第58話 この日を何と呼ぶ
ティアラがピアノ専攻に首席合格してから、ひと月ほど。クリスとの賭けにも勝ち、冬休み前からのどこかピリピリした空気も緩み、ゆっくりと春ばんでくる気候も相まって、最近は随分と気分がゆっくりしている。
そういう意味では、今日という日に行われるものも、気の緩みというか、空気が温かくなった故のものなのかもしれない。
「おはよう、ナギ」
「あ、おはよう。ティアラ、今日は暖かくていい天気だね」
女の子と休日に出かけるなんて、きっと気の緩みが原因でしかないのだから。
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ティアラと休日に出かけるのは、二度目のことだ。最近、ちょくちょくピアノのレッスン後に散歩して屋台で何か食べたりなんかはしているけれど、きちんと事前に予定を立てて、一日を使う前提でとなると、二度目ということになる。
「楽しみね、ヘーゼルさんのお店」
そして、出かける場所も前回と同じだ。春服が出ると、二人で一緒に行こうと約束していたのだ。
前回と少し違うところがあるとすれば、今日はお昼集合である。
「そうだね、今度はきちんとお客さんとしてだね」
今日は二人とも、前回プレゼントしてもらった服に身を包んでいる。
春服を買う、というのは前提として、僕にはもうひとつ目的がある。
「(いい加減、ティアラにプレゼント渡さないとな...)」
そう、ティアラの誕生日は本選の日...だったのだが、愚かな僕は結果を心配しすぎたのと、パーティーの仕込みなんかで頭が回ってなくて、プレゼントの用意を失念していたのだ。
ティアラは気にしなくていいと言ってくれたが、それじゃあ格好がつかない。首席合格の祝いも含めて、僕の気持ちとしても贈り物がしたい。
「(そういう意味で、今日は絶好。ヘーゼルさんなら頼りになるし...)」
自分を彩ることが好きなティアラなら、ヘーゼルさんの店でいいものを見繕えるだろう。
せっかくプレゼントなのだから、ティアラに気付かれずにさりげなく帰り道か、店に帰ってから渡したいという、妙なプライドから、今回は隠密ミッションである。あと、プレゼント選ぶって言ったら遠慮しそうだしね。
「いらっしゃいませ」
そんな秘した計画を胸に、相変わらず服で溢れたオシャレな店内に足を踏み入れると、笑顔のヘーゼルさんに迎えられる。
「どうも、お久しぶりです」
「ええ、お久しぶりです。是非、ごゆっくりご覧になってくださいね」
フリーダさんから聞いていたのだが、ヘーゼルさんはデザイナーにも関わらず、店員さんを極端に少なくして、自分も接客をしているのだそうだ。
「自分が作った服を着た人を出来るだけ多く見たいらしいわあ、帰っていく時の笑顔もねえ」
そうやって微笑んだ、フリーダさんはとても誇らしげにしていた。
聞きかじったこだわりと、以前のラフな口調とは違い、丁寧な口調が、初めて相対するプロとしてのヘーゼルさんを感じさせた。
「わぁ、春服たくさん」
「春らしいものを沢山用意してるから。ちょうどお客さんも少ないし、また似合うのを一緒に見つけようか」
とても人気店になっていると風の噂で聞いていたが、運がいいのか、お客さんはほとんどいない。
せっかくなので、お言葉に甘えてヘーゼルさんにアドバイスを貰いいつつ服を物色し始める。
僕は、ラベンダー色の薄い生地のカーディガンと、一枚でも様になると言われて、少しオーバーサイズの青いシャツを買うことにした。
ティアラはあれこれ迷っているようで、試着を繰り返している。ヘーゼルさんも、ティアラは着飾りがいがあるらしく、楽しそうだ。
ティアラが試着している隙に、ヘーゼルさんにコソッと耳打ちする。
「あの、実は」
何かプレゼントを選びたいことを告げると、ヘーゼルさんは少しニヤリと笑うと、ならいいものがありますよと、店の少し開けたスペースに案内された。
「ここが、小物とかアクセサリーのスペースなんです。女性への贈り物ならこの辺がいいと思います」
ガラス製の机の上に、小物やアクセサリーが綺麗に並べられている。確かに、私服の時もネックレスなんかを付けていたし、いいかもしれない。
「あ、ナギもヘーゼルさんも。試着室から出たら居ないからびっくりしたわよ」
「ああ、ごめん。ちょっとね」
「あれ?小物とかアクセサリー?ナギ、興味あるの?」
「まぁ、興味本位で」
やはりティアラも興味があるようで、僕の横に並び、しげしげと、時には手に取ってアクセサリー類等を眺めている。
「ティアラちゃんは、この中だとどれが好き?」
ヘーゼルさんが、ティアラに気づかれないように僕にウィンクをすると、そんなことを尋ねる。
質問と答えを参考にしろということだろう。なんて気が利く人なんだ、絶賛贔屓にすることを決めた瞬間である。服屋さんここしか知らないけど。
「うーん、財布とかも可愛いけど、気になるのはこれかな?」
そう言って、ティアラが指さしたのは、二つのアクセサリーだった。
蝶があしらわれたネックレスと、花が象られたイヤリング。
そのふたつを見比べた時、僕の心は決まった。ちらりとこちらを見たヘーゼルさんに小さく頷くと、ヘーゼルさんはティアラを連れて試着室の方へと戻って行った。
僕は別の店員さんに声をかけると、包装を頼み、先にその分のお金だけ払うと、後で服を買った時にこっそり袋の中に忍ばせてもらうよう頼んだ。
店員さんは何故かやたらと笑顔で、お金を払い終えると「頑張ってください!」と声をかけられた。何をだろう?気付かれないように頑張れということだろうか。
それから一時間ほど、ティアラは十分過ぎるほど悩んで、ライトグリーンのワンピースと、バケットハットを買った。
僕は、特に変わりなくカーディガンとシャツを買った。ヘーゼルさんから袋を渡される時、しっかり中に包装されたプレゼントがあるのを確認した。ヘーゼルさんが、ニヤリと笑って背中をポンと叩いたので、僕は「また来ます」と返した。
外に出ると、もう夕暮れが近づいていた。並んで歩く影が伸び始めて、夕餉の匂いが近づいてくる気がした。
「長居しすぎたわね...」
「その分気に入るもの選べたなら、良かったんじゃない?」
「ナギ、女の子の買い物に嫌な顔せずに付き合えるの凄いわね、店員さんも感心してたわよ」
「うん?まぁ、見てて楽しかったし?」
確かに少々長いとは思ったけれど、僕のお店にはもっと長くのんびりしている人がいるので全く気にならない。寝てるサボり猫とかいるし。
他愛もない会話を繰り返せば、気づけば店の前だ。時間がギュッと詰まって短縮されたみたいな帰り道。
「ティアラ、せっかくだしコーヒーでも飲んでいく?」
「いいの?なら、ちょっとゆっくりして帰ろうかな」
断られるとプレゼントを渡す機会を失って困っていたので、実はほっとしている。僕はどうやら顔に出やすいらしいので、できるだけティアラから顔を背けて、慣れ親しんだキッチンに、慣れない服装でエプロンだけ着けて入ると、コーヒーを淹れた。
「はい、お待たせ」
「ありがとう」
コーヒーを差し出すと、ティアラが取っ手に手をかける前に、言葉をつぎ足す。
「実はね、ティアラ。今日のコーヒーには特別セットがついてるんだ」
「えっ?」
ポカンとしたティアラの顔が変わってしまう前に、金色のリボンで包装された袋を差し出す。
「ひと月ぶりの誕生日、そしてピアノ専攻合格おめでとう」
「...開けて、いい?」
驚きと戸惑いが飽和したみたいな顔のまま、少しの沈黙があって、ティアラが絞り出した声に僕は頷く。
「これって...」
「うん、ヘーゼルさんのお店で買っておいたんだ」
僕が贈ったのは、ティアラが好ましい感触を示していた二つのアクセサリーの内の一つ、花を象ったイヤリングだった。
「もしかして、あの時私へのプレゼント選んでたの?」
「ヘーゼルさんが気を利かせて好み聞いてくれて本当に助かったよ...」
「あれ、そういうことだったんだ。でも、私二つ選んだわよね?どうしてこっちにしたの?」
「ああ、前出かけた時にネックレスしてたから、ネックレスはお気に入り持ってるんだって思って避けたのと...」
「よ、よく見てるわね...避けたのと?」
「ほら、僕と出会ってから一年。ティアラすごく頑張ってたでしょ?」
僕は、ティアラが手に持っているイヤリングを指さす。
「それ、花の形でしょ?だから、僕から花丸を送るって意味でもそれがいいかなって」
少し照れくさくて、頭の後ろを掻きながらそんなことを言うと、ティアラがクスクスと笑う。
「素敵な意味が籠ってるのね?」
「からかってるでしょ?」
「ふふっ、少しね。でも、本当に嬉しい。もちろん、先生から貰った花丸評価も含めて」
ティアラが窓から差し込む夕日を背負って、耳にイヤリングをつけると、ニコリと笑う拍子にピンクゴールドのイヤリングが揺れて、死んでいく今日の陽を反射した。どこまでも眩しかった。
「ね、似合う?」
「とてもね。似合ってるよ」
「...大事にするわね」
どこか照れくさい空気が二人を包んで、コーヒーブレイクが終わるまで、それを解きほぐすのにかかった。
「じゃ、送るよ」
「いや、今日はいいわ。ありがとう」
「どうして?」
「本当に素敵な日だったから、このコーヒーで思い出を終わらせたいの。帰り道を浸る時間にしたいから」
そう言われてしまうと、僕は何も言えない。ティアラを見送って、ドアベルの残響が消えると、ほっと胸を撫で下ろした。
「とりあえず、喜んでくれてほんとによかった」
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浮き足立つのが、抑えられない。何度も、耳に触れて現実かどうか確認してしまう。
ナギからのプレゼント、それもアクセサリー。想い人からの贈り物なんて、浮かれる他ないじゃない。
本当に、夕日が店内に侵入する時間帯でよかった。きっと、この火照りきった顔をある程度誤魔化してくれたから。
「頑張ってよかった」
あなたが笑顔で似合ってるなんて言うから。あなたが前回の私のオシャレなんて覚えてくれてるから。こんなにも、恥ずかしいのに嬉しくて仕方がない。
「ああ、凄くいい日ね」
スキップみたいな足取りで帰った少女が、自室の鏡で何度も何度も自分の姿を確認する影があったとか。
慣れないイヤリングのせいで起きた耳たぶの鈍痛さえ、何故か愛しいと、その日寝る少女の顔には書いてあった。
「おはようございます、ティアラさん。あれ?そのイヤリング可愛いですね」
「でしょう?」
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ちなみに、ティアラはイヤリングを数日浮かれて学院に付けていきましたが、大切な日にだけ付けようと思い直して、あまり付けないようにしてます。でも、たまに自室でつけてはニヤけてます。
決して、リボンに続くトレードマークにすると描写忘れそうとか、そんな作者の都合ではありません。
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