第16話

「ようし、これで今日の授業は終わりだ! 号令!」


 その声が響いた直後、アヴリルと同年代の人間のうち一人が「起立!」と声を張り上げ、それに従うように全員が席を立った。ガタン、という、人間が座っている木の道具が数十個、一斉に音を立てる。

 その音がやむと、続いて「礼!」と声が響き、やはりそれに従うように、全員頭を下げる。

「有難うございました!」と言う声が散発的に響いた後、今度は緊張の糸が弛緩したように、部屋の中は一気に騒がしくなった。先程の強い団結力、のような物はもう見られない。

 ――どうやら、なんとか今日も乗り切れたようだ。僕は、心中で深く息をはいた。

 ちなみに、その間アヴリルはと言えば。


「……すぅ……すぅ……っ、はああぁぁぁ……ヴぁるくんのにおい……」


 ずっとこの調子である。

 だが、部屋が騒がしくなって流石に今の状況に気が付いたのか、先程まで濁りきっていた瞳に光を宿し、周囲に視線を巡らせる。

 そして、僕の方を向いて、一言。


「よっし、ヴァル君! 帰るよ!」

「……はあ……分かってるけどさ」


 ……本当にこんなもので良いのだろうか。何かを学ぶために来ているのではないのか。

 アヴリルに引っ張られてここに来ることも多いので、僕も良く話に耳を傾けることがあるのだが、国の歴史や地形、計算、文学、魔術理論などなど、結構濃い内容だという事は十分理解している。

 だから、こんな風に話を聞かず、ずっと僕にくっついて離れないままでいて、果たして大丈夫なのだろうか、と時折考えてしまう。

 ……まあ、言ったところで聞かないのは百も承知だ。こればかりはもう仕方ない。諦めるしかないのだ。

 僕はアヴリルに従い、部屋を出ていく人間たちの後を付いて部屋を出た。尻尾でドアを閉め、人間たちの波に呑まれながら出入口へと向かう。

 その道中、周囲の人間たちが先に走って出ていき、僕たちだけが取り残されたころ。


「……ッ」


 僕は、通路の曲がり角の陰で、息をひそめて待っている気配を感じ取った。

 明らかに友好的ではなさそうなその人間に対して、僕は最大限警戒しながらその前を通る。

 僕が通路の前に一歩足を踏み出した瞬間、その人物は勢いよく飛び出し、アヴリルの口元に一枚の布を押し付けようとしてきた。

 だが、僕が上に抱き上げたおかげで布がアヴリルの口にあたる事はなく、代わりに僕のお腹のあたりにあたった。


「……――ッッ! ちい……ッ!」


 いかにも悪者ですと公言するかのような行動を起こしたのは、僕の予想通りクローチだった。

 全身を黒い布で覆い、露出させているのは両目だけであった。その瞳は、最初狂気に満ちていたが、僕の姿を見て驚きを露わにし、次いで怒りの色を持った。


「え……? な、なにこの頭のおかしい人……」

「――ッ、あ、頭のおかしいとは何だ! ぼ、僕はいたって健全だぞ!」

「……ああ、うん。アヴリルに比べればそうかもね」

「ちょ、ちょっと何言ってるのヴァル君!?」


 いけない、思わず本音が出てしまった。

 アヴリルが頬を膨らませて、こちらを睨んでくる。心なしか目が潤んでいるようだ。……まあ、当たり前だが、ひしと僕の腕にしがみついている時点で、全然怖くない。

 僕は、顔を赤くしながら文句をたれるアヴリルを無視して、クローチに向き直る。クローチは、僕の視線を受けても全くたじろぐ事無く、むしろ思い切り睨み返してきた。


「ねえ、君さ、何考えてるの?」

「ッ、それはアヴリルを僕のものにしようとしているに決まっているだろう!」

「……現在進行形で被害を被ってる僕がこんな事言うのもあれだけどさ、そんな事させないよ?」

「も、もしかしてヴァル君ついに決心が」

「アヴリルは黙ってて」

「もごお!?」


 ……本当に、緊張感の欠片もない奴だ。自分が狙われていたというのに、怯える様子が全くない。

 それだけ僕が信頼されているという事だろうか。まあ、実際僕が裏切ることはないだろうが。契約を交わした以上、そんな事は許されないのだから。

 ただ今の状況で、アヴリルは邪魔でしかない。いちいち話を脇道に逸らしそうなアヴリルの口に、アヴリルが持っていた布を押し込んで黙らせた。


「……随分荒い扱いだな」

「いやだってこれくらいしないと止まらないし」


 クローチに同情された。たった今敵対しているのに、そんな調子で良いのだろうか。


「――って、そんな事はどうでもいい! おいお前、今すぐ僕にアヴリルを寄越せ!」

「……そっちも結構鬼畜の所業だと思うんだけど」

「う、うるさい! 黙れ!」


 僕の皮肉を受けて、更に激昂するクローチ。段々と目が充血しだして、瞼のあたりも赤くなってきている。

 どうやら効果は抜群の様だ。ただ、このまま怒らせて暴走されても面倒なので、僕は手っ取り早く抑え込むことにした。

 アヴリルを抱いたまま、僕はクローチに背を向ける。背後から「な、お前、随分と侮ってくれるじゃあないか!」と言う声が聞こえたが、気にしない。

 僕はそのまま尻尾をクローチの胴に巻き付け、強く締めあげた。


「ぐ……っあ」

「少し大人しくしててね」

「ふ……ふざけるなあ゛あ゛ッ!?」

「だから、大人しくしててって言ったじゃん」


 ぎゃんぎゃんと騒ぎ立てるクローチをさらに締め上げると、悲鳴を上げた後、静かになった。見ればどうやら気絶しているらしい。

 ……嗚呼、少しやりすぎたかな。本当はここまでする気はなかったが……まあ、なってしまったものは仕方ない。

 僕はアヴリルの口から布を取って、片手で抱き上げながら、尻尾でクローチを掴んだまま建物の外へ出た。

 やはりと言うか何というか、僕たちが最後だったらしい。学校の前に広がる平地は閑散としていて、何者の存在もなかった。

 レヴァイルを除いて。

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