第41話 終わってゆく十二月①

 本格的に外気が冷え始め、冬という言葉が身に沁み始める時期になった。そんなとある日の朝、僕は椅子に登って、天井にとあるものをはめ込もうとしていた。


 それは、魔石という不思議物質で、店のコンロに火をつけたり、冷蔵庫の中身を冷やしたりという用途に使われる。

 夏には、青色の魔石をはめ込んでクーラー代わりに、寒くなってきた今は赤い魔石をはめ込んで暖房代わりにするらしい。


 シャツ一枚では少し肌寒くなってきたから、時間が空いているうちに嵌め込んでおこうというわけだ。


 椅子から降りて、窓の外を見る。街ゆく人は、防寒具に身を包み、身を縮こまらせながら歩いている。そうして実感していく。冬が来たのだと。


 僕がこの世界に、この街に来てから、これで全ての季節を体験したことになる。元の世界だとこれから街は、クリスマスに向けて彩られ始め、ゆっくりと一年を終えるのだろう。


「そっか、もう今年も終わりなのか…」


 色々なことがあった。


 色々なものを失って、始めなければならない一年だった。色々なものを得て、色々な人に助けて貰って生きてきた一年だった。

 それこそこの身で体験した季節たちのように、寒さも暑さも一身に受けてきた一年だった気がする。


「まだ少し、気が早いか」


 カレンダーを見れば、まだ十二月の初週だ。この一月を終わり勘定するには、まだ性急すぎるかもしれない。


 元の世界では、年を終えるこの月を師走なんて言葉で称していたけれど、語源は確か師匠というか僧侶が経をあげるために東奔西走するからだったと思う。現代では、先生が忙しいみたいな意味でも使われてた気がする。

 そこまで頭に浮かべて、はて?と思う。そういえば、今は僕も曲がりなりにも先生だったぞと。


「忙しくならないといいけど」


 言霊にしたのがまずかったのかもしれない。案の定、僕の十二月は激動の始まりとなるのだった。


********************************************


 僕はティアラがやってきた時、すでに薄ら何かを察した。この雰囲気を感じるのは、三度目だからいい加減に僕の体が覚えたのだろう。


 予選会と迎秋祭。この二つが始める鐘を鳴らす一言を放つ前のティアラと同じ雰囲気が充満しているのだ。

 案の定ティアラは、性格を表している中身が整えられた制鞄から、四枚ほどの紙束を取り出す。


「出たわよ。本選の楽譜」


 遂にかと思う気持ちと、案の定少し忙しくなりそうだという思いが芽生えて苦笑いが浮かぶ。


「今日から、また本格的にやるよ」


「望むところよ」


 皿洗い用スポンジを持ちながら出なければ、様になったかもしれないなと、そう思った。


 その日の営業を終えた後、僕とティアラはピアノの前に揃って立っていた。というか、そうじゃない日が少ないのだけど。


「なるほど…」


 僕は本選用の楽譜を眺めて、頭の中で演奏しながらため息にも似た呟きを漏らす。


「予選用とはガラッと感じが違うね」


 予選用は、良くも悪くも技術を見る側面が多かったけれど、今回は違う。


「結構、曲の解釈に込める技術とか感情とか強調するものが、演奏者に委ねられてる部分が多い」


 どういう曲にするのか、どういうものを込めるのかが演奏者によって顕著に分かれる曲だ。


「とりあえず今日は、僕がこの楽譜をできるだけ平坦に弾いてみるから、どんな曲に感じたかを正直に答えてほしい。それによって、指導を変えるよ」


 僕は、楽譜台に楽譜を置き、椅子に腰掛ける。軽く目で追った限り、サラッと弾くなら困りはしないだろう。


 ポロポロと音符をなぞる。できるだけ楽譜に沿って、感情を込めずにゆったりと。奏者に判断を任せるところも、特に工夫はせずに平坦には知ってみる。


「こんな感じだけど、ティアラは作者がどんな思いを込めたように聴こえた?どんな風にこれを弾きたい?」


 ティアラは、少し考え込む素振りを見せるとポツリポツリとイメージを吐き出していく。


「ちょっと、切なそうな他人に向ける感情…中盤からは、ちょっとだけ温かみが灯って、最後はゆっくり激しくなって、感情を爆発させる感じ…」


「うん、悪くないと思う。その解釈で、強弱とかタッチの仕方を決めていこうか。もちろん弾きながらね」


 迎秋祭を終えてからのティアラは、基礎練習のおかげで手先の器用さと技術だけじゃなく、いろいろな曲に触れて感性が磨かれてきている気がする。曲の解釈の豊かさと表現力は、目を見張るほどだ。


「(多分、隠れてた才能だろうな…)」


 たまにあるのだ、なんらかを契機に押し込められていた才能が開くことが、芸術に関わる人間には。


「(それに小手先の技術が全く追いついてないから、最近は練習曲をやらせて技術を磨かせてたけど、いい判断だったな)」


 三小節ほどを軽く練習したところで、初日の練習は幕を閉じた。ティアラによると、本選は二月の初旬ということなので、まだまだ時間はある。


 ただ、問題は、すでに本選の目標が上がってしまっていることだ。恐らくというか、今のままならクリスは本選でぶっちぎって一位をとる。ティアラは、本選で勝ち残った上に、クリスすら上回らなければならないのだ。


「まあ、学科成績とか含めた総合点で勝てばいいらしいけどね」


 話を聞けば、ティアラは学年で一位の学科成績と生活態度だが、クリスはそれが壊滅的らしい。ただ、ピアノ専攻に受かるとなると学科成績よりも実技の点が重いだろう。

 学科や生活態度面で、ティアラがもらえるアドバンテージは多くて二割、少なくて一割ほどだろう。となると、今のままではクリスにぶっちぎられること間違いなしである。


「うーん、決闘とかやけに物騒なことに巻き込まれたなあ…」


 大きな運命の波の前で人は無力というのを、よく教えてもらった気分である。といっても、ティアラだって負けないと本気で思っているし、そのために僕がいるのだ。


「コンクールで一位を獲り続けてきた僕の本領発揮だね」


 僕はそう言うと机へ向かい、貰った予備の楽譜に書き込みを始める。ティアラの手の大きさに合うであろう運指や、音が際立つであろう強弱をつける音符などを考える。静かに、夜は深まっていく。


 そうやって、どんどんと年は暮れ、冬はその色を濃くしていく。外には雪が降る日が増え、世界樹を雪化粧が彩り、遠目で見てもその威容は圧巻の一言だった。


 僕たちにちょっとした事件が起きたのは、奇しくも十二月も終わろうとする頃。僕のいた世界では、クリスマスイブと呼ばれる日付の事だった。


僕はその日、せっかくなのでと、ケーキ作りに精を出していた。外に降り頻る雪のせいで、客足はまちまちといったところだけれど、最悪余ったら自分で食べればいいのだ。甘いものが好きなティアラもいることだし。


「よし、完成」


 薄く生クリームでコーティングしたスポンジの上に、更にに生クリームを絞って果物を置いた。この心をワクワクさせる彩りは、まさしくクリスマスケーキだ。


「ほんとはサンタを模った砂糖菓子とかも欲しかったけど、自作は無理だしね」


 誰かに頼もうにもサンタが伝わらないのだから仕方ない。それにあの砂糖菓子、結局食べられなくて扱いに困ることがほとんどなので、これもまたいいだろう。


 そうやって、ケーキの出来を自画自賛して、振り返る。ティアラもきっと頬を緩める出来だろうと思ったから。


「ねえ、ティアラ、このケーキ…」


 振り返った瞬間だった。ティアラの身体がゆっくりと前のめりに倒れていくのが見えた。


「ティアラ!?」


 声を張り上げて、重力に負けて地面へと吸い込まれていくティアラの体を支えるために走り出す。

 間一髪間に合ったけれど、ティアラからはなんの反応も返ってはこない。


「ティアラ!?聞こえる!?」


 頬を軽く叩いてみるけれど、ピクリともしない。ただ一つ分かったのは、


「すごい熱…」


 僕はティアラの軽い体を持ち上げると、階段を駆け上がる。鍛えなさすぎの腕が悲鳴を上げるが、今は関係ない。二階に存在する空き部屋のベッドにティアラを寝かせ、冷蔵庫から氷を取り出し氷嚢を作って額に当ててやると、少しティアラの表情が和らいだ気がした。


 僕はそれを見届けると、店をCLOSEにして、外へ走り出す。師が走る季節は、まだ終わらない。

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 おやつの時間にすら間に合わなかったショック。さて、一章の締めに入る冬が始まります。

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