第56話 オムライス戦争
本日、ひなたぼっこ日和。そう空に書いてありそうな、平日の昼前。昼食には少し早く、朝食には少し遅い。そんな時間のことである。
「いい…温度…」
もはや見慣れた光景になっているが、今日もルルはカウンター席で溶けている。体に力を微塵も入れるつもりはないという強い意志を感じるほどだ。
「確かに良い陽気だね」
僕の同意の言葉に「うむ…」と貫禄があるんだかないんだか、はっきりしない返事をすると、ルルは完全にうつ伏せになると、次第にすやすやと寝息を立て始める。なんか、元の世界で、こうやって完全に体の力を抜いた、卵モチーフのキャラクターがいたな。
くだらないことを考えていると、ドアベルが来訪者を教えてくれる。ドアの方を見ると、見知った人影があった。
「おはよう、ナギ君。いや、もうこんにちはの時間かな」
「微妙な時間帯ですよね、いらっしゃいませドロシーさん」
いらっしゃったのは、僕の店の食材の全てを仕入れているお店『ハイドアウト』の店長さんであるドロシーさんだ。
今日も頭を覆う、魔女のようなとんがり帽子がよく似合っている。
「今日は少し店が暇でね、コーエン君にしばらく任せてきたんだ」
「たまには悪くないですよね、そんな日も」
「毎日だったら困るけれどね」
互いにお店の主なので、そんな世間話というか近況話を交換し合うと、ドロシーさんはメニュー表を見て小首を傾げ悩み始める。
「ちょっと昼食には早いんだけど、朝食を食べ損なってしまってね。お腹がぺこぺこなんだ。何かおすすめはない?」
ふむ、ブランチにぴったりのもの…僕も顎に手を当てて考える。
「あ、そういえばこの前の休日に考えたメニューがあるんですけど、第一号にいかがですか」
「へえ、ナギ君の作る料理は美味しいからね。それがいい。ちなみに料理の名前は?」
「ーーーオムライスです」
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「オムライス?それは、前からなかったかな?」
「ええ、オムライス自体は前からメニューにあるんですが、新しいオムライスは違うんです」
「改良版というわけか、どんなふうに違うんだい?」
「今回のはですね、とろふわなんです」
「ん?」
「とろふわ、なんです」
僕の熱弁に、ドロシーさんの首がどんどん傾いていく。どうやら理解していただけなかったらしい。ええい、言葉で伝わらなければ実演すれば良いのだ。
「ま、とりあえず作ります。きっと、お気に召してくれると思いますよ」
僕はそう言うが早いか、準備に取り掛かる。材料は普通のオムライスとほとんど変わらない。
用意するのは、卵にバターに牛乳。そして、チキンライスである。
「とりあえずチキンライスを作るか」
鶏肉と玉ねぎを炒めて、それにトマトで作ったケチャップとご飯を入れてさらに炒める。
「出来上がるまでに卵液をっと…」
切るように卵を混ぜて、ムラがなくなったら準備完了だ。でもこっからが、大変である。集中しないと普通に失敗する。
フライパンをカンカンに加熱すると、たっぷりとバターを溶かして全体に広げる。バターの濃厚な匂いが香ったら、勇気を持って卵を一気に放り込む。
菜箸で卵を素早くかき混ぜて、半熟になったら火を止めてフライパンの端へと折りたたむ。慎重に慎重に、ここで形を崩したら台無しだ。
「よし、上手くいったかな」
綺麗な楕円形に畳むことができたが、ホッとしている暇はない。急いでさらにチキンライスを盛ると、その上に楕円形の卵を乗せる。
「お待たせしました」
僕が皿を差し出すと、ドロシーさんはオムライスをジーっと見つめる。
「これは…いつものオムライスとは何が違うんだい?店主くんの顔を見るにまだ仕掛けがありそうだけど」
さすがドロシーさん、ご名答。驚くのは実はこれからだ。
「今から、このオムライスを完成させます。これは、目の前でやった方が楽しめると思ったので」
そう言うと、卵が余熱で固まってしまわない前に、包丁で卵の真ん中に切れ目を入れる。
「ほお…」
「凄いでしょう?」
切り広げられた半熟の卵が、チキンライスをふわりと覆っていく。何回見ても心躍る光景だ。
「改めまして、お待たせしました。とろふわオムライスです」
ドロシーさんにスプーンを差し出すと、無言で受け取り一口分切り分けると、ゆっくりと口に運ぶ。
「ーーーー」
新作をお客さんに食べてもらうということで、多少の緊張感を覚える僕が息を呑み、第一声を待つ。ルルの穏やかな寝息が聞こえる。緊張感があるのかないのか。
ドロシーさんがの喉が鳴る音が聞こえて、瞑目を終えたドロシーさんが至って真面目な顔つきで口を開く。
「これは、とろふわだ」
「でしょう?」
どうやら、分かっていただけたらしい。面目躍如にして、得意満面だ。よかった、失敗してなくて。
「食べたことのない不思議な食感だよ。この包まれているご飯との相性も抜群だ」
「でしょう?僕の故郷でも女の人なんかに大人気だったんです」
凄まじい勢いで食べ進めていくドロシーさんを見て、これは正式にメニューに入れるかななんてことを考える。
「うーん…良い匂い…お腹すいた…」
時刻は確かに昼食時に近づいている。空腹をオムライスの匂いに刺激されたのか、ぐっすりと寝ていたルルが起き上がる。
「おはよう、ルル」
「ん…おは…これ、何の匂い?」
「ああ、オムライスだよ」
僕がドロシーさんの皿を指差すと、ルルは目を擦りながらふわとろオムライスをぼんやりと眺める。
「これ…いつもと違う…」
「お、さすが、よく気づくね」
ルルはオムライスが大好物である。以前食べ過ぎて、僕の店の卵の在庫を空にした前科があるくらいには好きだ。
「どっちの方が…美味しい?」
「んー、人の好みによるかな」
ルルがどうしたものかと悩んでいるのを察したのか、ドロシーさんは「じゃあ、一口食べてみるかい?」と大人の優しさを見せて、スプーンを差し出す。
ルルは、一瞬警戒したような顔をして、僕の顔を見る。大丈夫だよと言うように僕が微笑むと、二つ隣に座るドロシーさんの席へジリジリと近づいていくと、スプーンを口に入れた。
「ありがとうは?」
「ん…ありがとう…」
「あはは、どういたしまして」
ルルがもぐもぐと、味を確かめているのが微笑ましくて、ドロシーさんと顔を見合わせて笑う。表情が微動だにしないから、美味しいのかどうか分かんないのも、またルルらしい。
「美味しい」
「それは良かった」
「でも…前の方が…好きかも」
「へえ、じゃあルルはいつもの堅焼きの方にしようか」
コクコクと頷くのを見ると、僕は慣れた昔ながらのオムライスを作る。材料はすでにキッチンに出ているし、チキンライスも多めに作っていたので、すぐだ。
「はい、お待たせ」
オムライスが届くと、ルルは手を合わせると、その小柄さに見合わないほど大きな一口を掬う。
いつ見ても本当によく食べるな…
これは、おかわり分もあらかじめ用意しといた方が良いかもしれないと思い始めた時、ピタリとルルの手が止まる。
どうしたんだろうと、様子を見ていると、オムライスを食べ終えてお冷やを飲んでいるドロシーさんに、おずおずと向き直ると、スプーンを差し出す。
「これ…お姉さんの…一口食べちゃったから…」
僕は、そのルルの行動に少なくない衝撃を受ける。ルルが、自分から姉妹と僕以外の人間に話しかけるのを初めて見たからである。
「いや、私は十分食べたから気にしなくて良いんだよ?」
僕の衝撃に気づいているのかいないのか、ドロシーさんは笑顔で断ろうとするけれど、ルルはズイっとスプーンを前に突き出して譲らない。
ゆっくりした動きから、誤解されがちだが、ルルは随分と意志が強いのだ。妙なところでそれが発揮されることも多いけれど。
その様子を見て諦めたのか、ドロシーさんは「ありがとう」との言葉と共に、堅焼きオムライスを受け取る。
ドロシーさんの口が動くのを見て満足したのか、ルルは満足げに鼻息を一つ。そして、空になった皿を僕に差し出し「おかわり」とのこと。
「どう…お姉さん…こっちの方が美味しいでしょ?」
おかわりを待っている間、暇を持て余したのかルルがそんなことを言う。おいやめろ、それ大体の場合、戦争の合図だから。
「うん、こっちも美味しいけど、私はとろふわの方が美味しいね」
「む…」
ちょ、ドロシーさんも張り合わないで。
「こっちは…塩気もあって…下のご飯との相性バッチリ…」
「こっちの甘い方が、ご飯と合わないか?」
「甘すぎると…デザートみたい…」
いや、どっちも美味しいでいいから。ドロシーさんもさっきまでの大人の余裕取り戻して。
「いや、こっちはーー」
「でも…ーーー」
「はい、ルルも喧嘩ふっかけない。ドロシーさんも、子供相手なので」
その、くだらないようで、当人たちにとっては大事らしい論争は、おかわりを運んで来た僕が諌めるまで続いたのだった。
やっぱ、二種類メニュー作るとややこしいし、やめよっかな…
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「全く…柄にもなく熱くなってしまった…」
しかも子供相手にだ。とろふわオムライスがやけに美味しかったせいだ、きっと。
「うーん、それにしても、やっぱり種族がら、猫人には熱くなる傾向にあるな…」
元凄腕の探索者と噂のハイドアウト店主。その頭は、いつもとんがり帽子で覆われている。実は、店員ですら、その中を見たものはいない。
「あー暑い暑い、やっぱり帽子は蒸れるや」
帽子が外されて、顕になったその耳に、立派な三角の犬耳があるのを知るものは、誰もいない。
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