えて行動する。この一連の流れが確実に出来ない場合俺の動きには迷いが生じる。その特性を一番把握しているのは俺だ。だからこそ、今の突きは奴に拳を「振りぬく」ことまで想定していた。他の要素を全てかなぐり捨てた、終わるまで止まらない突貫。俺が校内で模擬戦等において勝利したパターンは、これを相手に妨害されること無く突き破れたことによるものだ。作戦は曲げない。曲げたら勝てない。要するに自分から二分の一の賭けを仕掛ける以外に押し通す方法を持ち合わせていないのだ。

 今の俺が考えうる、この拳が止まった理由は二つ。

ひとつは葵が止めた、その言葉に反応したから。彼女と俺の今置かれている状況は非常に特殊である。彼女のことは常に意識としておいていた。それが過剰に反応して、彼女の一言で拳が止まったのか。

もう一つの理由。

――俺が、自分の判断に迷いがあり、その迷いが、恐怖が、俺を止めた……?


長々と自分の中で考察を伸ばしていると、目の前の男が口を開いた。

「葵お嬢様。無事でしたか!」

 保食は、ばつが悪そうに答えた。

「ええ。そこの彼のおかげでなんとかね」

「そうでしたか。先ほどの拳、お見事でした」

 急に今まで殴り飛ばそうとしてきた相手から返答を要求され、俺は一瞬の間を置いてしまった。

「あっ、いえ。完全に見切られていました」

 もっと聞くべきことはあるのだろうが、俺の動揺は他の質問を考えさせる脳の容量を占拠していた。

「いや、私はただ必死になってやっと手を置けただけです。そのまま拳が飛んできていれば、受けきることは出来なかったでしょう」

 俺にはそれがお世辞にしか聞こえなかった。俺の拳をその右手で軌道を変えて左手で掴んで投げ飛ばすなり、そのまま両手で掴んで肘を破壊するなり、顎の手前に右手が添えてあるだけで正直半分殺したも同然である。

 目の前の良く出来た感じの男は、俺の次の疑問に答えるように続けた。

「申し遅れました。私、保食賢三防衛大臣の秘書をしております、柳尚吾と申します」

 秘書というのは、今時護身術も必要とされているのかと、俺はこの厄介な時代の面倒くささの様なものを感じた。

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