第39話 最後のプレゼント

 本日は土曜日、僕のお店の定休日だ。と言っても、この世界にはついつい眺めてしまうテレビもスマートフォンも存在しないので、夜ふかしはしていないからいつもと同じ時間に目が覚める。


 早朝と言っても差し支えない時間に目を覚ますと、寝ぼけ眼で起き上がると、顔を洗って手櫛で軽く寝癖を直した。いつものシャツとスラックスに着替えると、今日が休みなんて嘘みたいだ。


 休みの日にサボると面倒が溜まるので、軽く店内の掃除をすると窓を開けて換気を試みる。

 開けた窓からは、冷たいけど爽やかな風が吹き込んできた。サラリと揺れた、また少し伸びてきた前髪が季節の移り変わりを感じさせた。


「もう冬だな」


 その呟きの返事をするかのように、もう一度風が吹いた。それを合図に、僕は二階の居住スペースに戻ると、本格的に身だしなみを整えることにした。

 櫛で髪梳かすと、真っ白なシャツの上に、迎秋祭のために手に入れたタキシードのジャケットを羽織る。今日の寒さに耐えうる上着がこれしかないのだから仕方ない。


 姿見で自分の姿を確認すると、無難な自分が写っていて、その背後に映った時計は待ち合わせ十分前を指している。


「さてと、そろそろ下に降りるか」


 最後に、意味もなく前髪をいじる自己満足を終えると、階段を降りて店の外へ出た。待ち合わせは店なのだけれど、この冷気の中僕だけ店の中でぬくぬくしているというのがなんとなく嫌で、外で待つ。


 施錠しようと取り出した鍵の、熱を持たない金属部分が冷たい。手を擦り合わせて、その手を頬に当てるけど分かるのは、ただ僕の手が冷えているという事だけ。


「そんなに寒いわけじゃないと思うんだけどなあ」


 寒さ以外に、体が冷える原因ってなんだっけ。そう、コンクールの舞台袖で感じる体にかかる重力が倍になったみたいな感覚の名前は、なんだったっけ。


「あれ、店の中で待っててくれたら良かったのに」


 何か引っかかる感覚が浮上しつつある時、背後から声がした。いいかげん、聞き慣れた声だ。


「なんとなくだよ、おはよう。ティアラ」


「ええ、おはよう。ナギ、今日は寒いわね」


********************************************


「着る服がないんですよ」


 ある日、僕はカウンター席でホットココアを嗜むフリーダさんへとそう切り出した。


「買えばいいじゃない?休みの日もあるんでしょお?」


 フリーダさんのごもっともな意見は、確かによくわかる。だが、少し待って欲しい。僕はまず、その当然にたどり着くまでに躓いているのだ。


「服を買いに行く服がないんですよ」


「へ?」


「服屋の店員さんに会える服装がまずないんですよ。それに、どこに買いに行けばいいのかも全くわからないんです」


 街を軽く歩くのはいいにしても、制服からエプロンを外しただけのシャツとスラックスでおしゃれさんに会いに行くのは、どうにも気恥ずかしい。

 後者の問題においては、僕がこの世界のファッション事情が全くわからないのが大きく災いしている。ユ◯クロどうせないでしょ?


「重症ねえ」


「笑い事じゃないですよ」


 そもそも、軽く相談しているが、目の前の人が街随一のおしゃれさんである。もうフリーダさんに恥ずかしさはないとはいえ、自分自身への失望感はものすごいものがある。


「そもそも、どうしたのお?私が服を買うように勧めても、全く興味示さなかったのに、急な話ねえ」


「やむ得ない事情がありましてね…」


 まず、冬に入るというのに防寒具はおろか、上着が一つもないということ。仕入れに困ったときに凍死する事間違いなしだ。

 そして、二つ目の理由はというと。


「この前、服がないせいで営業停止に追い込まれましてね」


 雨に濡れたティアラにシャツを貸して、さらに貸したシャツにコーヒーの染みができたことで制服がなくなって営業を休むという滑稽すぎる事案が発生したのだ。そりゃ、営業に差し支えるなら、服を買う気にもなる。


「そんなことがあったのねえ、やっぱりナギちゃんの話は聞いてて飽きないわあ」


 笑いを堪えきれていないフリーダさんをジトっとした目で見るものの、実際他人が聞けば笑い話以外の何物でもないだろう。

 僕としては、切実な問題なのだけれど。


「そうねえ、笑っちゃったお詫びと言ってはなんだけど、そんなナギちゃんにいい話があるわよお」


「えっ、なんですか」


 元の世界で聞いたなら、マルチ勧誘か宗教の誘い文句であろう言葉に僕は身を乗り出す。だって、言ってるのがフリーダさんだし。


「今度の土曜、私の目をかけてる子がお店をプレオープンするのよねえ。そこに行って来ればあ?」


「プレオープン…それって、大事な日なんじゃ…お邪魔しても、大丈夫なんですか?」


「午後からは、出資者とか有名人呼んだりするみたいだけど、午前中なら大丈夫よお。あの子から、頼まれてたのよねえ、本格的にオープンする前にターゲットの一般人が着てる姿を見たいから、誰かいい子いないかって。ナギちゃんでいいわあ」


 遠慮が先行していたものの、フリーダさんの続く「着た感じの感想を言ったりとか、着たイメージの参考になるわけだから、安くしてくれると思うわよお」という言葉で、僕も前向きに考えるようになった。


「じゃあ、お言葉に甘えて」


「そうねえ、私も行きたいんだけど外せない仕事があって行けないのよねえ」


 フリーダさんは、至極残念そうにそう言うと、何か思いついたように、ニヤリと笑う。


「あ、そうだ。女の子のモデルも欲しいって言われてたのよねえ…ティアラちゃんも行くといいわあ」


「ええっ!?」


フリーダさんの言葉に、せっせと皿を棚に戻していたティアラが声を上げる。会話に入っては来なかったものの、聞き耳を立てていて、プレオープンに行くという話になった時からソワソワしているのは僕も気づいていた。

薄々気づいてはいたけれど、ティアラは着飾るというか、オシャレをすることが好きみたいだ。フリーダさんに向ける尊敬の根源もそこにあるのだろう。


「えっと...その、私もいいんですか?」


「いいわよお、むしろ助かるくらい。土曜日、学院もお休みだしねえ」


ティアラは少し視線を彷徨わせると、小さく首を縦に振った。


フリーダさんは、僕に当日の服装は、今の格好にタキシードのジャケットを着れば何とかなると言い残して、手を振って帰っていった。


 と、まぁこれが僕達が土曜日に待ち合わせをしている理由である。


「聞いた?今日会うデザイナーさん、私の先輩らしいの」


「先輩?」


「そう。アルスター芸術学院の卒業生なんだって。もちろん、服飾科だから学科は違うけど」


アルスター芸術学院、服飾科まであるのか。まぁ、あれだけのマンモス校だとあるのだろうな。


「迎秋祭で展示した服をフリーダさんに見初められて、ついにお店開くんだって。今から本当に楽しみ」


スキップするかのような浮かれた足取りで、僕の二歩程先を進むティアラを微笑ましく見る。ティアラの歩くリズムに合わせて、服の裾が揺れる。


私服姿のティアラを見るのは、思えばこれが二度目な気がするが、やはりというか随分とオシャレだ。


キャメル色の長いチェックコートの腰をベルトで締めていて、細い腰が強調されている。首元から覗く白のハイネックの上には、さり気ない花を象った小ぶりなネックレスが輝いていて、華があった。黒いブーツが鳴らす足音も、何もかもが新鮮なのに、髪を結うリボンだけがいつものティアラで、なんだか不思議な違和感があった。

  待ち合わせの前に感じた感覚が、またざわめき出した気がする。


「着いた、ここね」


真新しい店構えは、未来の展望や希望を反射して光ってるかのようだ。ガラス張りの店内には、いくつものラックにかけられた服が並んでおり、マネキンが着ている服がおしゃれで、尻込みしてしまう。


「お邪魔します」


 躊躇いなく扉を開き中に入るティアラに尊敬の念を感じながら、続いて中に足を踏み入れる。


「あ、いらっしゃーい。師匠の紹介で来た子だよね」


 そんな僕たちを迎えて来れたのは、毛先だけが赤い灰色の髪をした女の人だった。黒いシャツの上に、ペンキを散らしたみたいなオーバーオールを身につけていてなんだかとても分かりやすくアートスティックな人だ。


「初めまして、フリーダさんの紹介で来たナギと」


「ティアラです」


「うんうん、師匠が寄越すだけあっていい素材いい素材。ナギ君の方は、服にあんまり興味ないんだって?」


「恥ずかしながら」


「服って、嗜好品の側面があるからね。今日は、ちょっとでもいいなって思ってもらうために頑張るよ」


 お姉さんは、そう言って拳を握ると、僕らを誘うように手招きする。背中を追おうとすると、急に振り返り「忘れてた」と呟く。


「私はこのお店の服を作ってるデザイナー。ヘーゼルです、よろしくね」


********************************************


 店の中央近くにたどり着くと、ヘーゼルさんが手を打ち鳴らす。


「さて、早速いろいろ着て行こうか。ティアラちゃんも、ナギくんも、どういう系統の服が好みとかある?」


「私は、あんまりフリフリしたのはちょっと…それ以外は、色んなのを着たいです」


「僕は、シンプルで変じゃなければ。出来れば、着心地が優しいと嬉しいです」


「うーん、なんだか対極な二人で面白いね。よしよし、まずは私がちょっと一式見繕ってみるよ」


 たくさんのラックの中から、顎に手を当てて考え込むような素振りを見せて服を選ぶヘーゼルさん。


「そういえば、自分で服買いにくるのって初めてかも」


「えっ!?今までどうしてたの?」


「うーん、家の人が用意してくれてたというか…」


「ふーん」


 僕の服事情を聞いて、初めは驚いていたティアラは、会話が進むにつれ何かを考え込み始める。考える二人と、待ちぼうけの僕のコントラストがなんか間抜けだ。もちろん間抜けなのは僕だ。


「お待たせ、二人とも。これ一旦着てみてくれるかな」


 結構な量の衣服を渡され、試着室へと僕とティアラは着替えに入る。


 着替える前に、渡された服を眺めて、着ている自分を想像しようとしたけれど、てんでだめだった。

 袖を通すと、生地の内側が滑らかで気持ちがいい。どうやら、要望を聞いて考えてくれていたらしい。


「着れました」


 少し試着室のカーテンを開けて姿を晒すのに躊躇いを覚えながらも、試着室を出る。まだ、鏡は見ていない。

 それでも、デザイナーさんが僕を見て選んでくれた服だという安心感があって、躊躇いは一瞬だった。


「どうですか?」


 ノーリアクションのヘーゼルさんに不安を覚えていると、隣の試着室が開き、ティアラも姿を見せる。


 お互いの姿を視認した瞬間、一瞬の間を置いた後、同時にこう言った。


「「似合うね(わね)」」


 あまりの揃い具合に、二人揃って吹き出してしまうけれど、本当によく似合っている。


 光沢感のある白いシャツに、モコモコとしてゆったりとした黒いセーター。さまざまな色の不規則な水玉模様が散らされているのが本当におしゃれだ。下は少し太いデニム姿で、かっこよさの中にどこか可愛らしさがあった。


「これ、見た時は上着が可愛すぎて似合わないかと思ったけど、大丈夫なのね」


「可愛らしすぎると嫌だって聞いてたけど、せっかく顔が可愛いんだから似合うと思ったんだ。可愛らしすぎないように、パンツと、清潔感のあるシャツで中和してあるんだ」


 会話が僕にはちんぷんかんぷんだけど、ヘーゼルさんがすごいということだけは分かる。


「ナギも、すごくいいわ」


 僕が着ているのは、グレーのスウェットみたいな服の上に、くすんだみたいな優しい空色のコート。下はシンプルな黒いズボンだけど、裾が広がっていて体の締め付けがなくて楽だ。スウェットの裾になんだかダメージが入っていて、スパイスが効いている…

ように思う。


「シンプルっていうと、モノトーンになりがちだから上着だけ優しい色を入れて、中に切るものもシンプルな中にちょっと遊びを入れたものにしてみたんだ。ズボンも履き心地良いでしょ?」


「はい、なんか、上手く言えないですけど、派手じゃない中にこだわりがあって、楽しいです」


「楽しい、いいね。それだよ、楽しくなくちゃ服なんてなんでも良いからね!それを言って貰うのが、デザイナー冥利に尽きるよ」


 微笑みながら、次に服を選び始めるヘーゼルさんの後ろ姿には隠しきれない喜びがあって、きっとフリーダさんは彼女のこういうところを応援したくなったんじゃないかと思った。そして、この熱がお客さんにうまく伝われば、きっとうまく行くとも。


 その後も、いくつもいくつも服を着て感想を伝えた。僕はうまく言葉に出来ないこともあったけれど、ティアラは随分饒舌だった。


 その最中に、いろいろな話をした。憧れのフリーダさんに見つけてもらえて嬉しかったけれど、弟子になってみると鬼のように厳しくて何回も泣いたこと。

 それでも、努力は認めてくれて、この店を開くまでにいろいろな面で援助をしてくれたことなどを嬉しそうにヘーゼルさんは話してくれた。


 そこから、二時間ほど服を着て、どれを買うかという話になった時、結局僕は一番初めに着た服一式を買うことにした。ティアラも、一番初めに着ていた水玉模様のカーディガンを買うことにしたらしい。


「お買い上げありがとうございます。ということで、はいこれ」


 僕が財布を取り出す前に、紙袋が差し出された。


「え?お会計まだですよ」


「ううん、いいの。今日は、プレゼント」


 面食らって、少しの間二の句を告げなかったけれど、僕は言う。


「そういう訳には、申し訳ないですし、プロのお仕事には対価が必要だと思います」


 ティアラも大きく頷く。僕は、服を着る渦中で、ついている値札を見たのだが、フリーダさんの店と比べるとましだけれど、決して安いとは言えない値段だったはずだ。

 僕も、次元は違えど、物を作って売る商売をしている人間だ。その意味は、この半年で理解しているつもりだ。


「ううん、このお店はまだ空いてないから私はプロじゃないの」


 ヘーゼルさんは、お店を眺めながら何かを吐き出すように僕たちの目を交互に見つめた。


「ここからは、ただ服を作るのが楽しくて、その延長線上にいた私じゃないの。もちろん、お金を稼がなくちゃいけないし、時には流行りの物を、自分のアイデアだけで作った物じゃない物を売らなきゃいけない時もある。だからこれは、服が好きな一人の人間からの、最後の贈り物だよ」


 ティアラが、息を呑んだのが分かった。ティアラも、芸術という物で身を立てようとしている人間だ。何か思うところがきっとあったのだ。もちろん僕もだ。


「もちろん、贔屓にしてもらえるかもって打算も込めてだけどね!次の季節に、また服が必要になったら、今度は『お客さん』じゃなくて『お客様』として扱うよ」


 こうまで言われては、固辞するのも申し訳なくなり、僕たちは深く礼を伝えて紙袋を受け取った。ただのヘーゼルさんからの、最後のプレゼントボックスを。


「次を、お待ちしてます」


 『またお待ちしています』ではなく、ヘーゼルさんは僕たちにそう言った。その意味を、僕たちはきっとよく分かっていた。


 次の春が来て、盛況となったヘーゼルさんのお店に、一組の師弟が足を運ぶ光景があったとか。


「いらっしゃいませ、お待ちしてました」


*****************************************


「今日は楽しかったわね、ナギ」


「そうだね。ちょっとだけ、興味出てきたかも」


「思えば、お互い私服で待ち合わせて会うなんて、初めてね」


「いつも会う時はお互い制服だからね」


「だからかな、なんか今日ナギと一緒にいるのが、ちょっと緊張しちゃった。慣れなくて、不思議な気分」


ティアラにそう言われて、僕はハッとする。待ち合わせの前に僕を襲った感覚。そうか、あれは緊張してたのか。


「でも、なんで」


僕の呟きが聞こえなかったのか、ティアラは「せっかくまだお昼だし、店に帰ったら何か作ってよ」なんて言っている。それに笑顔で了承すると、僕達は歩き出す。


「...男の人と休日に二人で出掛けるなんて、緊張するに決まってるわ」


*****************************************


 いつも誰かを見送る側のナギが、迎えられる側になるという話を書いてみたかったんです。しばらく、更新の時間がバラバラになるかもしれませんが、できるだけ正午に出せるようにします。



 

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