第4話

( 守り手を 代える ことは できる ? )

「いや、無理でしょ。少なくとも、今すぐは」

 アガサが、少年の脛を蹴る。彼女のご立腹の原因は、少年だけが風呂に入ったことだ。

 アガサは朝起きるなり

( ヘンタイ から 良い においが する )

と少年を問い詰めた。

「だからさ、お風呂は、訓練に参加した人だけしか入れないんだって」

 アッサリア騎士団の練兵は、夜遅くまで続いた。死肉を漁る灰色犬の遠吠えが、砂漠に響くなか、騎士達は剣を振り続けた。 昼と一転して、砂漠の夜は冷える。水が凍るほどだ。

 訓練の後、冷えた、疲労を洗い流すため、騎士達は風呂に入ることを許される。練兵に同席した少年も、一緒に風呂に入らないか、誘われたのである。もちろん、断る理由は無かった。

( 今日は 私も 訓練に 出る )

「……死ぬから。だいたい、今日は訓練お休みだし」

( ずるい ずるい ずるい )

 蹴り、蹴り、蹴り。

「悪かったって」

 まさか砂漠で、風呂に疲れるとは思っていなかったが、本当に気持ちよかった。自分だけ、良い思いをして、申し訳なくは思う。

「でもさ、僕だって、タダでお風呂に入ったわけじゃないんだよ? 訓練に付き合ったんだ。色々、教えてあげたりしたんだ。剣技とか、体捌きとか」

 アガサが、少年の手を掴む。そして、手のひらを自分の顔に近づけて、まじまじと見るのだ。

( その 技は 私を 守る ための もの ? )

「まあ……そうだね」

( それを 売り物に した 風呂に 入る ため )

 視点を変えれば、そういう見方も、できなくはない。

「でもさ、その言い方は、ちょっと……」

アガサが、ハッとした顔をする。

「どうしたの?」

( ヘンタイ だから ? 私の 髪の 匂い お風呂で 落ちない よう ? )

「濡れ衣だよ!」

 アッサリアに来てから、この調子だよなあ、と少年は思う。

 ともかく、風呂の恨みはすさまじかった。アッサリアの街を周る間も、一日中、少年は嫌みを言われた。 もう一つ悪いことに、今日も、魔法の剣に関して、ほとんど収穫も無かった。

ギョーム以外の、三人の魔法を知る者を尋ねた。それぞれ、鍛冶師、商人、探鉱者の組合代表である。しかし、皆、魔法の剣については、何も知らなかった。

ただ、商人組合と鍛冶師組合は、それとなく魔法の剣について探りをいれる、と約束してくれた。これが成果と言えば、言えなくもない。

「今日もお疲れ様」

( おつかれ )

 アガサが寝台に倒れ込んで、そのまま沈み込む。バタバタと足を動かして靴を脱いだ。我が家か、というくらい騎士団の来賓宿舎に馴染んでいた。少年も、革張り椅子に身体を預ける。水差しに用意された、花の香りのする水を、椀に注ぐ。

( このまま ここに 住む ? )

 寝台からはみ出した、アガサの腕がそんな事を主張する。

「それも、良いかもねえ……」

 その時だ。部屋の扉が叩かれる。こういう時の対応は、もちろん少年の役目だ。

「はい。どうぞ」

 少年が扉を開ける。すると、ギョームが控えていた。恭しく、胸に手を当て一礼する。

「ギョームさんじゃないですか。こんにちは。あ、そろそろ、こんばんは、ですかね」

「お休みの所。失礼いたします」

「いえいえ。どうかしました?」

「こちらの不手際で、アガサ様にご迷惑をおかけしましたかと……」

 少年は一瞬、振り向く。アガサは、寝台の上で、トラの敷物のように寝転がっている。アガサの敷物だ。

「……そんな事は、無いですよ」

「いえ。お風呂を用意の忘れておりました」

 お手紙を頂きました、とギョームが言う。彼女ならば、やりかねない。

 少年が、ちらりとアガサを見る。寝転がったままだが、僅かに筋肉が強張っているのを、少年は見逃さなかった。聞き耳を立てている。

「僭越ながら、アガサ様のお風呂を用意させて頂きました」

「……いや、本当、すみません。ご迷惑おかけして」

「こちらこそ、申し訳ございません。それで、お詫びと言っては、大したことではないのですが――」

 用向きを伝えると、やがて、ギョームは帰っていった。

 少年は、ギョームの提案を吟味する。思ったより早かったな、と心の中で呟く。

「ねえ、アガサ。起きてる?」

 うつ伏せのアガサに、少年が尋ねる。アガサが、頷く、というよりは、寝台により深く顔を埋める。

「明日なんだけど、ギョームさんが、お風呂を用意してくれるって」

 アガサが飛び起きる。

( 本当 ? )

 アガサが、口までパクパクさせているのを、少年は見た。

「本当だよ」

 アガサの顔が、ぱあっと輝く。

( ギョーム さん 良い人 )

「本当にね……」

( 守り手 交代? )

「いや、それは流石に勘弁……。それと、ギョームさんが、訓練を見に来ないか、って。余興の代わりだとか」

( 訓練 面白い ? )

 なかなか難しい質問だ。確かに、暴力を見世物として楽しむ人は、居る。しかし、アガサは、そういった見世物を好まない。もちろん、毛嫌いしているという程でもないのだが。

 ただ、アガサに訓練を見に行ってもらう方が、少年にとっては都合が良い。

「楽しいと思うよ。昔だけどさ、走ったり、槍を投げたり、木に登ったりの競争を見物したじゃん?」

 アガサが頷く。

( 大きい お祭り だった )

「あんな感じだと思うよ。二つに分かれて、模擬戦とかしてくれるらしいし」

( 行く )

 アガサは行く気になってくれたらしい。

「そうか。良かったよ」

「何をしているの?」とでも言いたそうな眼付きで、アガサが少年を睨む。少年は、アガサの両手を握っていた。少年は、アガサの視線に気づいていたが、その手を放さなかった。

 彼女は、声を出せないから、手の形で意思を伝える。アガサからしてみれば、それは口を塞がれているに等しい。

「いや、何となく……。ごめん」

 少年が、握った手を放す。

( いきなりは 止めて ? )

「うん」

( 何か あった ? )

「いや。無いよ」

「たぶん、有るのはこれからだよ」と、少年は言わない。

「それより、ご飯行こうよ。たまには外で食べる?」

( それも 良い かも )

 二人は連れ立って、市場へと出かけた。日が沈んでも、街の喧騒は消えない。

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