第3話

 山奥にある地図にも載っていないような場所で、背の高い針葉樹に隠れて建っている洋風の屋敷。私はここで生まれた。この新興宗教団体の跡取りとして。

 俗世から切り離されていたが、テレビや本から学んだ外の世界の知識はあった。写真や映像で見る海や都会の景色は、私が大好きだった少女漫画と同じくらい輝いている。

 優子はここの宗教に興味を持ち見学に来てくれた人達のガイドをしている。大講堂から化粧室まで、施設内をくまなく周る。私は都合が合えば必ず優子の仕事を見に行った。私に手伝えることはない。しかし、優子は「傍にいてくれるだけでもうれしい」と言ってくれる。繋いだ手から伝わる温もりを感じながら、彼女の言葉に耳を傾けた。

「この燭台は開祖――。この子の祖父が祭儀で使っていた品です。開祖は崇高な方でした。物質的に満たされるよりも精神的な豊かさを求めました。戦後間もなく何もかもが足りない時代です。開祖も大変な苦労をされたそうです。しかし、そんな中でも自分が抱く正義に従い、人が生まれながらに持っている良心を信じ、行き過ぎた欲望の先の空虚を見抜いていました」

 祖父の話は、どんな昔話やお伽話よりも深く記憶に根付いている。優子の口からだけではなく、父や指導員からも折に触れて聞いていた。苦も無く諳んじることが出来る上、話し手によって変わる解釈の違いも把握していた。ただの説話ではない。私達にとって祖父の存在は誇りだった。

「今でこそ数多くの理解と協力を得ています。しかし、この穏やかな日々は開祖の孤独な努力の賜物だと私は忘れません。かつて開祖はトタン屋根の掘っ立て小屋で、雨風にさらされながら、一本のロウソクの火を頼りに祈りを捧げました。片や私達は温かい部屋で仲間とともに祈ります。私は恵まれていることを自覚し、そして感謝しています」

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