第57話 特別な夜でも
「これ、なんですか?ウォルツさん」
事の始まりは、少し疲れた顔をして砂糖の代わりに、貫禄たっぷりでコーヒーを飲んでいるウォルツさんが、思い出したかのように差し出してきた一通の手紙からだった。
「知り合いが、レストランをオープンするそうで、初日の招待状を貰ったんだが、都合が悪くてね」
「はあ」
「店主さんは一応、料理人でもあるだろう?腕は確かだから、勉強のつもりでいい機会なんじゃないかな」
便箋を開けて中身を確認するが、残念ながら僕はこの世界の文字が読めない。ひょっこりと顔を覗かせたティアラに手紙を差し出す。
「えっと、なになに...明日七時から...二人...」
手紙を読み込んでいくティアラを見て、ティアラと出会わなかったら、僕は一体どうなっていたんだろうなんて考えた。字すら読めないし、書けないから、メニュー表もないわけだし...
「うん、だいたい要約するとこんな感じね。明日の七時に商業区七番街のお店に集合。二人分のお席をご用意して、お待ちしてますだって」
「商業区...七番街」
どうしよう要約された情報すら分からない。地理が、未だちょっとね...
「貴族区よりの割と上品な場所だけど...ナギはたどり着けるかの問題なのよね...」
「それなら簡単な解決法があるじゃないか」
「「えっ?」」
食事にたどり着くまでの問題で悩んでいた僕達に、ウォルツさんが提案したのは至極簡単な事だった。
「二人分の用意があると書いてあっただろう?店主さんとティアラくんで行けばいいのさ」
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と、まあ、以上が僕とティアラが少しおめかしをして、貴族区付近まで歩いている経緯である。
ウォルツさん曰く、特にドレスコードなんかは存在しないものの、ある程度のオシャレは必要とのことだったので、二人とも自分にできる範囲でめかしこんできている。
ティアラは、春らしく淡い緑色のワンピースを着ている。白い皮っぽい素材のブーツもよく似合っている。
「…どうしたの?」
ジロジロと見すぎたのか、ティアラが僕の方に振り向いて不思議そうな顔をする。その拍子に揺れた、花を象ったイヤリングが、僕の羞恥心を刺激した。
「いや、今日の服もよく似合ってるなと思って」
「なっ!?」
視線を誤魔化すために放った言葉が、随分とストレートな褒め言葉だったことに、僕も一拍遅れて気づいたけれど、言霊が消えることはない。
結局二人揃って、顔を赤くする不審な二人組が大通りに誕生した。
「…ナギも」
「うん?」
「ナギもよく似合ってるわよ」
「…ありがと」
既に空気が居た堪れないのだからと言わんばかりに、ティアラが返してきた賛美の言葉に僕の顔の熱がより高まる。お世辞だと分かっていてもだ。
僕の今日の服装は、迎秋祭の時に来たシャツの上に、新しくヘーゼルさんのお店で買ったカーディガンを羽織っている。何となく、片耳に髪をかけて大人っぽくしてみた髪型が落ち着かなかった。精一杯の背伸びをしているみたいで。
春の夜風が二人の熱を平熱に戻してくれるまで、少しばかり時間がかかった。その頃には、街を行く人々の年齢層が高くなり、出店も減り、上品な雰囲気が強くなってきていた。
「そういえば、夜にこうやって街歩くのなんて初めてかも。なんか変な感じ」
灯るランプ型の街灯たち、夜を楽しむ大人たちとすれ違っていくのが、何だか不思議だった。いつも喫茶店の窓から、寝る前にカーテンを閉める際に見える夜の道の後継の一部に自分がなっているというのが、とにかく不思議だった。
「私もそんなに経験ないわよ。確かに、ちょっと不思議よね。夜の道って、なぜかちょっと特別に感じるから」
「大人になれば、普通になるのかな」
「確かに、夜って大人のものって感じだもんね。もしもそうなら、私より先に大人になるはずのナギが、私に検証結果を教えてね」
「大人になるって、年齢はあんまり関係ないでしょ」
特にティアラは、立派に自分の意思を貫き通して、大人へ片足を突っ込んでいる状態だろう。きっと、僕なんかより先に大人になり、巣立っていくことだと思う。
そんな、何だか浮足だった会話をしているうちに、レストランへと到着した。今日が開店だというだけあって、まだ木の匂いがしそうなほど真新しく洒落た建物は、僕たちを少し緊張させるには十分だった。
「いらっしゃいませ、招待状を拝見させていただけますか?」
体を硬くしながら、扉を開けた先には、糊の効いたタキシードを纏ったウェイターなんかがいるもんだから、緊張も殊更だ。ぎこちない動きで、懐から招待状を取り出す。
「確認いたしました、改めていらっしゃいませ。お席へとご案内いたします」
素敵な笑顔のウェイターさんに導かれて座ったのは、二階の窓際という何ともいい席だった。ウォルツさんに用意されてた席だからだろうか。
先程まで自分がいた、淡い光に照らされた夜道が、ここから見ると随分と幻想的だった。ティアラも、視線が景色へと吸い寄せられている。ウェイターさんが、果実水を持ってくるまで、ずっとそうしていた。
今日は、食事の内容は最初から決まっていて、コース料理なのだそうだ。果実水をちびちび飲んでいると、前菜が運ばれてきた。
「わあ、綺麗」
皿に盛られたそれは、ティアラが声を上げるのも分かるくらい、彩り豊かな料理で。崩して、食べてしまうのが勿体無いくらいだった。
ナイフとフォークで切り分けて、口に運ぶと、味の方も申し分なかった。一見薄いけれど、噛む度に繊細な味がなだれ込んでくる。
「魚の甘みが凄い。野菜との相性も、どうしたらこんなに良くなるんだろう」
「凄いわね、食べたことないわ、こんなの」
シルバーと皿が鳴る音だけが響く。美味しい、美味しいのだけれど、なんだか何かが足りなかった。それは、料理の問題ではなく、僕の問題な気がした。
「ナギ」
「えっ?」
足りないものを考えていた時、僕の名前を呼ぶ声が聞こえた。
「やっと、私の顔見たわね。皿ばっかり見つめるから、つまらないわよ」
そう、口をふくらませるティアラに気付かされる。確かにそうだ。
「ごめん、店の雰囲気とか、勉強するだとか、そんな言葉を意識しすぎた」
「意外ね、ナギも緊張したりするんだ」
「僕をなんだと思ってるのさ。緊張しいなんだよ、僕は」
「嘘ばっかり」
「ホントだってば」
場所や雰囲気が変わっても、食事をする相手はいつもの喫茶店と変わらない。
結局のところは、食事は楽しまないと意味が無いのだ。それを、料理をする人間が忘れてるなんて恥ずべきことだ、本当に。
「ね、いつもよりちょっと上品くらいでいいでしょう?変わらずお話しましょう。喫茶店で、カツ丼を食べてる時みたいに」
「...そうだね」
「あ、これおいし...」
「ほんとだね、今度挑戦してみようかな」
「...量が少ないのだけが不満だったから、再現出来たらいっぱい食べさせてね」
「あはは、ティアラらしい」
「なによ、ナギだってさっきから ーーー」
「ティアラもさ ーー」
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「美味しかった」
「これに尽きるね」
「たまには、いいわね」
「ウォルツさんに感謝しないと」
「お洒落して、またどこかに食べに行きましょうよ、次は前菜から私を見てね?」
「ごめんってば」
宵道が、気づけば特別だと思わなくなっていた。服装が違う、時間が違う、でも、隣にいる人だけは着飾っても、中身は着飾らない君だから。
「また明日」
「また明日」
これを言えれば、きっと大人になっても、何も変わらないでいられる。そう思った夜だった。
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ちょっと体調崩して土日休んですいません。皆さんも、暑さには気をつけて。
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