第3話
翌日、朝早くから、少年とアガサは街を巡っていた。
「アガサ。機嫌、直してよ」
( どうしようも ない バカ )
「悪かったって」
( いつも 同じ こと して いた ? )
「違うよ。昨日が初めてだって」
( 本当 ? )
「本当だよ! ……本当ってことにしときなよ。そっちの方が、心の健康的にも良くない?」
アガサの蹴りが飛ぶ。
( もう 丸刈りに するしか ない )
「え、それはちょっと……」
( 魔法も 見つから ない )
「魔法はボクのせいじゃないって」
少年とアガサは、件の短剣について、あちこち尋ねて回った。しかし、結局、見つからなかった。谷の壁面すぐ近く、ヤシの木陰で、二人は昼食をとることにした。丁度、細長い岩を、腰掛けの代わりにする。近くを、人工の小川が流れていた。
少年が、小川に水筒を沈め、水を汲む。手首から先が、別世界のように冷たい。地下水だろう。水は太陽を反射して、きらきらと光っている。
( どうするの? )
「どうしますかね……」
( 考えてよ 人の 髪の 匂い 嗅いで いないで )
一瞬の衝動に流されるほど、自分の理性は弱かったのか。少年は後悔する。
「これでも、少しは考えたんだ」
( 例えば? )
「はっきり言って、今回の件は不自然なんだ」
( どうして? )
「あんな名刀が出回っているんだよ。普通だったら、もっと騒ぎになるはずだ。まして、ここは商人と旅人だらけのアッサリアだ。噂が回るのも早いはず。だけど、誰も知らない……」
アガサが頷く。彼女達は、ルグルー回廊の十四の宿場町を経て、アッサリアに辿り着いた。その間に出会った魔法の剣は、一本のみ。現在、少年の懐にあるそれだけ。
その短剣は、回廊手前で出くわした、盗賊が持っていた。彼らも、この短剣の価値に気が付いていなかった。盗品の山に、無造作に突っ込まれていた。それを、アガサが感づいたのだ。
( どうして 誰も 知らないの ? )
「たぶん、隠してる奴がいる」
( 何で? )
「そりゃあ、もちろん。悪いことを考えているからさ。善い事してるなら、隠す必要ないしね。むしろ、すぐに言いふらすよ。褒めて欲しくて」
( 意外 )
「何が?」
( しっかり 考えてた )
「どう? 少しは見直した」
( うん ヘンタイ だけど 考えてる )
「見直してもヘンタイなのね……」
( それでさ 隠しているのは 誰? )
「そりゃあ、地道に探すしかないね。商人にも、当たってみようか」
( ヘンタイ ヘンタイ ヘンタイ )
やはりアガサは、その案をお気に召さなかったらしい。その日は、まだ日が暮れないうち駐屯地に、引き揚げた。
( 晩ご飯 まで 寝てる )
ヤシのジュースを枕元に置いて、アガサは寝台に寝転がる。今日も、駐屯地の士官室、飛び切り豪華な部屋を貸してもらえた。
「じゃあ、ボクも、ちょっと出かけてくる」
( どこ 行くの ? )
「短剣のお手入れ。刃こぼれしてるんだ」
( いってらっっしゃい )
少年の答えに、アガサは興味を失ったらしい。
「一人で出歩かないでね。夜は危ないから」
アガサは寝転がったまま膝を曲げ、片足だけ持ち上げた。分かった、という事だろう。
駐屯所を出たところで、少年は風よけを羽織った。少年が向かったのは、鍛冶屋ではなかった。幾筋も掛けられた橋を、上へ、上へ、と登る。やがて谷を抜けて、砂漠に出た。
「暑いな……」
谷底ではすでに夕日は差していなかった。しかし、地上では太陽が、水平線に差し掛かっているところだった。消えかけの陽光だが、ギラギラと肌を刺す。
ふいに、風が吹いた。羽織った風よけの隙間から、細かい砂が入り込む。肌が、ザラつく。谷底に居ると、忘れそうになるが、やっぱりここは砂漠なのだ。
しかし、そんな砂漠で、怒声を上げながら動き回る集団が有った。アッサリア騎士団である。
少年は目を凝らし、号令をかけているギョームを見つけた。
「どうも。こんばんは」
「これは守り手殿」
一旦休憩、とギョームは声を張り上げる。
「訓練ですか?」
「ええ」
「これで、騎士団全員ですか?」
「ほぼ全員ですね。うちは零細騎士団ですから」
「やはり、砂漠だからですか?」
「はい」
せいぜい、三百程度か。多くの騎士を常駐させる場所も、食料も、アッサリアには無かった。しかし、騎士たちの動きは、遠目に見ても良い、と少年は思う。そして、統率もとれていた。頭数こそ少ないものの、弱くはない。並の騎士団が相手なら、倍の人数とも、難なく渡り合うだろう。ルグルー大回廊、大砂漠という地の利を生かせば、それ以上の相手とも戦えるはずだ。
ただ、それでも少ない事には変わりはない。
「どうですか? ボクと手合わせしませんか?」
「そんな、恐れ多い」
「宿を借りているお礼です。一所に居ると、他流の武術を目にする機会は少ないですよね? まあ、ボクのは、何流なんだか、自分でも良く分かりませんが」
「そういう事でしたら、ぜひとも」
ギョームは、騎士団の中から、三人を選び出した。
「しかし、本当にまとめて三人?」
「ええ。このくらいで、良い勝負になるはずです」
「流石は、守り手殿だ。存分に学ばせて頂きます」
「お手柔らかに」
ギョームが再び、声を張り上げる。
「注目! こちらは、私の客人にして、剣の名手である! これより、その技を我々に披露して下さる! 盗むつもりで観よ!」
薄暮の砂漠で、立ち合いが始まった。
少年は、訓練用の木剣を借り受けた。指先から肘までと同じくらいのは刃渡りの剣だ。少年が普段使っている短剣よりも、一回り大きい。本当は、もう少し小さいものが良かったが無かった。おもりが入っているので、持った感触は真剣に近い。
対する、若手騎士三人は、皆、長剣を構えている。肉厚、彼らの身長ほども有るような、大剣である。もちろん、おもり入りだ。おまけに騎士は、風よけの外套の下に、鎖を編んだ鎧を着込んでいる。ここは砂漠だ。足首まで砂に埋もれる。そんな状態で、この大剣をいかに扱うのだろうか。少年は興味津々といった様子で、彼らを眺めていた。
「ギョームさん。いつでも良いですよ」
騎士たちも頷く。
「承知した。……それでは、始めッ!」
少年は、切っ先を少し下げ気味に、身体の前で構える。
騎士のうち二人が、少年の正面から間合いを詰める。もう一人の騎士が、少し下がって、少年の右側に回り込もうとしている。正面の二人が少年の注意を引き、後ろの一人が強襲する、という算段だ。
多対一の戦いは、味方にも気を配らなければならない。騎士たちは、良く訓練されているようだった。
正面の騎士の片方が、大剣を振り下ろす。少年は横に跳んで躱す。剣風が肩を撫でた。
予想よりも、近い所を、剣が通り過ぎた。
砂に足を捕られたのだ。
続けざま、もう一人の騎士が、剣を振り下ろす。
少年は着地したばかり。躱せない。
短剣を横なぎに振り抜く。大剣の側面を叩いて軌道を逸らそうとするが、威力が足らない。砂のせいで踏ん張りが利かないのだ。
少年は、苦し紛れに、後方へ倒れる。
前髪を、切っ先が撫でた。
しかし、息を吐く暇もない。逃げた先にも大剣が降ってくる。
(動きにくい)
正面の二人の騎士は、交互に斬撃を繰り出す。そうすることで、巨大な剣の、隙を補っているのだ。そして、もう一人が、死角から少年の隙を狙っていた。不意を突く一撃に、少年は何度も、ひやりとした。
砂のせいで、身軽には動けない。一方で、騎士たちは、元々、素早く動き回る
(砂漠の剣か。なるほどね)
足元への突きを、少年は前に跳んで躱す。勢いそのままに、突きを繰り出す。騎士は大剣の幅を盾のように使い、突きをいなす。
別の騎士が、大剣を横なぎに振るう。追撃を諦めて、少年は後ろに下がる。
砂漠には障害物が無い。騎士たちは、大剣の間合いの利を、十二分に生かせた。
いい加減、息が上がってきた。足にまとわり付く砂と、時折吹く強い風が、体力を奪うのだ。しかし、眼前の騎士たちは、まるで呼吸を乱さない。鎧を着込み、大剣を振り回しているのにも関わらず、からくり人形のように、剣を振るい続ける。
(大した体力だ)
少年が仕掛ける。
目前の騎士に突きを放つ、が、全身の筋肉を引き絞り、急制動をかける。騎士達は眼を見張った。疾風のように踏み込む少年が、瞬間、石像のように停止したのだ。
しかし、騎士たちは止まれない。一人は大剣で突きを防ごうとして、もう二人は、少年に、反撃の突きを放とうとしていた。大剣の慣性に引きずられて、そのまま動き続ける。
そんな騎士たちを尻目に、少年は硬直した姿勢から、弾けるように、横なぎを繰り出す。突きから、払いへ、一瞬の変化。騎士たちは、少年の動きを、目で追うのみ。
影切り。
囮の動きで、敵をかく乱する。
短剣の切っ先が、一人の、騎士の顎下を撫でた。
ここでようやく、騎士たちが反撃に転じる。だが、背後から迫ってくる、突きも、少年は読んでいた。攻撃している時が、最も隙ができる。その隙を、騎士が逃さない事を、少年は読んでいたのだ。
少年は跳んだ。そのまま、突き出された大剣の上に乗る。間髪入れず、大剣を、思い切り踏み抜いた。少年はさらに、高く飛ぶ。
宙がえり。騎士の頭上を超えて、背後に回り込む。逆さまの世界。頭から、落下しながら、身体を捻る。騎士の後頭部を、短剣で撫でる。
着地。前転することで、勢いを殺す。そこで、少年の眼前に、大剣が突き付けられていた。
少年の負けであった。とはいえ、三対一で戦い、そのうちの二人を仕留めたのだ。取り巻く騎士たちからは、盛大な拍手が送られる。
ありがとうございました、と三人の騎士たちが少年に握手を求める。
「いや、こちらこそ」
少年は、そのごつごつとした、赤銅色の手を握り返す。
「素晴らしい試合でした」
ギョームが言った。
「ところで、この後も、訓練を見学していっても良いですか?」
「はい。もちろんですとも」
その後、少年は練兵を見学した。練兵は、暗くなってからも続いた。むしろ、日暮後が本番だった。僅かな手灯りを頼りに、騎士たちは剣を振るった。アッサリア騎士団は、総勢、三百人程。少年はその一人、一人の動きを、じっくりと観察した。
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