セッション

のが

セッションBLB

Baby,Ghost raider

 ふと目が覚めたとき、男は冷たい床に転がっていた。

 数秒のうちに頭が冷静を取り戻して、前後の状況を理解する。

 そうだ、おれは『インターネット』に潜ったんだったな、と頭の中で呟いた男は、古ぼけた液晶が壁一面に張り巡らされたから、光の漏れる出口へとゆっくり歩きだす。

 あとには、埃まみれのテレビやスクリーンが故人の遺影のように静かに、何一つ口を利かずに佇むだけだった。


「お。戻ったか、カザキリ。なによりだ。出てこないにしても俺にゃ確かめる術も無いからな、毎度毎度ひやひやしちまうよ」

「ああ。ご心配おかけした。次の街の場所がわかった、エックス」


 外に出ると、コンクリートの階段に一人の男が座っていた。エックスと呼ばれた青年は尖った髪をがしがしと掻きながら、カザキリに人の好さそうな笑みを浮かべて見せる。男は大きなバックパックにぶかぶかのパーカーを着て、一方で頑丈そうなブーツを履いていた。

 横には同じような装備が置いてあり、つまりこれが男、ジャンパー・カザキリのものだった。ほれ、とエックスから眼鏡を手渡され、カザキリは整った顔立ちにそれをかけ、ようやく一息ついてみせる。


「結局、ここ……ユネツは元々なんて街だったんだっけか。カナワとか、ショーナとか、よくわからん単語をちょいちょい聞いたけど」

「『箱根』、だそうだ。場所は曖昧だったが、おれたちも思いのほか東まで来ていたらしい。漢字で書くと、こうだ」


 カザキリは出口そばの階段前でしゃがみこむと、コンクリートの上に薄く積もった砂を使って丁寧な字で箱根の文字を書く。エックスは見たこともない伝説上の怪物の話でも聞くような訝しげな表情でそれを見ていたが、エックスが口の端をわずかに歪ませているのを見て、両手をあげた。


「わかった、わかった。いやなんて書いてあるのかもわかんないけど、お前が楽しそうなら十分だよ。滅多に見せない顔しやがって、ずるいわ。ずいぶん『インターネット』を歩き回ったみたいだな? おお?」

「ああ、収穫は予想以上だ。さまざまな知見を得たがどれも貴重なものだったよ。そのせいで普段より時間をかけてしまったみたいだが。申し訳ない」

「ああ、いいよ。ぼんやりするのには慣れてる。気にすんな」


 カザキリはエックスから目線を逸らすと、街の隙間から見える夕陽の方を向き、目を細める。ここからではわずかに見えない位置取りだが、以前の読みは変わらず今日は南西に沈む。どうやら予想は当たっていたな、とカザキリは内心胸を撫で下ろした。

 エックスはカザキリが背負いやすいようカザキリのバックパックを持ち上げてやりながら彼の話を聞き、やがて二人は階段を降りて施設跡を歩き回ることにした。その間も二人の会話は続く。


「じゃ、代わりにあとで俺にもわかりそうな話でも聞かせてくれよ。そういうのが俺の一番のエンタメなんだから」

「承知している。選りすぐりを語って聞かせよう。『ドーナツ』は、エックスが好きそうな話だな」

「『どーなつ』? なんだ、昔の乗り物かなんかか。この前見たバイクはすごかったな。アレ好きだ。あんなので長旅なんて出来ねえと思うケド」

「ハーレーのことか。確かに難しいかもしれないな。だが違う、乗り物ではない。クイズだ。夕飯までに当てて見せろ」

「夕飯って、ここだろ、今夜の『ホテル』とやらは。やたらと部屋数が多いけど、本当にホテルなんかな」

「いや、どうやら違うようだ。『学校』と、そう呼ばれていたらしい。ここに来るときに入り口で漢字の彫られたプレートがあったろう? あれがこの施設の名前だ。覚えてるか」

「ああ、あれねえ。どうにもさっぱりだ。今使われてない施設ってことは、軍事か、教育か、福祉か、娯楽か……」

「教育、が正解だな。こどもたちが勉強しに来る場だったようだ」

「へえ。そりゃまた、要らない場だな、には」

「……。おれは正直に言うが、一度ぐらいはちゃんと来てみたかったぞ?」

「俺だって。知らないものだもんな」


 最終的に二人は二棟に分かれた施設の西側、その最上階まで登ってくると、他の部屋よりも少し大きな部屋を見つけ、そこを今夜の寝床とすることにした。部屋の前に彫られていたプレートを読んだカザキリの解読で、そこが『音楽室』だとわかった。二人には意味はわからなかったが。

 一通りの準備を終え、食事も済ませた二人は今後の予定を再確認する。周辺の地図の上に更に細かなメモをいくつも走り書きされ、皺や破れている箇所が見受けられるそれは、二人にとっては紛れもない「宝物」の一つだった。


「今が『箱根』……ここか? 前に立ち寄った『梅田』が……ここ」

「うん。途中いくつも街を通ってきたから逆に感覚がマヒしかけていたが、かなり近づいているな」

「確かになあ。で? この先は?」

「一度、窯変地に向かう。流石に人口が多いのもあるのだろうが、このあたりには窯変地が多いからな……ここだ。窯変地〇〇〇七、ナカバナ。もしかしたらもう一つ寄るかもしれないな。それがここ、〇〇三一、ドリム」

「……多いな。この調子だと俺たち以外にも結構な数のヤツがいるかもしれない。ゴースト・レイダーじゃない、普通の人間が」

「可能性は高い」


 カザキリがそう返すと、エックスは口を尖らせ、だらりと四肢を投げた。向かいの壁で白い髪をした男の絵がこちらを睨んでいる。

 ふと今までずっと心中に隠してきたものを、エックスは口にすることにした。それはこれまでの旅でのカザキリの振る舞いを見て、一つの確信があったからだ。


「ぶっちゃけた話、まともな人間に会ってなにすんだという疑問が今更浮かんで来たけど。別に切羽詰まってるわけじゃなし」


 白髪の男を睨み返したまま、カザキリの方を向かずにそう切りだしたエックスの言葉に、カザキリはわずかに目を見開いた。数秒の間を開けて、眼鏡を直しながら答える。


「それを、おれもずっと考えていた。おれたちが会ったのは『福岡』だったか。そこからずっと。途中何度か出会いのあるたびに、おれは彼らにその疑問をぶつけたくなった。彼らは何も求めていないのか? 変化を知りたくはないのか? 心の死んでしまったこの星で、まだ学びたいと思うおれは、おかしいのか」

「……」

「結論としては、こうだ。おれがどうあれ、この旅を続けようと。大事なのは新たに行動を起こし、そして知ることだ。だから……おれたちの目的地が、『東京』が終わりじゃないかもしれない。いつゴースト・レイダーになるかわからない状況のまま、旅をするかもしれない」

「……」

「その時は、エックス、おまえにも来て欲しい。おれが知るものを、おまえにも知って欲しい」

「……」

「エックス」


 エックスは上半身を起こして、しばらく考え込んだ。しかし、答えはいっさい変わることは無かった。確信通りの面白いいいヤツだったと、それだけを思った。

 カザキリから学んだ知識を唐突に思い出して、『学校』ではこういう人間関係が作られるのかな、と呟き、エックスはカザキリの顔を見る。


「勿論だ、カザキリ。旅をしよう」


 必要なのは、そんな言葉だけだった。

 必要なのは、そんな夢だけでよかった。

 心の死んだ世界の中で、数少ない「夢を見るひと」。

 彼らの旅は、まだ続く。


 二人はこの夜、二度目の握手を交わすのだった。


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