第24話

 クローチが僕たちの前に姿を現さなくなって、一週間が過ぎた。

 どうやらあの人間はとうとうアヴリルを諦めたらしい。レヴァイルが「最近はヴァルケインの契約者の事を口に出さなくなった」なんて言っていたので、ほぼ確定である。

 そうなれば、僕の護衛はほとんど意味をなさない。アヴリルの発作 (発作という表現が正しいのかは知らないが)を抑える役目もないではないが、一か月以上常に一緒にいたためか少し落ち着いてきたので、暫くは必要ない、……はずだ。

 と、いうわけで。


「ふあぁぁ……涼しい……」

「……お疲れさま」


 僕は一か月と十数日ぶりに、レッドオーグ山に寄せて作られた木造の建物に来ていた。

 ここに来た当初は可もなく不可もなく、といった感覚だったのだが、今こうして来てみると、ここはかなり過ごしやすい。

 あの地獄のような空間を体験した僕にとっては、まさにここは天国だ。

 

「………………お前のそんな緩み切った表情、俺ぁ初めて見るぞ」

「……僕もだよワーヴィレン……ヴァルケインってこんな表情もするんだね」

「じろじろ見ないでくれよ……」


 ……若干鬱陶しい奴らがいるのが、唯一の欠点か。まあ、息を荒げて頬を染め、瞳を濁らせたアヴリルに迫られるよりよっぽど気疲れも少ないので、取り立てて何かいう事でもない。

 嗚呼、それにしてもレッドオーグ山はなんて過ごしやすい環境だったのだろう。ここに来て、僕はあの土地で暮らせることのいかに幸福かを実感した。

 

「……まあ、今のうちにゆっくり休んどけや。俺達もあと二十日もすれば契約者と組んで何かしかやらされるみてぇだしよ」

「ん……そうするよ」


 ワーヴィレンの言葉に甘えて、僕は芝の上に体を横たえ、眠りにつくことにした。

 ……今思えば、僕はこの時油断しきっていた。僕たちは別に『クローチがアヴリルの事を諦めた』という事実を確認したわけではない。飽くまでも『クローチが僕たちの前でアヴリルに執着するような言動をしなくなった』だけだ。

 普段であれば、僕はこんなつまらないミスなど犯すことはないだろう。言い訳がましいが、この暑さで頭が働いていなかったことも要因の一つだ。

 僕は、これから起こる悲劇など予想すらせずに、ゆっくりと眠りについた。


     *


 ――ン、ヴァルケイン」

「……んあ?」


 誰かが僕の背中を叩きながら名前を呼ぶ。それで目を覚ました。

 頭を上げて後ろを見ると、そこにはレヴァイルがいた。若干呆れたような表情をしている。


「全く……山にいた頃はこんな寝坊をする事はなかったのに……どうしたのさヴァルケイン」

「……まだ疲れてるの。仕方ないでしょ、アヴリルに毎日振り回されてたんだから」


レヴァイルの小言にぶっきらぼうに答えながら、僕は辺りを見渡した。寝る前はたくさんの同族がいたのだが、今はほとんど残っていない。それに、残っているのも皆出口に向かっているところだ。

 ……嗚呼、もう学校が終わったのか。何となく合点がいった。

 レヴァイルに視線を向けてみると、彼も軽く一つ頷いた。そして、


「本当、ヴァルケインは場の状況を飲み込むのだけは早いよね……」


 ここは怒っていいところなのだろうか。褒められてはいるが同時に貶されているような、どうにも反応しづらい言葉をもらった。

 僕の微妙な表情が面白かったのか、レヴァイルはくすりと微かに声を立てて笑うと、こちらに手を差し出してきた。

 その手を取り、僕も立ち上がる。そして、残りわずかとなった同族とともに外へ出る。

 学校の前には、既に同族たちが並んで立っていた。僕たちもそこに加わり、契約者が出てくるのを待つ。

 程なくして、一人の人間の雄が飛び出してきた。その人間はそのまま僕たちの近くを通り抜け、少し後ろにいたドラゴン――ワーヴィレンに飛びついた。


「いよっし、遊びに行くぞワーヴィレン!」

「おうよ、分かってる。で、今日はどこに行くんだ?」

「今日は――


 そのままあいつらは学校から出ていき、街へと繰り出していった。……どうやったらあんな風に契約者と仲良くできるのだろう。後で聞いてみるとするか。

 ワーヴィレンとその契約者が出て行ったあたりで、他の人間たちが一斉に出て来た。その瞬間、そこかしこから名前を呼ぶ声が上がり、場は騒然となる。

 契約者と合流したドラゴンが、次々と学校から出て行き、やがて列ができた。

 最初は殆ど足の踏み場もない様な状態だったが、すぐに間隔が開いて、やがて平地に残るのは僕と、数体のドラゴンだけとなった。

 だが、アヴリルは未だ出てこない。一体何をしているのだろうか。

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