第一章

第1話

「何この子エロすぎるって! え? 何なの君? 天使? もしかして私と結ばれる運命だったのね!?」

「……え、えっと……」

「他の子は皆厳つくておっさん臭くて、もうどうしようもなかったけどさ! 君だけは違うよ! エロスに満ち溢れてるよ! つぶらな垂れ目! くるくるした角! つるつるの鱗! ぷにぷにのお腹! 完璧だよ!! 下腹部から尻尾のラインなんか鼻血ぶちまけて死ねるレベルだよ!?」


 ……駄目だ。僕は目の前の人間が言っている言葉が理解できない。

 『エロい』って何さ。『エロい』って。

 いや、僕だって言葉の意味が分からないわけではない。それに、偶に友達の雌にそういう感情を抱くことだってある。

 だけど、人間が僕たちドラゴンに対して劣情を抱くって、聞いたことがないし聞きたくもなかった。

 だって、人間だもん。ドラゴンじゃないもん。僕にはどう頑張ったって無理だ。

 

「ねえねえ、そのお腹ぷにぷにさせてよ! いいでしょ、ね、いいよね! いいよね!?」


 僕の困惑も何のその、目の前の人間は絶賛暴走中である。もはや契約の事など頭になさそうだ。完全に自分の世界にトリップしてしまっている。

 現に目がヤバい。先程まで光を湛えていたその瞳はとうに濁りきって、口はだらしなく開いて涎が垂れている。

 ……嗚呼、これは下手に使い潰されるよりも過酷な日々になりそうだ。僕は使役される前から、これからの生活に絶望していた。


「……ドラゴンを前にして興奮するのは分かるが、とりあえず契約を済ませてくれ。さっさと戻らないと怒られるぞ」


 何とか持ち直したらしい付き添いの人間が、未だ覚醒している人間の雌をたしなめる。……興奮するのは分かるのか。人間とは末恐ろしいものだ。


「あああぁぁぁぁぁヤバいよヤバいよ……こんな子と毎日一緒に居られるなんて考えたらそれだけで昇天出来ちゃうよもおおおおぉぉぉぉぉぉ……!」


 全く聞こえていないようだ。相変わらず呪詛の様に狂気じみた言葉を紡いでいる。流石にもう聞きたくない。

 と、先程たしなめた人間が額に青筋を浮かべて手を上げた。そしてそのまま、呪詛人形人間の雌の頭に振り下ろす。

 

「ぬわーーっっ!!」


 情けない悲鳴を上げて、人間の雌が頭を押さえて蹲る。同時に瞳に光が戻った。どうやら正気に戻ったらしい。

 彼女は暫くそのまま震えていたが、ややあって立ち上がり、こちらに顔を向けた。……瞳が一瞬濁りかけたが、なんとか思いとどまってくれたようだ。


「ごめんね……ちょっと素が出ちゃったみたい」


 あれが素だったのか。……嗚呼、これはかなりまずいかもしれない。これから僕は、あの狂気に常に纏わりつかれることになる訳だ。下手な拷問よりもひどい。


「なんか早く戻らないといけないみたいだから、契約しちゃうね! じゃ、右手出してくれる?」

「……はい」


 言われた通りに右手を出す。三本指の、鋭い爪が生えた、可愛げのない手だ。

 彼女はその手に視線を移し――また目が濁った。


「……はあぁ……このぶっとい指であそこをかき回されて……いだい!」

「おい」

「ひゃい!?」

「さっさとしろ。次はないぞ」

「は、はいいぃぃぃ!」


 また頭を殴られていた。この雌は学習しないのだろうか。

 彼女は痛みに目を潤ませながら、いつの間にか懐から取り出したらしいナイフを握って僕の手の甲に浅く切り傷を付けた。

 僕の手から血が滴る。彼女はそこに自身の右手を添え、何やら呟いた。


「我が名のもとに、この者を血の盟約で結ぶことを宣言する」


 それが終わると同時、僕の手と彼女の手が淡く光り始める。その時、なんとなく体の中に温かいものが流れ込んでくる様な感覚があった。

 暫くして、光がやんだ。それに合わせたように、温かい何かが流れ込んでくることもなくなった。


「これで契約は完了だよ! これからよろしく!」

「……ああ、うん。よろしく」

「そういえば、名前聞いてなかったね。私はアヴリルっていうの! 君は?」

「……僕はヴァルケインだ」

「――ッ! もしかして一人称『僕』なの!? え、ちょっと待ってヤバい可愛すぎでしょ!?」


 自己紹介しただけなのに、また暴走し始めた。本当に、この人間の思考回路が理解できない。理解したくもないが。

 ……また頭を叩かれた。そうやって何回も頭を叩かれているからこんなにおかしくなったのかもしれない。

 何はともあれ、契約は済んだ。僕はこれからどうなってしまうのだろう。

 

 こうして、僕と頭のおかしい人間の雌――アヴリルとの奇妙な同居生活が始まった。

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