第18話
何度か道を間違えながら、ようやくアヴリルの家へたどり着いた。太陽はもうレッドオーグ山の後ろに隠れて、空が山吹色に染まっている。道中色々と考え事をしていたので、その所為だろう。
「ふう……着いたよ」
ようやく着いたという安堵のため息をつきながら、アヴリルに声を掛ける。
……が、返事は帰ってこなかった。
まさか、置いてきてしまったか。ずっと抱きかかえていたので、そんなことはないはずだが。それに、手と腕にわずかだが熱を感じる。周期的に、熱風を拭きつけられているような感覚が……。
……待て。僕はレヴァイルと話している時、アヴリルの口を手で塞いでいなかったか。あの時は半ば勢いでやってしまったが、もしそのままであれば、もしかしたら……。
僕は急に不安になって、視線を下に向けた。
「……ふーっ……ふーっ……」
……顔を真っ赤にして息を荒げ、妙につやつやとした表情を浮かべているアヴリルが、僕の腕に収まっていた。
「うわああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…………っ」
「ぷげっ!? ……いたた、足が……」
思わずアヴリルを放り出してしまった。が、正直仕方ないと思う。
自分の手の匂いをかがれて興奮されるなんて、恐ろしい事この上ない。大声で叫ばなかったことを褒めてもらいたい。
「もう、ヴァル君何するのよ!」
「う……」
……まあ、僕が悪い事をしたのに変わりはないのだが。
見れば、アヴリルは足を抑えて蹲っている。目尻に涙をためて、恨めし気に睨んできていた。
うん、これ僕が謝るしかないよね。完全に僕が悪い。
「……その、ごめ――」
「せっかくヴァル君の手舐められると思ったのに!」
「…………」
……僕の罪悪感を返せ。
*
あの後、僕は散々アヴリルに詰め寄られた。出会った時のあの濁りきった瞳で。心底怖かった。
少ししてアヴリルの両親が止めに来てくれたので僕が地獄を見る事はなかったが、あのまま誰の救いの手もなかったらと考えると、背筋が冷える。アヴリルのご両親様様だ。
「よお、随分お疲れの様だな」
家の裏手の芝生でうつ伏せになっていると、背後から声を掛けられた。其方を見れば、ズァイクが一体で立っている。いつも一緒にいるアレイは、いなかった。
「……んー、まあね」
僕は自分でも少し疲れているように聞こえる声で、ズァイクに返事をした。
……どうにも、疲れが抜けない。それは、ずっと感じている事だった。アヴリルと契約してから、ずっと。
しかし、ここに来て疲れがたまる速度が急に上がった。そのせいで、これまで何とか誤魔化してやってこれたのが、途端に難しくなってきた。
「……やっぱりな。そうなると思ってたよ」
「……あなたは呑気に構えていられて、羨ましいですよ」
思わず愚痴が漏れる。が、ズァイクはそれを気にした風でもなく、カラカラと笑って言葉を続けた。
「はは、そうかもなあ。まあ、お前と同じくらい、俺も大変な思いしてきたからな」
「…………」
「そんで、よ……」
ふと、ズァイクが声のトーンを一段下げた。聞き取り辛くなった声を逃さないよう、そちらに耳を傾ける。
「せっかくだから、俺達とっておきの息抜き場所に連れて行ってやるよ」
「……はあ」
……随分と胡散臭い話だ。何というか、罠の匂いがプンプンする。
僕が疑っているのを感じたのだろう、ズァイクは器用に肩を縮めながら、どこか自慢するような口調で言った。
「別に、疑わしいってなら来なくてもいいぞ。俺達だけで楽しむからな」
「ぐ……」
そんな事を言われると、なんだかもったいない気がしてきてしまう。何となく、行かないと後悔するぞ、と諫められているような気が……。
「はあ……分かったよ。乗ってやる」
「お、いいねえ」
僕が承諾すると、ズァイクは心底楽しそうな笑みを浮かべた。そこに、何かを隠している気配はない。……僕は表情を読むのが下手くそだから、当てにならないが。
僕が体を起こすと、ズァイクが付いて来いと言わんばかりに大きく翼を広げ――
「……え?」
空へ飛び立った。
……おかしい。街中で飛ぶのは禁止では無かったか。その事を聞いてみれば、
「アヴリルの家は街の外れだ。その裏庭から飛んだって、誰も起こりやしないよ」
かなり適当な返事が返ってきた。
「……はいはい」
僕は置いて行かれないように、小さくなっていくズァイクを追って空へ舞い上がった。
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