第5話

 灼熱の太陽のせいで気づきにくいが、砂漠の空気は、おそろしく澄んでいる。空気に、まるで水分が無いからだ。

 夜明け間際は、その透明さが際立つ。そして、昼になれば、日光が世界を白く染め上げる。だが、それも、いつまでもは続かない。やがて夕暮れが訪れ、また長い夜が来る。

 砂漠の片隅に、天幕が張られていた。その中、背もたれと、ひじ掛けのついた豪奢な椅子にアガサが座っていた。

 ここまで運ぶの、大変だっただろうな、と少年は思ってしまう。

( 座る ? )

 アガサが尋ねる。少年は首を振る。

「ボクはここでいいよ」

 少年は、アガサの椅子の横に立っていた。

( お菓子 取って )

「はいよ」

 天幕に置かれた卓には、砂糖菓子が積まれていた。至れり尽くせりである。

「ここの生活に慣れちゃうと、また旅に出たとき大変だよ」

( へいき どうせ しばらくは 出れない 魔法の剣 見つから ない から )

「うーん。どうだろうね……」

 その時、ギョームが、近づいてきた。

「アガサ様。守り手殿。準備が整いました」

 天幕から少し離れて、屈強な騎士たちが整列していた。騎士たちが、正方形の隊列を成している。まるで、四方に縄でも張ってあるかの様に、整っている。

「それじゃあ、お願いします」

「承知しました」

 ギョームが天幕を出る。

「行進始めッ!」

 砂漠の風にも負けない、良く通る声で叫ぶ。騎士たちが行進を始めた。動いても、彼らの隊列はまるで乱れない。綺麗な正方形のままだ。

「右ッ!」

 隊列が、隊形はそのままに、一瞬のうちに、直角に右へと曲がる。アガサも、騎士団の一糸乱れぬ動きに見入っていた。

 ギョームが、次々と号令を飛ばす。その度、隊列が形を変える。ひし形、長方形、円形、はしご型、そして最後は、正方形に戻った。

「演武!」

 皆が一斉に、型を演じ始める。全ての騎士の斬撃が、足さばきが、全て、同時なのだ。

 振り回しているのは、背丈ほどある、極太の大剣だ。木剣ではなく、真剣である。一つでも動きを誤れば、隣の同僚の首を飛ばしかねない。

 それにしても、綺麗だった。どれほどの修練を積んだのか、少年は想像することができた。彼もまた、武術の使い手なのだ。

 アガサなどは、椅子から身を乗り出して、眺めている。

 やがて、演武が終わる。

「納刀!」

 カチン、という、刃が鞘に収まる音が、一つしか聞こえなかった。

「これより、模擬戦を始める! 皆、位置につけ!」

 騎士たちが二つに分かれ、移動し始めた。そして、あっという間に、アガサたちを囲った。天幕の周り、円形の人垣ができていた。

( なに ? )

「……何だろうね」

すると、ギョームが前に進み出て言った。

「アガサ様。あなたの御命を、貰い受けたい!」

 アガサが、口をパクパクさせている。きょろきょろと、辺りを見回す。周りを取り囲む騎士以外には、砂しかない。アガサは、結局、少年を見た。

「ギョームさん。あなた方が魔法を隠していたのですね?」

「そうです」

「何故?」

「愚かな質問だ。アッサリアのために決まっている」

「……なるほど」

 この屈強な騎士たち一人、一人がその手に、全てを切り裂く魔法の剣を持ったら。背筋が凍る。

「しかし、ギョームさん。あなた方も愚かですよ。こっちには、歌姫がいる。魔法が、怖くないのですか?」

「アガサ様の声を、私はお聞きしたことが有りません」

「……あー、なるほど……」

「やはり、貴方は魔法を使えないようですね」

( ごめん バレた ごめん )

 アガサは人前で、手話を使い始める。もうバレたので、今更、隠しても仕方ない。

「……大丈夫だよ」

 少年がアガサの背中をさする。

アガサが魔法を使えない事を漏らしたのは、少年なのだから。

 アッサリア街を周り、全ての長に会った。少年はその際、それとなくアガサが魔法を使えないことを告げた。そうすれば、魔法を隠している犯人の方から、襲ってきてくれると思ったのだ。

 騎士団が隠匿しているだろうと、予想はしていた。アッサリアで魔法の剣について聞き込みを始めてすぐ、接触してきたのが、アッサリア騎士団だったからだ。宿舎を提供したのも、見張りの意味も有ったのだろう。

 少年の予想は当たったわけだ、やはり、探偵のような真似は、少年には合っていない。荒事で解決するなら、その方が良い。後は、この剣の群れを乗り超えるだけだ。

天幕の外へと、二人で歩み出る。天幕の下に居ると、柱を折られたときに、危ない。

「ここから、動かないでね」

 アガサが頷く。

 見覚えの有る三人が人垣の中から、進み出てきた。つい先日、少年と手合わせした若い騎士たちである。

 彼らは少年を、守り手さん、と呼んで慕っていた。少年も彼等に、いくつか技を手ほどきした。もしかしたら、友と呼べるような関係なのかも知れない。少年は、そう思っていた。

「貴方の事は尊敬しています。できれば、私たちの手で、決着をつけたい」 

騎士のうちの一人が言う。

「君たちの手で決着をつけたら、何なの?」

 死んだら結局は一緒じゃないか、と少年は思う。

「……まあ、何だって良いんだけどさ。来れば?」

 三人の騎士が、大剣を抜く。対して少年は無手である。僅かに腰を落とし、重心を低くする。

 騎士たちが、走って距離を詰めてくる。そのまま、三人同時に、斬撃を放った。軌道が絶妙だ。一切、交錯しない。しかし、全ての切っ先が、少年の急所、胸、首、臍へと伸びてくる。決まった、と騎士たちは確信していた。しかし、その手ごたえの無さに驚く。まるで、煙でも斬ったかのような、感触だ。

 少年は騎士たちの、予想もしない方向に跳んだのだ。つまり、前である。迫りくる斬撃に向かって、頭から飛び込んだのだ。騎士たちがまだ、斬撃を放ち切る前に、その隙間を、掻い潜った。

 騎士たちからは、少年は消えて見えた。斬撃に飛び込んだ勢いそのままに、騎士たちの背後へと走り抜けたのだ。ここで、少年は腰に括った短剣を抜き、逆手に構える。

 騎士たちが、少年の姿を探して、振り向く。その時には、首に、深い切れ込みが入っていた。三人が同時に、砂に倒れる。どくどくと溢れる赤い血を、乾いた砂は瞬く間に吸い取ってしまう。

 取り囲む騎士たちの、空気が変わった。かつて訓練の時に少年が見せた実力は、彼の本領でないと、気づいたのである。

「うろたえるな! 数はこちらが上だ!」

 すかさず叫んだのは、ギョームだった。浮足立ちかけた騎士たちは、落ち着きを取り戻す。少年は内心、舌打ちした。ギョームが居なければ、今のうちに、囲みを突破できたかもしれない。

「剣(けん)牢(ろう)の構え!」

 ギョームが号令を飛ばす。すると、囲みの中から、二十人ほどの騎士が前へと出てくる。少年はアガサの傍で、様子を伺っていた。陣形を汲まれる前に倒すのが基本だが、アガサの傍を離れるわけにもいかない。

 騎士が、アガサと少年を、丸く囲む。皆、大剣を身体の真正面で、切っ先が天頂を差すように構えている。少年がどこを向いても、大剣が規則正しく並んでいる。まさに剣の牢だ。

 騎士たちが作る円の中心に、アガサと少年は居た。騎士たちは一定の速さで横に移動する。円を回すことで、的を絞らせにくくしていた。そのまま騎士たちは、徐々にその円を狭める。

 一人の騎士が倒れた。少年が、手首の筋肉だけで、短剣を投じたのだ。それが、騎士の喉元を射抜いた。一切の予備動作の無い投擲に、騎士たちは、誰一人として反応できなかった。

 しかし騎士たちは、仲間が突然、血をまき散らして倒れたのに、一糸乱れない。剣牢を組み続ける。

「……嫌に、なるよ」

 少年は呟く。再び、投剣。見事、一人の騎士の喉元を射抜いた。しかし、騎士たちは乱れない。短剣の数には限りがある。何本も投げるわけにはいかない。

 騎士たちは、死を恐れていなかった。

それって、そんなに簡単に克服できるものなんだっけかな、と少年は思う。

 少年が、短剣を抜く。そして、投擲の構えを取る。もちろん、投げはしない。ただ、圧力をかけるだけだ。この短剣を投げれば、お前らのうち、誰か一人は死ぬんだぞ、という圧力である。敢えて、重心をずらしたり、視線をさまよわせて、動揺を誘う。

 しかし、騎士たちは、一切、乱れない。一歩、また一歩と、距離を詰めてくる。

 じわり、じわりと距離を詰めてくるのが、いやらしい。走って迫るなら、多少の、隙間は出来たかもしれない。少年は必死に、隙を探す。

 少年が、投擲の姿勢を解く。両手に、短剣を構える。

 片腕で、アガサを抱き寄せる。アガサが、少年の胸板に唇を当てる。その動きで分かった。

( ご め ん )

「……大丈夫」

 距離は着実に詰まる。そして、剣牢が完成した。騎士たちは、互いの肩がぶつかるか、ぶつからないかという間隔で、剣を構えて居る。囲みの半径が、大剣の間合いよりも、僅かに狭くなった。

 合図は無かった。しかし、一斉に、騎士たちは一撃を放つ。ある者は振り下ろし、ある者は突き込む。全ての斬撃が、美妙に異なる軌道を描いて、少年たちに襲い掛かる。

 二十近い大剣が、鳥の巣のように少年を取り囲んだ。血が、大剣の刃を伝う。その様子は、さながら薔薇のようであった。

 しかし、少年は傷を負いながらも、生きていた。彼の腕の中の、アガサに至っては無傷である。

 躱せる斬撃は、最小の動き躱し、弾けるものは短剣で弾いた。残りは、身体に括ってあった短剣や、鋲付きの靴で受けた。それでも、よけきれないものは、何とか急所だけは外した。

 少年の体に、刃が何本か突き刺さっていた。冷たい。鋼は冷たいのだ。体の中に、氷柱を埋め込まれたような感覚だ。容赦なく、熱を、命を奪い去っていく。

 しかし、その冷たさもすぐに消える。燃えるような激痛が襲ってくる。灼熱の砂漠において、その熱さをなお、はっきりと感じる。

 ただ、それでも少年は生きていた。

 騎士たちは、目を疑った。少年が、微かだが動いている。急いで、留めの一撃を見舞わなければ。騎士たちが、大剣を握る手に力を籠める。

 その時、少年は動いた。身体から流れ落ちる血を、跳ね飛ばしたのだ。それが何人かの騎士たちの目に入る。視界を奪われた騎士が、慌てて剣を動かす。すると、他の騎士の動きを邪魔することになる。

 緻密な、連携は脅威だ。しかし、一か所が崩れると、全体に影響が及ぶ。

 騎士たちの動揺は、手を一回打ち合わせるほどの、短い時間だった。その間に少年は、二人の首を跳ね飛ばした。

 更に違溢れる。流れ落ちる深紅の液体を、少年は短剣の腹で受けて、まき散らす。騎士たちの視界を奪う。

 密集していてはまずい。ようやく騎士たちが距離をとった時には、剣牢を組んでいた、半数が倒れていた。生き残った彼らも。一旦、後ろに下がる。

 対する少年も無傷ではない。

 切り傷が数か所。そのうち一本、左腕の傷は、だいぶ深い。短剣を吊っていた剣帯で、傷口を縛る。あばら骨も、二本、折れていた。身体に括りつけた短剣で受けた時、衝撃は殺しきれなかったのだ。

 ざっと、辺りを見る。騎士たちは、未だ、三百人近く残っている。

 もう二回。下手したら一回。同じことをされたら、たぶん死ぬだろうな。少年はそんな事を思う。

「アガサ。あのさ、……なんだろう。何て言うかさ……」

 少年は、最後に言っておきたい事ってあるか、なんてことを訊きたかったのだ。しかし、上手く訊けない。訊き方が分からない。

(ボク、ダメだよなぁ……)

 アガサは少年の服を掴んだままで、自分たちを遠巻きに囲む騎士たちを見る。

 深い藍色の空に、星が浮かぶ。太陽が、砂漠の地平線に触れようとしていた。騎士たちの影が、長く伸びる。それが怪物みたいだった。ぽつんと二つ、寄り添っている影は、アガサと少年のものだ。

「……あー、その、ごめん」

 気の利いたことを言いたかったのだけれど、言えなかった。沈黙は嫌なので、とりあえず少年は謝った。

 アガサは、ふるふると首を横に振った。

( 大丈夫 一緒に )

「……一緒に、死んでくれるの?」

 少年は、そう問いかけていた。アガサは答えなかった。

 アガサが立ち上がる。腕を広げ、大きく息を吸う。目を閉じる。そして、歌いだした。

「……アガサ。君は、何を?」

 アガサの口からは、当然、ヒューヒューと、掠れた音だけが漏れる。魔法を操るはずの歌声は、一切、聴こえない。

 しかし、その時、風が吹いた。魔法ではない。天然の風だ。砂が舞い上がる。

風の流れは、実は、一本調子ではないのだ。川の流れのように、早いところ、遅いところ、淀みや、渦を巻いているところ。変化が有る。

 騎士たちは戸惑う。その渦巻く風の中に、もしや歌姫の声が混じっているんじゃないか。無いとは言い切れない。歌姫が、魔法を使おうとしているかもしれない。騎士たち囲みは解かないが、及び腰だ。

 ギョームが叫ぶが、今度は効果が無かった。少年が、一人で十人以上を殺していたことも、騎士たちを怯えさせた。あの少年、何か魔法の力を秘めているのではないかと考えたのだ。

「うおおおおおおおお!」

 初老の騎士の二人が、大胆にも打ち掛かって来た。少年は、思わず舌なめずりをする。

 短剣を二本、投じる。吸い込まれるように、突撃する騎士の喉を射抜いたのだ。傍から見ていた他の騎士たちは、どう思ったのだろう。

 彼等の目は、薄暮の中、高速で飛翔する短剣を捉えることは出来なかった。つまり、魔法だと思った。超常の力によって、二人の騎士は倒れたのだと。

 少年たちを囲む騎士たちの、足が自然と下がる。無意識だったが、ずるずると引きずるような後退の跡が、砂に残されていた。

 円陣の中心で歌い続け少女。その姿は、確かに、仕掛けが割れている少年からしてみても、神々しいものを感じる。

後、一押しだ。

 少年は駆けた。姿勢を低く、できるだけ低くして。地を這うように駆け抜けた。アガサの傍を離れるのは怖かった。しかし、この機を逃せば確実に死ねる。

少年は駆ける。一人でも多く、殺せば良い。

 影から、少年が浮かび上がった。ある騎士は、そう感じた。少年はそのまま駆ける。すれ違いざま、その騎士の顎下を短剣で撫でていく。

 何人か切ったところで。戦列が乱れた。この暗闇と、混乱の中だ。おまけに、アガサが注意を集める。誰も少年が人を斬って回っている事には気が付かない。ただ、魔法だ、と思う。得体のしれない魔法で、次々と仲間が斃れていく。

 当然、アガサに斬りかかる者もいた。しかし、そういった輩は、アガサしか見ていないので、与しやすかった。少年は背後から、簡単に短剣を突き刺せた。間に合わないときは、探検を投げた。

 一人が逃げ出した。そうすると、後は早い。続いてもう一人、二人。水が手の平から零れ落ちるように、敗走が始まる。

 それでも、その場に踏み止まって、戦おうとする者もいた。少年は、そういった者を優先して狙った。

 少年は、駆けまわりながら思う。魔法。という超常の存在を前にして、踏み止まろうとする者がいることが、驚きだった。

 それも一人や二人ではない。ちらほらと見える。皆、声を張り上げて、戦列を維持するように訴える。そして、剣を構え、周囲を見る。懸命に、状況を把握しようとしている。

 ただ、勇敢な彼等も、一人きりでは少年に敵わない。少年は、彼らの背後から忍び寄り、首筋に、刃こぼれした短剣をねじ込む。後半は、もはや戦いというより、作業のように感じた。

 もういいか、と少年が速度を緩めた時だった。少年は、背筋に、チリチリと妙な感覚を感じた。

(……この感覚、結構当たるんだよな)

 振り向く。すると、アガサに向かって猛然と突貫する影が有った。少年は目を細める。あの巨体。ギョームだ。もう、間に合わない。少年の足でも、無理だ。

 少年は、手に持った短剣を投げた。これが、最後の一本だった。そして、その一本を外した。ギョームが咄嗟に、身体を捻ったのだ。

(大した勘だよ)

 少年は舌を巻く。

 短剣は、ギョームの首を僅かに逸れ、肩当てに弾かれた。しかし、ギョームの突貫する速度が僅かに緩む。

 間一髪で間に合う。アガサに、抱き着いて、押し倒す。幸い、下は柔らかい砂だ。少年とアガサは、もつれるようにして地面を転がる。その上を、巨大な鉄塊、大剣が通り過ぎて行った。

「あなたの負けだ。剣を置いてください」

 起き上がりざま、少年は宣告する。それでも、ギョームは大剣を振るった。少年はアガサを抱えたまま、飛んで躱す。

 暴風のような連撃を、少年は何とか掻い潜る。

(……鋭い)

 今までやり合ったアッサリアの騎士の中で、一番、強い。アガサを抱えたままでは、そう長くは持たない。おまけに少年は、素手だ。

 ついに、ギョームの大剣が、アガサに掠った。彼女の羽織った風よけに、切れ込みが入る。アガサが一瞬、顔をしかめた。

「……お前」

 少年が呟く。ギョームが剣を振るい続ける。

 横薙ぎの一撃。鉄の刃が、アガサの肩に触れる。あと、瞬き一つする間に、大剣はアガサにめり込む。すかさず、少年が自分の腕を、間に挟みこんだ。切っ先が、少年の右腕に食い込む。

 一瞬、僅かにだが、大剣が遅くなる。その刃が、少年の骨に達したのだ。少年は、この瞬間を逃さなかった。自分の骨を使って、大剣の軌道を逸らした。

(だいぶ、血をながしたなあ……)

 少年は、どこか他人事のように、身体の様子を確認した。彼にしてみれば、自分の身体も、短剣も、あまり違わない。抱えた、アガサの身体が、熱い。彼女の、息遣い、筋肉の震えが、伝わってくる。

「アガサ。ごめん」

 少年が呟いた。そして、アガサを、後ろに突き飛ばした。彼女が、砂原に転がる。少年は、アガサを背後に背負う形で、ギョームと対峙する。少年の身体はひどく冷たかった。これ以上は、血は流せない。死がだいぶ近づいているようだった。

(だから何、って話だけどさ)

 少年は、思う。

 ギョームは剣先を少年に向けて、地面に水平に剣を構えた。

 打ち込む隙が無い。少年が攻めあぐねる。先に動いたのは、ギョームだった。ギョームは、そのまま突貫した。鎧を着込んだ大男が、丸太のような剣を突き出して、突進してくる。

 少年は無手だ。しかし、少年の真後ろには、アガサが居た。彼が躱せば、アガサが轢き殺される。それが、ギョームの狙いだった。

「うおおおおお!」

 ギョームが怒声を上げる。大質量が迫ってくる。切っ先は真っすぐに、少年の喉元に伸びる。

 もちろん少年に、避けるつもりは無い。少年は、両足をにじるように動かす。膝近くまで、足が砂に埋まった。腰を低くし、重心を落とす。下半身が、石造の如く固定された。

 腰に添えられた、左拳を、真上に振り抜いた。

 少年の拳が、大剣の腹に大剣の腹を捉えた。ガコンッと、まるで巨岩でもぶつけられたような音が響く。大剣が、宙へ跳ね上げられた。ギョームの突進が止まる。

 発頸。

 速度に任せて、拳をぶつけるような、ただの打撃ではない。体重の移動、腰の捻り、関節のバネ、全ての、運動を、拳に集約する。そしてそれを、余すことなく対象に伝える。

 発頸は、素振りするだけでも困難だ。それを、動いているものに当てようと思えば、少年でさえも不可能に近い。しかし、予め軌道が分かっているなら話は別だ。

 少年は、アガサを囮にしたのだ。アガサを後ろに背負えば、ギョームは突っ込んでくると読んでいた。

 少年は、がら空きになったギョームの懐に飛び込んだ。拳打は使えないので、溝地へ、膝蹴りをお見舞いする。

「くっ……」

 ギョームが地面に膝をついた。手の力が抜け、大剣を取り落とす。少年は、すかさずギョームの背後へと回る。彼の右腕を極めて、地面に押し倒す。左の膝をギョームの背中に乗せて、立ち上がれないようにする。少しでも動けば、いつでもギョームの右腕を折れる。

「あなたの負けです」

 少年は言った。

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