第65話 しろくろ
お久しぶりです(土下座)今日から毎日とはいかないけれど、そこそこのペースで更新しようと思うのでよろしくお願いします。
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「どこから話そうかな…」
僕がそう切り出した時、雨がより一層強くなった。空から産み落とされた水滴たちはこれから、どこへ行くのだろうか。そんなことを、屋根から伝って軒下へと落ちていく一人を見て思った。
「そうだな…僕はね、故郷の結構大きな会社…こっちでいう商会のトップの一人息子だったんだ」
いくつもの子会社を抱えて、一万人を超える人々の生活を預かる大きな会社。その社長が、僕の父親。父が何の仕事をしているのかと問われれば、僕は今も答えられない。世襲制の会社で、曽祖父が製菓業を始めたのが原点だとは聞いたことがあったけれど、今は手広く事業をしているせいで、結局今は何をメインにしているのか知らないままだったのだ。
つまり、それを知るほどのコミュニケーションも僕と父には無かったってことだ。
世襲制の会社だから、当然というか次の社長は僕だ。いろんな事情から僕以外の子供はいなかったし、父もそう考えていたようだった。
ただ、多くの人々を支える人間に、継げる場所に偶然生まれた男が、なんの努力もせずになれるなんてことも、当然ない。
僕は知っての通り、平々凡々な男だったし、どうやら父もそれに早いうちから気づいたようだ。もちろん、自分の目で確かめたわけではなく、家政婦からの報告でだろうけれど。
そうなると、スペアもいない状況で、僕に跡を継がせるにはどうしたらいいかというと、簡単な話で、僕に努力を強いればいい。
僕の幼少期最古の記憶は、机に向かっていた記憶だ。まだ自我が芽生えたての僕は、名も知らぬ男の指示で教科書に向かっている。けれど、当然僕はついていけない。誰かのため息が聞こえた。
僕を勉強というフィールドで戦わせるのを、父は早々に諦めたらしい。その見切りをつけてからというもの、僕は色んなことをさせられた。
演技。歌。お茶。生け花。
どうやら、芸術方面で僕に箔をつけるつもりだったらしいけど、どれも大した成果はなかった。
たまに会う父親の目がどんどん冷たくなっていくのが、子供心ながらに辛かった。
自分の才能がない分野を一つ一つ確認していく幼少期。
そんなある日出会ったのが、白黒の楽器だった。
「君、筋がいいね」
とあるピアノ教師にそう言われた時、僕にはこれしかないと思った。
父親に期待して欲しい。あの冷たい目を向けられるのは嫌だ。
何もないような気がしていた自分の中に、たった一つ見つけた才能のかけらを手放したくなかった。
そんな理由で、僕は自分の体の何倍もある黒い塊と生きていくことを決めた。
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幸い、僕は音楽の才能はそこそこあったらしい。耳がいいと、教師は言った。子供の頃からピアノと生きてきたおかげか、それはさらに研ぎ澄まされ、一度聴いた曲ならそれなりに再現できるくらいにはなった。
幸い、小さな頃から努力を強いられていたおかげで練習も苦じゃなかった。自分のアイデンティティを守りたいのもあって、よく練習した。
コンクールでの結果も、メキメキ伸びた。元からの才能を磨く場に恵まれたのも大きかったのかもしれない。父は僕に箔をつけるためなら金銭的支援は惜しまなかったから。
「よくやった」
そんな言葉を父から貰ったのは、小学校五年生くらいの時だったと思う。目に温かさもなかったけれど、父の目に昔の冷たさはなかった。
地元で一番の権威あるコンクール。そこで一位をとった。国際的なコンクール予選への出場権も得た。
そんな日のホールエントランス。張り出された順位表の前。僕はピアノと向き合ってきてよかったと思った。
ただ、所詮僕は天才じゃない。それを思い知ったのは、出場した国際的なコンクールの予選。
僕の順位は、下から数えた方が早かった。順位を見た父は、何も言わずにホールから出て行った。
あの冷たい目を思い出した。もう嫌だった。自分がしてきたこと全部が無為になった気がした。
でも、僕はやめられなかった。
小学校の体育に出られない。父が僕の手を怪我させないように厳命していたからだ。
ピアノのレッスンのために放課後友達と遊ぶことが出来なかった。一日弾かなければ、取り返すのに三日かかるからだ。
気づけば僕にはピアノしかなかった。だから辞められなかった。父に愛される方法も、これしか思いつかなかった。
だから僕は努力をした。自宅に家政婦兼ピアノ講師として、ピアニストを呼び始めたのもこの頃だ。レッスンまで通う時間すら、勿体なかった。
死ぬ気で努力した。結果も出た。次のコンクールでは、予選だって突破した。
僕がピアノを続けたのは、ピアノさえ続けていれば父に自分を知ってもらう機会が多くなるというのもあった。
忙しい父だけれど、僕のコンクールには必ず顔を出してくれた。音楽というのは雄弁だ。きっと、何か伝わるはずだ。
張り詰めて、張り詰めて。僕は中学二年生の時、権威あるコンクールで一位をとった。さまざまな要因が重なった上での結果だったけれど、僕はやり遂げたのだ。
「社長、お子さんの演奏が終わりましたよ。ええ、一時間後くらいには結果が出るかと。ええ」
そんな会話さえ聞かなければ、僕はきっと変わらないピアノロボットだった。今もずっとそうだったんだと思う。
見知った父の会社の社員と父の電話越しの会話。それを聞いた時、間抜けな僕はようやく気づいたのだ。
「ああ、そういえば、父さんから演奏について何か言われたことなかったな」
結果だけだった。僕に求められているのは。よくやったと言われたのは、僕がいい演奏をしたことについてじゃない。僕のオマケの順位に対してのものだったのだ。
何も伝わらない。父親は僕を愛するつもりも、それどころか理解する気すらなかったのだ。
僕はコンクールに出るのをやめた。父親は何も言わなかった。
屍のように生きて、それでもピアノを使わないと高校にすら入れそうになかったからピアノは辞められなかった。
そんな妙な生徒を見捨てずに、ピアノを楽しむことを教え直してくれた先生がいなければ、僕はどうなっていたのだろうか。考えたくもない。
僕は結局、家族というものを諦めた。今思えば、父親の事業を知らないのも、知らなければ失うものが少ないと思って避けていたからなのかもしれない。
父が僕より優先するもののことを知りたくなかったのだ。
僕は誰よりも知っている。家族に結ばれた鎖がどれほど痛いのか。
失望された目に怯える心が、どれほど臆病なものなのかを。
僕は結局立ち向かえなかった。父に何も言えないまま、逃げたのだ。
家族何ってものを知らない僕が。そんな僕が。ルルに言えることなんて、あるのだろうか。
だから動けないでいる。ああ、痛いのを、誰よりも知っている。
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