第7話
父は牡丹の刺繍が美しい臙脂色のソファに小さく収まっていた。少年漫画を食い入るように読んでいる。新興宗教団体の首長という立場から解放された父の本当の姿だ。
炊事場で淹れたジャスミン茶を持ち、父の傍へ行った。
「お茶持って来たよ」
「ありがとう。そこに置いておいて」漫画から目を離さずに言った。
机に広げてある新聞を取って、代わりにお茶を置いた。部屋の奥にある暖炉の手前に座り新聞を広げた。一面にはある野球選手が写っている。父の好きな選手を打ち取ったようだ。数枚めくり競馬のページを見ると、赤い鉛筆で丸や三角の印が書き込まれている。
父は俗物だ。おおよその人が想像する宗教家からは遠い。忍んで煙草を吸い、お酒を飲み、呆ける。神事に追われる人生の娯楽だ。いつだったか私が教えに背いた時、あの表情とは全く違う。奥まった瞳は閉ざし、私の言葉は父へ届かない。どんな言葉であっても、道半ばで凍り付き、雪のように落ちてしまう。
「今日の祝詞すごく良かったよ」
「そっか、ありがとう」父は不愛想に言った。
いい祝詞とは何だろう。中身のない言葉だ。父は疑問に思わないのだろうか。私は毎晩父の仕事を褒めているものの何も理解していない。享楽に溺れる父を振り向かせたかった。
「きっと祈りは届くよ」
父は沈黙で答えた。暖炉から薪の割れる音がした。
父は祖父が鬼籍に入り二代目に就任すると重責と忙しさからか寡黙になった。始めは俗世にまみれることなく、一心不乱に職務に励んでいた。中でも布教活動に注力し、両手で数えられる程しかいなかった信徒が数年で百人を超す大所帯となった。規模が大きくなるにつれて、組織を束ねることが難しくなる。末端の信徒の不信が、まるで枝葉の先の病が幹まで蝕むように、全体に浸食した。
そして、父は煙草や酒に依存するようになった。
この父の執務室には、かつての功績が残っている。私が生まれる前に撮った白黒の集合写真が壁に掲げられている。キャビネットにはいくつもの楯が並んでいる。父はふとした拍子に、酒の海に沈んだ志が舞い戻り、正気と狂気の狭間のぼんやりとした目でそれらを見つめていた。
少年が将来を憂い、青年が絶望し、年寄りが裏切られる。
まともな想像力がある人がそうであるように、父もまた人生を悲観した。
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