第6話


 街はそわそわとしている。街は今、感情を、活力を、溢れんばかり、その身にため込んでいる。もうじき収穫祭なのだ。一年の労働が、報われる日だ。その日に、ため込んだ全てを開放する。一年の終わりを、笑顔で締めくくるために。

 憂鬱だよなあ、と少年は思う。街の飾り付けが、完成に近づけば、近づくほど、競走の日が近づいているという事なのだ。

 少年は今、あの男を恐れていた。当然の感情である。あの男は、少年よりも数段、強い。それでも、競走に出ることを止めるつもりは無かった。

 少年は一人、街を歩く。ヴィンランドを東西に貫く大通りは、活気に溢れている。ブドウを山積みにした馬車が、行き交っている。

 収穫祭の競走では、この大通りを、東から西へ駆け抜けるらしい。平坦な道だ。しかし、当日は、観客が走者を邪魔するらしい。酒を浴びせかけたり、わざわざ障害物を置いたりするのだ。これらも含め、競走であり、祭りなのだ。

 大通の周辺は、酒問屋を始め、いくつもの商店が整列している。流石は目抜き通り。土地が無いので、複数階建ての建物が多い。

「……あそこから、お酒を撒くんだろうなあ」

 下見をしながら、少年は嫌な気持ちになる。時折、開いた窓から、部屋に置かれた酒樽が見える。撒く気満々じゃないですか。と少年は、心の中で思う。

 男との戦いに集中したいのだ。水を(というか酒を)差さないでほしい。

 少年がふと、足を止めた。大通りに面した酒場に入る。好奇の目が少年に向けられる。中には、明らかに嫌そうな顔をする者もいた。ここは、子どもの来る場所じゃないのだと。

 もちろん、そんな事を気にする少年ではない。殺気を向けられても、動じない。慣れている。少年は構わずに歩を進める。

 隅の席の周りで、人だかりができていた。

 歓声が上がった。札が宙を舞う。裸の男が、椅子ごと後ろへひっくり返る。どうも様子を見るに、この裸の男は、賭け事で大負けしたらしい。種目は、合わせ札か。

 男が頭を掻きむしり、悲鳴を上げる。観衆は、その様を見て笑っている。少年は、その輪の中に踏み込んだ。裸の男に、外套を被せてやる。

「やあ、ボクちゃん。ここは、子どもの来るところじゃないよ?」

 くくく、と声の主が笑う。猫背でやたらと高い背丈。そして、身体に不釣り合いなほど長い手足。ついこの前、少年を打ちのめした、あの守り手だ。

「こんな所で、何してるの?」

「今日は非番なんだ」

「……非番か」

 守り手にも休日が有る。少年にとっては、斬新な概念だった。

「それで、少し話があるんだけど」

「俺は休日を満喫していたところだよ」

「一杯、ごちそうするよ」

「そうじゃない」

 男は、自分の対面の席を指で指示した。

「一勝負、しようじゃないか」

「本当にお金、賭けるの?」

 観客たちが、どっと笑いだした。

「当たり前だろ。子どもだなあ。こういう所は初めてか?」

「そうだよ。初めてだ」

 少年は席に着く。

「良いよ。やろう」

「ああ。良いね。遊び方は分かる?」

「一応。この街だけの、特別な決まり手とかは?」

「有るけど、今は無しで良いだろう。二人とも旅人だから」

 合わせ札は、単純な賭け事だ。数字や、記号の刻まれた、数十枚一組の札を使う。参加者(普通は二人は)その数十枚の札から、五枚の札を抜き出す。そして、五枚の札の組み合わせごとに、強さが決まっている。どちらがより強い組を造れるかを競う賭けだ。参加者は妻女に五枚、札を引いた後、一度だけ任意の枚数、札を山札のそれと交換することが出来る。

「悪いことは言わん。止めておけ。今日だけで、その男は三人のけつの毛をむしり取った」

 そんな汚いことしないから、と男から抗議が入る。

「とにかく、カモにされるぞ」

「大丈夫ですよ」

「年長者の助言は聞くもんだぞ。小僧」

 いい加減、無視する。

 少年は、有るだけの硬貨を卓上に積み上げた。それでも、男の積み上げた山は、その五倍も大きい。

「誰か配ってくれ!」

 男が呼びかける。そうして、勝負が始まった。札は、第三者が混ぜて、配る。イカサマを防ぐためだ。

 一巡目、少年の札はまずまずだった。

「交換は無しで」

 少年は言う。

「降りる」

 男が、五枚の札を表向きに、卓の上に放った。勝負をしないと選択肢も有る。その場合、無条件で金を相手に渡すことになるが、普通に負けるよりは、少ない金額で済む。

 少年の硬貨の山が、僅かに大きくなる。

 すぐに二回戦が始まった。

 配られた札は、悪かった。ここで、降りるか。手札を交換した後からでも、降りることは出来る。しかし、その場合、払う額が多くなる。

「少年。どうする? あ、俺は五枚、全部交換する」

「三枚、交換」

 少年は勝負に出ることにした。勝負はまだ始まったばかりなのだ。

 新しい手札は、一応を役は出来ていた。しかし弱い。これは降りるかどうか悩むところだ。

「降りる」

 少年より先に、男が言った。

 男が、札を卓に広げる。確かにほんの少しだけ、少年よりも弱い役だった。再び、少年の硬貨の山が高くなる。

「運が良いな」

「そちらこそ。それとも弱気なだけ?」

 三回目。手札が配られる。

 今までで一番、良い役だった。これはもう、降りるという選択肢は無い。

「二枚……いや、一枚交換する」

 敢えて、迷う振りをする。男に、良い役ができている事を悟られないようにするためだ。

「二枚交換」

 男が言った。

「……そろそろ、勝負に出るかな」

「分かった。これがボクの手だよ」

 少年は、札を表向きにして、卓に並べた。観客がざわつく。それなりに強い手だ。

「……なるほど。そんな役が来ていたのか。どうりで強気なはずだよ」

 そう言いながら見せる男の手札には、少年よりも強い役ができていた。

「残念。惜しかったな」

 少年が、決められた枚数、硬貨を男に渡す。強い役で勝てば、勝つほど、相手から奪える額は大きくなる。少年のこれまでの勝ちが、一回で消えた。

 四回目、五回目、と勝負は続く。

 しかし、回を重ねるごとに、少年の硬貨の山が減っていく。男の駆け引きが絶妙なのだ。少年に強い手が来た時に限って、勝負を降りるのだ。時々、少年が勝つことも有るが、長い目で見ると、着実に男が勝っている。

 また少年が負けた。ついに少年の山は、最初の半分ほどになった。

「なあ。それで話なんだけどさ」

「勝負に水を差さないでくれよ」

「おい!」

「安心しなって。勝ったらとは言わないから。終わったら聞いてやるよ」

 男が、ニヤリとする。このままだと、少年が無一文になるまで、勝負が終わらない。そもそも、男は少年から有り金全てを巻き上げるつもりなのだ。

 だからと言って、はいそうですか、と引き下がるわけには行かなかった。少年も、大切な話があって、ここまで来ている。

「一旦、休憩だ」

「ははは。途中で止めても良いぞ。お前さんたち、金持って無さそうだしな」

「大丈夫。降りない……すいません。水を下さい」

 間もなく、水が運ばれてくる。少年は、一口含んで、口を湿らせる。

「どうした? 焦って来たか?」

「まさか。はじめよう」

「ああ」

 十八回目の手札が配られる。手札は悪くない。

「降りる」

 しかし、男がすかさず降りた。

 先ほどからの男の勝ち方は、まるで少年の手札が、分かっているかのような勝ち方をしている。時折、少年が勝つことも有るが、大概、弱い役での勝ちだった。全体では、男の硬貨が増えていく。

 たまたま勝っているだけか。しかし、男は既に、何人か裸になるまで勝っているのだ。明らかにつき過ぎている。当然、イカサマを疑う。

 再び、札が配られた。

 少年は目を細める。硝子の杯には水が注がれていた。水は、ほんの僅かに、周りの景色を反射する。守り手の視力でも見るのが難しい程、うっすらとだが、杯には景色が映りこんでいた。

 もし観客の誰かが、少年の手札をのぞき込んで、男に教えてるのだとしたら。この杯に映り込む。

「はは。意味ないと思うけどね」

 当然、男も、少年の意図に気が付いた。

「この後、ボクが勝ち始めるかもよ?」

 手札が配られる。少年が負けた。その次も、少年が負けた。

「残念だったな」

 やはり観客の中に、怪しい動きをしているものは居なかった。

「なあ、坊主。そろそろ止めておけよ」

 札を配りを勝ってい出ていてくれた老人が言った。素直に忠告している様子だった。

「大丈夫。もう一回」

「俺はもう知らんぞ……」

 次の手札が配られる。

「今回は、交換なしだ」

 男が勝負に出る。

「ボクも交換なしだ」

「良いのか?」

「もちろん」

「止めておけば良かったのにな」

 男が手札を、表に返す。強い役だ。

「そっちこそ」

 少年の役は、それよりも強い。今日、一番の大きな勝ちだった。

 男の顔が、ほんの一瞬だけ引きつったのを、少年は見逃さなかった。

観衆の中に、協力者は居なかった。しかし男は、本当に少年の手札が分かっていたのだ。原理は簡単だ。札は何回も配られ内に、少しづつ汚れる。角が擦れたり、傷がつく。それを目印にしていたのだ。

 もちろん、本当に小さな、産毛程の傷だ。普通の人なら、気にも留めない。しかし、守り手の視力はそれを捉えた。

 少年も、大分前に、そのことに気が付いた。しかし、男の手が分かった所で、それは完全な運の勝負になるだけだった。だから敢えて、気が付かない振りをした。そして、こっそり、札を爪で引っ掻いて傷をつけたのだ。男が、卓上の杯に気を取られている間にだ。

 そして、やって来た好機が、前回の勝負だった。

 男は傷が増えていることに気が付いていなかった。だから男は、少年の手には弱い役しかできてないと思ったのだ。そして、勝負に乗った。

「いやあ、驚いたな。ついてたね」

 男が頭を掻く。もう、少年が何か細工をしたことに気が付いている。しかし、少年がどの札に、どんな傷を入れたのかまでは分からない。

 次の三回は少二回勝ち、男が一回勝負を降りた。しかし、次の勝負は男が勝った。

「物は大切に使わないと」

「お前さんが言うなよ」

 男も、札に傷をつけ始めたのだ。互いが手札を好き勝手に引っ掻きだしたので、もはや目印は意味を成さなくなった。

 しかし、少年には次の手が有った。

「あ、ごめんなさい」

 少年は卓上の水が入った杯をひっくり返した。札が濡れる。

「すいません。弁償します。新しい札を下さい」

 給仕が、束ねられた新品の札を持ってくる。酒場では酒や食べ物の他にも、賭けようの札も売っているのだ。少年は硬貨の山から二枚、彼女に渡す。

「仕切り直しか。悪くないな」

 男が言った。

「そうだね」

 もちろん、少年に仕切り直すつもりなど無い。札が配られる。そこからは、少年の勝が続いた。気が付けば、少年の硬貨の山は最初よりも、一回り大きくなっていた。

 男が舌打ちをする。少年の勝利の仕組みに、遅れながらも気が付いたらしい。

 新品の札は、大概、上から順に数字が大きくなっていくのだ。だから少年は、札を混ぜる動きを目で追ったのだ。飛んでくる矢に比べれば、数段も遅い。

 最初一番目に居た札は、混ぜ終わったとき、上から何番目に移動したのか。二番目、三番目の札はどうか。少年は、全ての札がどこに居るのか、完全に把握していたのだ。

 男も、少年と同様の事はできた。彼も守り手なのだ。しかし男は、新品の札が順番に並んでいることに思い至らなかったのだ。

「そろそろ、止めにする?」

「……ああ、そうだな」

 少年の提案に、男が同意した。勝負が終わったので、観衆は思い思いに散っていく。

「それで、話っていうか、提案なんだけど」

「ああ。そうだったな。……琥珀酒。追加で」

「あ、ボクも。……それで、もしも明後日の祭りでさ、ボクが死んだ、アガサの守り手やらない?」 

 男が、意外そうな顔をする。

「何だ。お前、祭りに出るの? てっきり、こそこそ逃げ出すもんだと思ってた」

「最初はね。ボクもそのつもりだった」

「なんだよ。お前、あの歌姫ちゃん大好きじゃなかったのかよ」

「うん。でもさ、アンタと勝負したい」

「勝負は、別に良いんだけどさ。殺しに来たら、殺し返すだけだし。でもお前さんを殺しちゃうと、アガサの面倒を見なければいけないの? 面倒くさいなあ。俺に何か良いこと有るの?」

「ヴィヴィアンを敵に回せる」

「あ?」

「たくさんの守り手に、追いまわされるよ? いっぱい、殺せる。そういうの好きじゃないの?」

「いや、まあ。嫌いじゃないけどさ」

「アガサはあの性格だから、面倒な事に自分から首をつっこむよ? おまけに、守り手は基本、一人だし、歌姫本人も魔法使えないから、自分でどうにかしないといけない」

「刺激的だな……」

「ね。良いでしょ?」

「ああ。割と気に入った。だがそうすると、きっちりお前さんを殺さないといけなくなるなあ」

「そうだね。殺せるならだけどさ」

 男が笑った。

「それは大変そうだな。というわけで、保留だな」

「そんな事、思っても無いくせにさ」

 話はそれで終わりだった。男が、説得してどうにかなる奴だとは、少年も思っていなかた。

 少年は、競走の舞台となる街を、一通り下見すると、宿に戻った。

( おかえり )

 アガサは、取っての着いた木製の杯を傾けていた。

「ただいま。飲んでるの?」

 ぐい、とアガサが杯を突き出す。少年は、それを一口含んでみた。何の事は無い。ただのブドウのしぼり汁だ。これはこれで、もちろん美味しい。

「お酒、飲めば? お金は有るんだし」

 ちなみに、ついさっき少し増えた。

( やだ )

「なんで、また?」

( 最初に 飲むのは 最高の 酒 それまで 口は 汚さない )

 少年は笑った。

「ホラリスの琥珀酒、取らないとね……」

( 無理は しないで 良い から )

「大丈夫。全部、上手くいくよ」

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