序章「プライドに沈まされた男」

慣れ親しんだ頭痛とともに片喰禊(かたばみみそぎ)は目を覚ます。

 これが慢性的な寝不足による結果であることを、彼は重々承知している。理解をした上で寝れないが、精神病の類ではないと自分では決め付けているらしく、病院に行くことはないようだ。

 そうして学校へ向かう準備を整えた彼は、顔を洗い朝食を取る。男子高校生の一人暮らしの朝食のレベルなど想像するのは容易であるが、一応前日の夜に作った味噌汁をすするくらいの活力はあるようだ。猫舌なのか彼は暖め始めた味噌汁を早々に木製のお椀へと移し、テーブルに置いてある食パンを一枚つまみ出し、口に詰め込み味噌汁で流す。和洋折衷というには少々汚いが、今の彼はそんなことを気にするほど脳にブドウ糖が行き届いてないようで、欠伸をしながらそのまま二分程度で平らげる。洗い物を帰宅したあとの自分に託した彼は、なれた手つきで半袖のワイシャツに袖を通す。

「夏休みが……終わった」

彼は鏡に写る制服姿の自分を見て、目の下に出来た隈と向き合いながら呟く。

 彼は自分の一番後悔している過去を悔やみながら、リュックサックの中を見て宿題に漏れが無いか確認する。

 今から一年半前、二〇九八年の出来事である。

片喰禊当時十五歳、中学生時代の彼はまさしく天狗と呼ぶにふさわしい。学力に関して言えば勉強時間皆無にして自称進学校に模試A判定を頂く程度、運動は特筆するほどでもないが陸上部の人間と張り合うレベルに足だけは速い。

 そして何より、彼は超魔核であった。魔力貯蔵量も申し分なく、その能力も優秀であると周囲は評価した。

自惚れに足の先から頭頂部まで浸り圧倒的自尊心に溺れていた禊は、悠々と「国立超魔核試験学校」を受験し、合格枠百人倍率二百倍の中見事に合格してしまう。

真面目風を装うことだけは得意だった禊は、決して驕ることのない雰囲気をかもしながら、教師に感謝を伝え、友と互いの進路が決まった感動を分かち合った。家族は将来に関して心配したが、揺るがない意思を伝えると、納得をせざるを得なかった。

そうして禊は地元栃木県の中学校を卒業し、試験学校のある東京都の郊外へ引っ越した。

――いうなれば陰弁慶の塊である禊は、これから自分の自尊心をハンマーで叩かれた豆腐のように砕かれていくことになる。

入学二週間前に全校生徒が集められ、入学に向けてのガイダンスが開かれた。その場で教師らは、生徒に参考書を配布した。入学式翌日に国語・英語・数学、そして魔法実技の試験をするらしい。


――そう。これこそ高校入った途端に決まる、優劣への決定打であった。


 これまで勉強というものをしたことの無い禊は、解答は丸写し。そんな状態ではテストで高い点数を取ることなど、当然かなわない。国語と英語は単語さえある程度覚えておけば入学直後の試験など大したこともなかったが、数学に関しては、三百ページはあろう参考書の約半分を、解答を見て一度書いた程度で覚えるはずも無く、ものの見事に二十三点という結果を見せた。

 そうして午後開かれた魔法実技の試験だが、ここで初めて自分並、それ以上の魔法を扱える超魔核が存在することを知らされる。結果は下の中といったところ。今まで回りに敵が少ないが故に保たれていた自尊心を砕くには十分な内容であった。

 最後に禊から睡眠時間を奪い去ったのは、実戦形式の訓練だった。ここで禊は、ようやく自分の弱点を知ることになる。


 ――片喰禊は、圧倒的に即興での判断力が不足している。

 実戦に関して言えば、禊は無能であるといわざるを得なかった。言うなれば、知識だけが先行しているタイプである。真面目風を装って綿密に策を練って生きていたこの男は、めまぐるしく状況の移り変わる闘いにおいて、判断が他の人間より遅れているのである。

 そうして禊は、自分がこの学校に合格した理由が「実力が優れていたから」ではなく、「足りない部分を内申点で底上げしていたから」であると知る。

 底が上がると自分が下にいたという事実を知った禊は、次に将来が心配になった。今まで慢心して生きていた人間が絶望すると、人生設計が一気に崩れ落ちたような感覚に落ちる。勉強だけは必死にやって徐々に追いついてきたが、実戦だけは慣れず、どうしてもことをうまく運べない焦燥感から、不眠症は簡単に引き起こった。

 実際には人生なんてものはいくらでも変えようはあり、試験学校内でも、実戦を行なう職以外にも、研究職や官位職なども存在していることは分かっている。しかし、禊の中では、「咄嗟の判断が下せない」ことがコンプレックスとなり、必ずどこか窮地に迫った場面で失敗する未来が襲い掛かってくる。一種の思考がロックした状態に陥ってしまった。

 これは半分正解で、命を預かる職場に行けば、アドリブの力は要求されるスキルのひとつであること。なまじそのことを理解してしまっている禊にとって、これを救うには判断力をつけるしかないと思っている。

 この凝り固まった思考によって片喰禊はどうしようもなく弱い存在になってしまった。

 今片喰禊を支えているのは、努力でなんとかした学力と、進路決定までに残された約半年程度の時間である――。

 

 ひとしきりトラウマを掘り返したところで、禊は家を出る支度を整えた。今日は始業式、そしてこれから始まる文化祭へ向けての準備。

(……せめて催し物くらい楽しまなきゃな)

目下の隈を気持ち的に消し去り、精一杯のポジティブ精神を胸に、玄関の扉を破り夏休みを終えた。

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