第19話

 あれから少し飛んで、小さな森林を超え、僕たちは楕円形の小さな湖へとやってきた。ズァイクによれば、森を『ドゥーク森林』、湖を『ビス湖』と言うらしい。

 太陽はもう完全に沈み、辺りは闇に包まれている。月も今日はその姿を見せていない。それ故、少し景色が見づらい。恐らく僕が人間であれば、全く何も見えなかっただろう。

 ドラゴンで良かった、と思うと同時に、ドラゴンだからこそ、ここを穴場に出来たのだろうと言う納得もあった。

 ズァイクはビス湖が真下に来た辺りで急降下し、セインの街に近い側の岸に降り立った。僕も、ズァイクの横に降り、ほっと一息。


「……どうやら、騙していたわけじゃなさそうだね」

「まだ疑ってたのか……はあ、信用ねえなあ、俺」

「……山にいた頃、よくそうやって騙されたからね」

「あー、なるほど……そりゃそうなるわけだ」


 そんな雑談をしながら、ズァイクの後を付いて森の中へと入っていく。

 ドゥーク森林は木々の感覚が比較的広く、体の大きな僕たちドラゴンでもかなり容易に歩けた。

 暫く森の中を歩くと、眼前に開けた場所が見えて来た。平坦な岩場の様な場所があり、その中央には少し大きい池がある。頭上は木々の枝が途切れていて、美しい星空がしっかり見えた。

 ズァイクは目の前の光景を見て、満足そうに一度頷くと、こちらを向いて、歯をむき出しにしながら笑った。


「よし、ついたぞ。ここが俺達のとっておきの場所だ」


 ……ここが、とっておきの場所?

 僕は、ズァイクの言葉に拍子抜けしてしまった。だってそうだろう、とっておきの場所、と言っておきながら、案内されたのは何の変哲もない池だったのだから。

 僕の反応を見て、ズァイクは若干不満そうに顔を歪めたが、すぐにいつもの調子を取り戻したらしく、微笑を浮かべて僕の手を引いてきた。


「ったく、ひどい反応しやがって……まあいい、きっと体験したらお前も驚くぞ?」


 そう言って、池の水面、の少し上を指さした。

 そこには、今気が付いたが、うっすらと湯気が立っている。……ということは、この池は水ではなく、湯という事か。

 そこで僕は、人間の文化にある『風呂』やら『温泉』やらと言ったものを思い出した。確か、体を洗うためのもので、お湯をためてその中に体を浸けるのだったか。娯楽としての側面もあると聞いた事もある。

 僕の考えを肯定するように、ズァイクは誇らしげに話し出した。


「見つけたのは偶然だけどよ、温泉だ。こいつぁ最高だぜ?」


 そう語るズァイクは、今すぐにでも入りたいと言わんばかりの表情をしていた。

 ……そこまで言うのなら、きっと心地よいものなのだろう。以前から少し気になってはいたのだし、丁度いい機会だ。

 僕はズァイクに促されるまま、湯気を立てる池の前に立ち、そうっと、前脚の先を浸けてみた。


「……温かい」

「だろ? これがすげえ気持ちいいんだって。さっさと全身浸かっちまおうぜ」

「うわぁっ!?」


 ズァイクに背中を押され、僕は池の中に落ちた。結構深いらしく、僕の全身がお湯につかった。

 ……心地よい。ズァイクの言うとおりだ。これは最高――とまではいかなくとも、極上の空間として四本の指の中には入る。それ程に良かった。

 少し熱めのお湯が全身を包み、冷えた体をゆっくりと温めてくれる。まだ僕が今の何倍も小さかった頃、母親に抱きかかえられていた時のような感覚だ。


「どうだ? 気持ちいいだろ」

「……うん」


 星が煌めく空を見ながら、頷く。

 数週間ぶりに落ち着いて見る夜空は、とても言葉では言い表せないほど美しかった。星の一つ一つがその存在を主張するように眩い光を放ち、暗い藍色の空に、宝石の様に散らばっている。

 僕が小さい頃から変わらない景色だけれど、久しぶりに見たからか、今まで以上に綺麗に見えた。


「……少し、お前に言いたいことがあるんだが」


 僕が空を見上げていると、ズァイクが、気まずそうな態度で切り出した。

 普段は裏表のない快活な性格の彼にしては、かなり珍しい態度だ。一体なんだろうか。


「……お前は、多分否定するだろうがな……多分、この生活も悪くない、って思ってるだろ?」

「…………寝言は寝て言ってくれないか」

「やっぱりなあ……まあ、お前が否定しようが、別にそれはどうだっていいんだ」

「……」

「多分だが、これからもお前の契約者――アヴリルの態度は変わらないはずだ。ありゃあ半ば病気みたいなもんだからな。だけど、だからっておざなりな態度はとるなよ? 曲がりなりにも契約しちまったんだ、義理は通せ。……俺が言いたいのはそれだけだ」


 言われて、僕は今一度考えてみた。

 最初は、契約したから、という理由でそれなりに真面目に接してきたが、今はどうか? 少し考えてみれば、かなり雑な態度をとっていたように思える。アヴリルの態度は一貫して変わらないが……僕は、このところアヴリルを適当にあしらってばかりだ。

 ……嗚呼、何をやっているんだ、僕は。

 僅かばかりの後悔が、胸に残る。あんなのは、幾らこちらが迷惑を被っていたとしても、開け広げに好意を示してくる相手に取る態度ではない。僕は、いつの間にかかなり失礼な奴になってしまっていたようだ。

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