第37話 番外編 贈るもの

 クルトの恋 後編を出す予定だったんですが、母の日ということで今日は特別編を。

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 場所はユグドラシルから遠く離れた、町の食堂。

時は早朝、そこに住まう夫婦は何年も続けた習慣として、ダインニングテーブルで二人揃って朝食を食べていた。


今日も、夫が丹精込めて作った料理は変わらず美味しく、朝から程よい量の会話が飛び交うその光景には、ありふれた家庭の幸せがあった。


「すいませーん、お届け物でーす」


そんな団欒の時間に、家の外から声が差し込まれる。

既に外に出ても恥ずかしくない格好をしてある妻は、おそらく郵便であろうものを受け取りに行く。


受け取ったものは、一通の手紙と小さな小箱。宛先を確認すると、そこには。


「あなた、ティアラから手紙よ」


「おお、元気でやってるのかなぁ」


記されていたのは、夫婦の最愛の娘の名前。遠い街で音楽を学ぶために努力を重ねる、できすぎた娘だ。


ひと月に一度ほど送られてくるその手紙を、夫婦はとても楽しみにしている。

早速ダイニングテーブルに手紙が広げられ、夫婦が寄り添って娘からの報告を読み進める。


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拝啓 お父さん、お母さん。夏休みは、急に帰れない旨の手紙を送って驚かせて、改めてごめんなさい。優しいお父さんとお母さんのことだから、きっとおもてなしの準備もしてくれてたのに。お父さんのご馳走を食べ損なったのは残念です。


 でも、どうしても成し遂げたいことがあったので、きっとお父さんもお母さんもわかってくれると思って。甘えてばかりです。

 そして、一つ前の手紙にも書きましたが、きちんと私は成し遂げました。予選会を突破したのです。まだ、本選が残っているので安心は出来ませんが、少し安堵の心で日々を過ごしています。


 それもこれも、以前から話している私の先生のおかげです。いつか、お父さんとお母さんにもナギと会って欲しいです。


 最近もーーーー


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 娘らしい理路整然とした綺麗な字を追っていく。整った字体なのに、文には少し私達に甘えるような幼さが残っているのが、なおさら娘らしかった。


 可愛い子には旅をさせよ、なんて言うけれど私たちの娘が旅立ってしまうのは随分と早かった。

 中等部に上がる前、まだ小学生の時分に私達の元から旅立ってしまった。街に出れば、娘と同い年ほどの子供が家の戸を開き、親に迎えられているのを見ると、どこか寂しさを覚えてしまうけれど、誇らしさも感じる。


 娘の成長くらい、離れていても分かるから、大丈夫だ。中等部の三年間は、届く手紙にもどこか張り詰めたような雰囲気と、私達に心配をかけまいとする気遣いが見受けられたのに、最近はどこか心が軽くなったかのように明るい話が増えている。恐らく、手紙の内容の六割方を占めている先生のおかげなのだと思う。

 良き環境で学べているのなら、背中を押した親冥利に尽きるというものだ。


 手紙の後半が、ナギという人物のことで埋まっているのを見て、どんどん目に見えて顔が曇っていく夫の横顔を見て思わず笑ってしまう。娘を溺愛する夫は、娘が心配で仕方ないらしい。

 家からは巣立っても、娘の籍が本当の意味で親元から飛び立つのはまだまだ先のことだと思っていたが、案外そうでもないのかもしれない。だが、それも仕方ない事だと思う。なんたってティアラは世界で一番 可愛らしく愛らしいのだから。


 こんな欲目を溢れさせているようでは、夫の過保護を笑えない。そんなことを考えながら、手紙を末尾まで読み終えると、最後はこう締めくくられていた。


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 追伸 ナギの故郷には親に感謝する。という日があるそうです。それを聞いたから、という訳ではないけれど、手紙の他に小さな贈り物を同封しておきました。


 中身は、ユグドラシルの世界樹の森から見つかった果実で作ったゼリーです。なんと、私が手伝った、ナギのお店でメニュー表に載った初めてのデザートなの。

 お父さんとお母さんに食べてもらいたくて、瓶詰めにして送りました。あ、出来るだけ早く食べてね。


 それでは。また、年末に帰って会えるのを楽しみにしてます。


 ティアラより


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 手紙と同時に受け取った小箱を開くと、瓶詰めにされた薄ピンク色のゼリーがあった。


夫と顔を見合わせると、無言で私はキッチンへとスプーンとお皿を取りに向かう。きっと、ダイニングテーブルに帰る頃には、夫が蓋を開けて待っているはずだ。


戻ると、予想通り、夫が蓋を開けたビンが机の上で待っていた。夫とこのテーブルで食事を何回重ねただろう。これくらいの以心伝心は容易だ。


皿に出したゼリーはプルプルと揺れて、口に入れると官能的な食感がして、次いで甘酸っぱい味がした。


「ティアラの先生、料理も上手なのね」


「いや、まだまだだな」


意地でも、ナギという人物を認めたくないのか、そんなことを言いながらも「でも、ティアラも手伝って...ぐぅ...」と葛藤しながらゼリーを口に運ぶ夫に笑ってしまう。


ダイニングから、娘が消えて既に三年ほど。抱きしめることは出来なくとも、こんな贈り物を貰わなくとも、あの子が健やかで育つことが一番のプレゼントだ。きっと、あの子にもそれが分かる時が来るのだろう。


「ね、あなた。今度は、私達がティアラに会いに行きましょうか。ティアラの先生にも会ってみたいわ」


「...じゃあ、頑張って働かんとな」


ある冬の一日。とある喫茶店店主が、ひとつくしゃみをした。


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 ティアラの両親はそのうち、本編にも出てくるのでその前振り話ですね。


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