第2話

 あの後幾度となく自分の世界にトリップして、その度に頭を殴られていたけど、まあ何とか日没までには山を下りた。下山中にいきなり足取りがおぼつかなくなるものだから、落ちたりしないかと終始肝を冷やしていた。

 山を下りた時点で、アヴリルに付き添っていた人間たちは先に行ってしまった。

 そうして山を下りて、辺りを見渡してみれば。

 先程僕のことをスルーしていった人間たちが、並んで立って待っていた。僕の友達を連れて。

 僕の友達は皆、僕が面白い見世物であるかのように、ニヤニヤしながらこっちを見てくる。イライラするからこっち見るな。


「……あいつ、やっと戻ってきたよ……。ちょっとこだわりすぎじゃないの?」

「仕方ないだろ、そういうやつなんだからさ……」

「なんかちょっと、キモいよねあいつ……」

「シッ! 聞こえちまうだろ! 静かにしろ!」


 おもいきり聞こえていた。内緒話とはなんなのか。

 どうやらアヴリルの異常性は既に知れ渡っているようだった。よくこれでやっていけるものである。

 と、人間の集団の中でひときわ年を食っている雄が、こちらに寄ってきた。


「アヴリル、君は契約相手を見つけるのにえり好みをしていたそうじゃないか。そんなつまらない事で他者を待たせるのかね?」

「つまらない事じゃありませんよ! 何よりも大事な事です!」

「……はあ、君にはやはり何を言っても変わりそうにないね」

「分かってるじゃないですか」

「……全く、こんな調子でちゃんと職に就けるのかね……」


 やはりというか何というか、最早諦めの境地に至っているらしい。しっかりしてくれ、アヴリルの保護者だろうに。

 

「とにかく、早く列へ戻りなさい」


 年老いた雄に促されて、アヴリルが人間の波に入っていく。僕も慌ててその後を付いていった。

 ……それにしてもすごい。百や二百ではきかないだろう、かなりたくさんの人間がいる。そしてそのどれもが、僕の仲間を従えているのだ。壮観、というのは違うのだろうが、とにかくすごかった。

 そんな人間の列の、最後尾に僕たちは並んだ。

 そのまま少し待っていると、先程アヴリルに小言を言っていた人間が台に上って、棒のようなものを握る。そしてその先に口を近づけて、話し出した。


「……えー、予定よりかなり時間が経ってしまいましたが、無事に全員契約を済ませた、という事でですね、えー、今日はこれにて解散としたいと思います。えー皆さん、お疲れ様でした」


 声が大きくなっている。いや、あの棒のようなもので大きくしているのだろうか。人間は面白いものを作るなあ、と現実逃避。

 周りにいる友達が、さっきから僕の事をからかってきて、ちょっとイライラしているのだ。『随分面倒な奴につかまっちまったなぁ』なんて、五月蝿いことこの上ない。

 今壇上に立っている人間は話が長くならない人らしく、もう終わりそうだったので、そこは僥倖か。

 結局一分もしないで話は終わり、棒状のものを後ろに控えていた人間に手渡した後、軽く頭を下げてどこかへ行った。

 壇上から人間がいなくなると、僕の周囲が少しずつ騒がしくなってくる。それに合わせて列も崩れてきた。

 

「ん、ここにいると帰るの大変になっちゃうから、早く行こ!」


 アヴリルがそう言って、僕の手を引っ張ってくる。僕はなされるがまま、彼女の後を付いていった。

 と、不意に視線を感じて、辺りを見回す。……いた。周りより少し背が高く、体が細い人間の雄。そいつが、こちらを無遠慮な目で舐め回す様に見てくる。僕、というよりもアヴリルの方だ。

 その人間は暫くこちらを眺めた後、ゆっくりと寄ってきた。

 アヴリルは未だ人(と、ドラゴン)の波をかき分けるのに四苦八苦していて、中々進めずにいる。恐らくこのままではすぐに追いつかれるだろう。

 僕としてはあの人間の目的が何であろうと関係ないが、何となく嫌な雰囲気がある。アヴリルの狂気とはまた違う、どこか陰湿な雰囲気。

 面倒事の気配がする。伝えておいた方がいいだろう。

 

「……ね、ねえ……」

「何? どうかした?」

「いや、なんかこっちの方をじろじろ見てくる薄気味悪い奴がいるんだけど……」

「どこ……? うわ、あいつか……。あいつ、ずっと私の事を狙ってくるのよ。ほんっとうにキモくてさ。って、もしかしてこっち来てる?」

「来てるよ」

「うわあ……最悪」


 嗚呼、どうして僕はこうも不幸体質なのだろうか。こんな頭のおかしい人間につかまるだけでなく、その人間絡みの面倒事にまで巻き込まれるとは。嗚呼、山の上の草原が早くも恋しくなってきた。

 

「やあアヴリル、随分と急いでいるようだけど、どうかしたのかい?」


 来た。あの陰湿な人間だ。間近で見ると、遠目で見た時よりも陰湿さが際立っているような気がする。下卑た笑みを顔に貼りつけて、とても気持ちが悪かった。

 というか、彼が契約しているドラゴンが、僕の友達だった。レヴァイルという名前の奴で、僕以上に穏やかで優しい奴だ。こんな人間につかまってしまっていたとは、なんとも哀れな話である。


「別に、あんたに関係ないでしょ、クローチ。私はさっさと帰ってヴァル君といちゃいちゃするの」


 どうしていちゃつく事が確定しているのか。僕は許可した覚えがない。

 相手の人間――クローチという名前らしい――は、アヴリルの返答を聞いて笑みを深くした。気持ち悪さが段違いになった。


「なんだ、君まだドラゴンと結婚するなんて夢を見てるのかい? そんなくだらない夢は捨てて、僕の彼女になってくれればいいのに」


 クローチは気味の悪い笑みを浮かべたまま、アヴリルに詰め寄っていく。とんでもない言葉が聞こえた気がするが、もう今さらだ。

 と言うか、この芝居がかった口調はなんとかならないのだろうか。表情も合わせて気持ち悪さに拍車がかかって、僕には毒だ。


「嫌よ。絶対に嫌。私はヴァル君と結ばれるの」

「そんな事言わないでさ、お願いだよ」


 中々決心の固いアヴリルだった。クローチの言葉に見向きもしない。まあ、クローチは僕目線からしても気持ち悪いので、当然と言えば当然かもしれない。

 そして僕は人間と番になる気などないというに、アヴリルは勝手に話を進めないでほしい。


「何? 彼女になったら何かしてくれるの?」

「勿論。君が望む事だったらなんだってしてあげるよ」

「……本当に?」


『なんでも』という言葉に弱いアヴリルだった。

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