第2話


 大きなあくびを一つ。

 アガサが、少年の顔を指さした。

( あくびだ )

「そうだね。あくびだよ」

( 珍しいね )

「……そうかな?」

 アガサが頷く。

( 眠いの ? )

「少しね。でも、平気」

 アガサは少年の返事を聞くと、朝食を再開した。旅人の街は、安くて手軽な飯屋に事欠かない。少年は、こま切れ肉(何の肉かは不明だが)の入った、温かい汁を啜る。

「食べたら、発とうか」

 アガサは、もぐもぐと口を動かしながら頷いた。

 街を出ると、荒野が続いている。草や、灌木が疎らに生えていた。

 そんな光景にも、アガサは、退屈していない様だった。進めば進むほど、緑の量が増えていくのだ。種類も、増えていく。

 ただ、少年としては、好ましい変化ではなかった。草木が増えれば、それだけ隠れられる場所が増える。また何処かから、矢が飛び出してくるようで、気が抜けない。

「今日は、ここで宿をとろうか」

 少年は言った。まだ、夕刻にもなっていない。太陽はようやく天頂超えた辺りだった。確かに、急げば、もう一つ先の街まで行けた。しかし少年は、薄暗い中、灌木の間を歩きたくはなかった。

( 今日は 早いね やっぱり 眠いんだ )

「うん。そうかも」

( 良いよ )

 アガサはすぐに肯定した。そもそも、この旅は、目的地が有るわけでは無いのだ。あちこちを巡って、魔法に出会えば回収する。そんな旅だった。

 夕刻、街が騒めき出した。街のはずれに、到着した時には無かった、天幕の群れが立ち始めたのだ。

( あれは 何 ? )

「どこかの軍隊だとは思うけど、詳しいことは」

( そのくらい 分かる そうじゃなくて )

「何?」

( 変な顔してた )

「……そうかな?」

( あれ 食べた時 みたいな )

「あれって?」

( 緑 長い 野菜 )

「……ああ。あれね」

 アマトウガラシの事だ。少年の苦手な食べ物だ。

 確かに、天幕を見た時、昨夜の出来事が思い出された。少年に矢を射かけた者も、あの中に居るのか。まるで分からない。

 しかし、そんなに表情に出ていたのか、と疑問に思う。どちらにしろ、アガサにはその表情の変化に気づいていたのだ。

( 今回は 特別 休んで 良いよ )

「ありがとう」

 少年は苦笑いする。

「……でもさ、急ぐ旅でもないよね?」

 膝の裏を蹴られた。しかも、少し痛かった。

「え、なに?」

 思わず、少年が声を出す。アガサが、杯を煽る仕草をした。

「……酒? あ、ブドウ酒!」

 ルグルー大回廊を出て、そのまま南に進むと、ブドウの一大産地にたどり着く。今頃、収穫しているかもしれない。そのことをアガサに伝えたのは少年だった。

( 忘れて いたのは 良くない )

「ごめん」 

 今日は、少しだけ良い宿をとった。アガサの機嫌を取るため、というのも有った。

まだ明るいのでは、空きは多い。足元を見られるという事も無い。少年がとったのは、二階建ての建物の、二階の部屋だ。半分しか開かない窓からは、ほこりっぽい街と、その先の荒野が見えた。

( やっぱり 暇だ )

 夕方になって、アガサがそんな事を言い出す。

「寝ちゃえば?」

( まだ 日が沈んだ ばかり )

「意外。いつも寝たがるのに」

 少年は膝の裏を蹴られた。

( 寝ないの ? )

「うん。そのうちにね」

 少年としても、ゆっくりと休息をとるつもりだった。普段なら三日寝なくても気にしない少年だが、アッサリア騎士団との戦いで血を流し過ぎた。未だ、全快には遠い。

 しかし、そうも言っていられなくなってしまった。あの天幕の中に、少年に矢を射かけた何者かがいるかもしれない。

 少年は、今日も眠らないことにした。流石に警戒し過ぎかとも思った。それでも少年は寝なかった。それはアッサリアでの一件が有ったからだ。何もなければ、それで良い。後で、笑い話になる。

 夜、二人は別々の寝台に横になった。少年は、目だけを閉じている。間もなく、アガサが寝息を立て始めたのを確認してから、少年は寝台を抜け出した。

 遠く、酔客の笑い声が聞こえた。僅かな雑音が、寂寥感を増す。

 少年は、アガサの寝息を聞いていた。規則正しく繰り返すこの音が、妙に落ち着くのだ。

 昼間の、アガサとのやり取りを思い出す。

 アガサは、ブドウの産地を、非常に楽しみにしていたらしい。少年は、そのことをすっかり忘れていた。他の事に気をとられていた。

 そうすると、旅の景色の見え方が、まるで変ってくる。アガサは、次第に増えていく草木を見ては、喜んでいた。そして、そこには次はブドウ樹がれるのではないか、という期待が有ったのだ。その事を、少年は気づかなかった。

 彼女は、鈴なりのブドウの樹が、風に吹かれる丘で、杯を傾ける空想をしたのかもしれない。その時、アガサの向かい、卓を挟んで、あいまいに笑うのは、少年だったはずだ。

 自分は意外とアガサの事を分かっていないのだ、と少年は思う。

「それにしても、申し訳ないなあ……」

 気づかなかった事はもちろん、これからすることに対しても、少年そう思う。

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