二章 異世界喫茶店マスターと迷い猫

第53話 迷い猫と平日の昼下がり

 桜の満開が過ぎ、少し控えめになった頃。新しい春を迎えてひと月ほど経ったおかげか、道行く人々も、少し足並みが揃い落ち着いてきたように感じる。きっと、どこかが新しくなった生活のパーツが馴染んできた人が多いのだろう。


そんな光景を見つめる僕は何も変わらない。のんびり、コーヒーを淹れつつ、少しお客さんと喋って朝を終えると、少し忙しないランチ時がやって来て、また緩やかな日暮れに向かっていく。


ただ、僕にではなく店にというのなら、最近少し気になる変化がある。


そんな僕の脳裏に思い浮かべた風景に呼応するように、ドアベルが鳴る。


姿を現したのは、猫耳を生やし、白くふわりとした髪を持つ、三姉妹の末っ子、ルルだ。


「いらっしゃい」


「...ん」


そんな、人によっては無愛想に感じる返事も、僕は知っている。それがルルの精一杯であり、マイペースな彼女の揺るがない世界なのだ。

ルルは、制服を纏った身体をゆっくりと椅子に沈ませる。


そう、僕の悩みの種というか、心配の元はそこにある。


今日は平日であり、今は昼を迎えるほどの時刻だ。要するに、ルルは本来なら喫茶店でふかふかした椅子に座ってる時間ではなく、学院の黒板に向かって並ぶ椅子に座らなくてはならない時間だ。


ルルは今年の春から、アルスター芸術学院の中等部、音楽技術科に進学した。

調律師を父に持つララ、リリ、ルルの三人は調律の勉強をするために進学したと聞いたのに、最近ルルはこんな調子。有り体に言ってしまえば、どうやら学院をサボっているらしい。


頻度としては、週に一度ほど。ルルは朝から夕方まで、喫茶店で何をする訳でもなく、時間を潰して、何も言わず家路に着く。


もちろん、どうしたのだろう、なんて心配混じりの疑問はあるけれど、僕は今日もそれを飲み込んで、注文を尋ねる。


「...んー...えっと...コーヒー」


ゆっくりと、まるでコーヒーを丁寧に抽出するように、ルルは言葉を話す。

あまり長く話すことはないし、せっかちの人なら焦れてしまうようなペースだけれど、これがルルの世界の普通だ。


他人の世界に余人が干渉できることなどない。そう僕は知っているから、ルルの言葉をゆっくりと待つ。コーヒーが一杯分に満ちるまで。幸い、僕は生来の性格がのんびり屋で、ゆっくりとした会話も、余暇も好物だ。それが仕事でもあるし。


のんびり屋で大人なルルにブラックコーヒーを差し出すと、湯気をぼーっと見つめながら、たまに舌に触れさせるようにコーヒーを飲む。そうして時間は過ぎていく。


たまに、何かを思い出したかのように短い会話が交わされることもあるけれど、さほど長くはない。それが終わると、ルルはテーブルに突っ伏して眠る。すやすやと、ゆっくりと何かを蓄えるように。


「...というわけなんですが、どう思います?」


ルルのサボりが週に二回に増えた頃、僕は親心のようなもので、とあるお客さんに相談を持ちかけた。


「うーん、難しい話だね」


「相談屋さんでもですか」


「なにしろ、情報がほとんどないからね。サボっているにしても、理由がわからなくちゃどうしようも無い」


僕がもちかけたのは、もちろん本職である相談屋さんだ。今日も甘いものを幸せそうに食べているが、ローブのフードは頑なに外さない。イメージが大事なのだそうだ。男装の時は外してなかったっけと思ったが、あれは別人設定だからいいらしい。よく分からない。


「それで?ナギくんはどうかしたいと思っていると?」


「いえ、思ってませんね。特に何か言う気もありません」


「ほう、なぜ?」


顎に手を当てて、言葉を選ぶ。僕の考えを形にするのに、少し時間がかかった。


「サボるってことは、何かから逃げてるんだと思うんです」


「そうかもしれない」


「ということは、ルルはこの喫茶店を逃げ場所に選んでる。それなら、受け入れてやりたいと思うからです」


「逃げ道というのは、脇道だよ。正道に戻してやる、というのも役目としてはあると思うけれど」


「それは、他の人に任せようと思います。僕は、見守って休ませることが自分の役目だと思ったので」


僕のそんな言葉を聞いて、相談屋さんは小さく笑う。


「なんだ、答え出てるじゃないか。それでいいよ」


「いえ、誰かに話さないと自分の考えが纏まらなかったので、助かりました」


「といっても、いつかそれは破綻する。その子の周りにいるのが、君みたいな考え方をする人ばかりでもないし、君の言うところのほかの役目を担う人が、その子を正道に連れ戻そうとする日も、きっと来る」


「そうですね、きっと」


「その時、君がどうするかは考えておくといい。きっと、それが今君が見守る以外に出来る事だ」


そう言い残すと、相談屋さんはおやつ時の外界へ消えていった。


相談屋さんが言ったその日は、きっとそう遠いことではないのだという予感があった。役目を持つ人、所謂大人はそこまで馬鹿では無いのだから。


けれど、それまでの余暇を、ルルが心や何かを休める場所を、僕だけは肯定しようと心に決めた。


そんな春過ぎのある日の事だった。


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 改めましてお久しぶりです!今日から二章開始です。


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