第8話

 結局あの後、僕に積極的に話しかけようという勇気のあるドラゴンはいなかった。僕が話しかければ相手をしてくれるが、向こうから声が掛けられることはまずない。

 そして、僕の周囲の空間が入ってきた時より少しだけ広くなった。原因はまあ……少し考えれば分かることだ。気持ちは理解できるのだが、僕の心が砕けるからやめてほしい。やめてほしいのだが、当分は変わらないだろう。泣きたい。

 僕がこの空間から解放されたのは、僕がワーヴィレンの奴に居場所を奪われてからだいたい三時間たった頃、周りの反応も若干だが優しくなってきた頃のことだ。

 僕たちだけだった空間に、突如として外の光が差し込む。其方を見ると、数人の人間が何かを持って入ってくるところだった。


「あー、もうそろそろ昼飯の時間だ。今持ってくるから、ちょっと待っていてくれ」


 もうそんな時間だったか。太陽が見えないので時間の感覚がいまいち薄い故、全く気が付いていなかった。

 他の皆も気が付いていなかったようだ。……今更だが、どうしてこの空間には窓がないのだろうか。この建物を作った人間に一言言ってやりたい。

 それよりも、ここでは飯が配られることが驚きだ。飯はこれまでずっと自分が食べたいときに草原と森の入り口近くで探して食べていたので、強烈な違和感がある。

 僕がそんなことを考えながら入口の方を見ていると、間もなくたくさんの人間が何かを引きずってきた。

 それが僕たちのいる建物の中に入ってくると同時、鼻にツンとくる香りが漂い始めた。


「今日はオーク肉のローストだ」


 強烈な匂いを放つそれを持ってきた人間の一人が、そんな事を宣った。それによればオークの肉であるらしいのだが……


「……ねえ、オークってこんな匂いしたっけ?」

「する訳ねえだろうよ。……一体何なんだ?」


 僕は近くに寄ってきたワーヴィレンに問いかける。勿論帰ってくる答えは否だ。

……そう、今漂っている匂いは明らかにオークのそれではない。人間の言う事が真実であるとは到底思えなかった。

 僕が知るオークの匂いはと言えば、森の草花の爽やかな匂いとゴブリンやウルフの血や肉の生臭いにおい、そして妙に甘ったるい臭いが混ざった、不快指数が限界突破しそうな気持ち悪いものだ。焼いた後も少しだけ残っていたりするので、僕はそれがとても嫌いだった。

 それがどうだろう、今漂っている匂いは鼻にツンときはするが、不快感と言うものは微塵もない。爽やかな刺激臭とでも言おうか、その匂いは僕の知るものではなかった。強いて言えば、以前食べたことのある緑色のマタタビの果実に近いだろうか。不思議な匂いだった。


「――次はあんたらだな、ほれ、好きなのを取ってくれ」


 と、気が付けば僕たちの前まで運ばれてきていた。鼻を突く刺激臭はより強烈になっているが、それでも不快感はない。

 周りを見れば、既にもらっているドラゴンはとても美味しそうに食べていた。何か異常が発生している様子もない。僕は少しだけ悩んで、問題ないだろうと結論付けた後一つを手に取って歯を突き立てた。

 

「――ッ!!」


 瞬間、僕の歯はなんの抵抗も受けず肉の中へと沈み込み、その隙間から大量の肉汁が口内に流れ込む。それは僕の記憶にあるオークの臭いが残っておらず、かといって純粋な肉の旨味だけかと言われればそうではない。

 オーク肉全体に先程の匂いに似た、舌を痺れさせる様な辛味が染み込んでいる。それは、単体ではしつこくなる肉の旨味を引き締め、すんなりと喉の奥へと流し込む。後味も程よい香ばしさで、気持ち悪さはどこにもなかった。

 今まで味わったことのない感覚に目を見開いていると、先ほど僕に話しかけてきた人間が、ばつが悪そうにこちらを見ている。

 ……なんだか嫌な予感がした。


「……えーと、何か?」

「あ、ああ……実はな、あんたの契約した子が会いたいって騒ぎ出してな、止めようと思ってたんだがどうにもおさまらないんだよ……」


 ……嗚呼、やっぱり無理だったか。

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