第12話

 散々頬を擦り付けてからようやくアヴリルは僕から体を離し、石壁の外へと向かう。僕はいつもより少しだけ距離を離して、アヴリルの後に付いて行った。

 ……周囲の視線が痛い。何か珍妙なものを見る様な目が、僕の心を容赦なく抉ってくる。本当につらい。

 僕は視線から逃れるように身を縮こませて、そそくさと学校を後にした。石壁を越えてすぐにアヴリルの家がある方へと曲がり、少し行ったところで足を止める。


「ヴァールー君ー? ひどいよ、私の事置いてくなんて」


 ……いつの間にかアヴリルを抜かしていた。ちょっと怒ったような口調で愚痴を零しながら、僕の後ろからゆっくりと近づいてくる。

 少しして僕を抜かしたアヴリルは、こちらを振り返って睨み付けて来る。頬を紅く染めながら膨らませているのが、どことなくリスに似ているな、なんて思ってしまった。


「ヴァル君は私のど……夫なんだから、普通追い越さないでお姫様抱っこだよね? まさか、私に愛想尽かしたなんてことないよね?」

「いや、そもそもアヴリルとは番になってないし尽かす愛想もクソもないんだけど」

「ね?」

「……いや、さ、追い越しちゃったのは悪いと思ってるよ、うん」


 そこまで本気で怒っているわけではないのは分かるのだが、ちょっと怖い。僕より何倍も小さな体の割に、威圧感が尋常じゃないのだ。長に正面からきつく睨み付けられた時の様な重圧を感じる。

 そして、どさくさに紛れて、なに言質を取ろうとしてくるのだ。本当に油断も隙もありゃしない。

 ……まあ、でも僕が悪い部分もあるし、一応謝る事にしよう。

 

「…………ごめん」

「……そう思ってるんだったらさ、行動で示してみてよ」

「……って言うと、僕にお姫様抱っこをしろと?」

「そうだよ」

「……分かったよ。今回だけだからね?」


 あまり受け入れたくない条件だったが、今回は仕方ない。やるしかないのだ。

 僕はアヴリルの背に右手を添え、その小さな体躯を支える。その後左手を太もものすぐ下あたりに添え、その状態でゆっくりと抱えた。


「……これでいいの?」

「大丈夫だよ。よし、それじゃあ私たちの寝床へレッツゴー!」

「……はいはい……」


 正直今すぐにでもやめたいくらいなのだが、喜んでいるアヴリルを見ていたら何もできなかった。

 出所不明の知識でやり方だけは知っていた『お姫様抱っこ』とかいう抱き方だが、まさか実際に体験することになるとは思っていなかった。一見無駄に思える知識でも、役に立つ日が来るものなのだな、と現実から目を背けておく。そうでもしないと精神が持たない。

 猛烈な羞恥心を覚えながら、僕はアヴリルを抱えて彼女の家まで歩いた。道中すれ違う人間やドラゴンたちから好奇の目を向けられ、その度に心が抉られる。

 アヴリルの家に到着する頃には、精神的な疲労でもう一歩も動けない状態になっていた。


「嗚呼……やっと着いた……」


 家を前に立ち止まった僕の腕から飛び降り、アヴリルは此方を向いて満面の笑みで言った。


「ありがとヴァル君! おかげで楽が出来たよ」

「……もしかして狙ってた?」

「え? なんのこと?」


 突っ込んでみたが、うまくはぐらかされてしまった。段々僕がアヴリルの道具になりつつある気がするのは、気のせいあってほしい。

 これ以上追及する気も起きないので、少し寝ているからと言って家の裏まで来た。疲れがたまった体を芝生の上へ仰向けに横たえ、瞼を閉じると、僕の意識はあっという間に夢の世界へと誘われる事となった。


     *


 どれだけ寝ていたのだろうか、僕は顔にかかる生暖かい風で、現実へと意識を引き戻された。起きたばかりで少し重い瞼を無理矢理開きながら、焦点が微妙に合わない目で周囲の状況を確認する。

 どうやらもう夜も深いようで、暗く染まった空には無数の星が煌めき、天頂には円い月が妖しく浮かんでいる。人間の家は皆明かりを消し、街はひっそりと静まり返っていた。それはアヴリルの家も例外ではない。

 ……どうやらズァイクとアレイはまたどこかに行っているようだ。その姿はどこにも見当たらなかった。

 と、再び生暖かい風が顔にかかった。僕のお腹のあたりからだ。そういえば、お腹も少し生暖かいし、それに少し濡れているような気がした。

 ……なんだか嫌な予感がする。僕は最悪の事態を想像し背筋が冷えるのを感じながら、ぎこちない動きでゆっくりと、頭を自分のお腹に向けた。


「……ふー……っ、ふー……っ」


 アヴリルが僕のお腹に下半身を擦り付けながら、ほおを紅潮させて息を荒げていた。

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