第36話 クルトの恋 前編

 風が吹かなければ風鈴は鳴らない。ただ、逆説的に言えば、風が吹いている時ならばその身が壊れない限り音を鳴らし続けるということでもある。


 僕はこの男を、生きている限り騒がしい常に風の中にいる風鈴のような男だと思っていた。最も、うるさいだけなので、涼やかで原風景的な綺麗なものではないのだけれど。


 長々と脳内で少し詩的なことを浮かべている僕だけれど、要するに何が言いたいかというと、サメが布団ですやすやと眠るような異常事態が起きているのだ。


「えっと、クルト…だよね?」


 僕がそうやって疑問符付きの言葉を投げるには訳がある。カウンター席に座るクルトという男は、店に来るたびにくだらない事をわーわーと捲し立てるクラスのお調子者のような性格をしていたはずなのだ。


 一度目を擦ってみるけれど、目の前の光景は少し掠れた後、徐々に像を取り戻して変わらぬ光景を僕の脳に焼き付ける。


 今僕の目の前のカウンター席には、片肘をつき、時折ため息を吐きつつ、憂い顔で小説を読む男の姿がある。

 時折読んでいる小説の一節だろうものを、息を含んだ声で読み上げるものだから、また堪らない。冒頭の僕の思考が詩的になったのも、これが感染ったからだ。


 言いたいことは一つだけである。


「(何があった!?)」


 確かクルトが店に来たのは、先週の中頃だったはずだから一週間も経たない間に人格を反転させるほどの何かがあったと見ていい。

 前に来た時は相変わらず女性にモテたいという旨の話を僕にしつつ、注文をとりに来たティアラにまごついていた。あの時に異常はなかったはずだ。


「クルト…?」


「ああ、ナギか。どうしたんだ…?」


 僕の二度目の問いかけで、ようやくクルトが文中から舞い戻る。なんだか、いつもと立場が逆である。

 僕を見据える目も、なんだか澄んでいるし、僕の名前を呼ぶ声も少し気だるげである。はっきり言って気持ち悪い。なんで、こいつがルルを彷彿とさせるレベルの無気力系になってるんだ。


「(誰かこの不可思議な状況なんとかしてくれないかな…)」


 僕が神に祈るような気持ちで、天井を見上げていると、祈りが通じたかのようにドアベルが鳴る。

 姿を見せたのは、相も変わらずのローブ姿の女性。


「やあ、ナギ君。お邪魔するよ」


「神よ!」


「ええ!?」


 神の思し召しとしか思えないタイミングで現れた、職業お悩み解決の人材に僕は思わず声を上げる。

 急に叫んだ僕を、驚いた顔で相談屋さんが見つめている。そりゃそうだ。それにしても、僕のこの大声にも一切反応せず小説を読んでいる目の前のこいつは、絶対に重症だ。


「コホン…いらっしゃいませ、相談屋さん。今日はもう店じまいですか?」


「そうなんだよ。なんとなく分かるんだよね。今日はもうお客さん来ないなーとか」


「そんな日もありますよね」


 僕が咳払いをして誤魔化すと、特に相談屋さんも言及はしてこない。コーヒーとアイスクリームを注文されたので、準備に取り掛かるけれど、時折聞こえる朗読のせいで、どうにも手元が狂いそうだ。


「お待たせしました」


「お、来た来た。こんな日は甘いものでも食べて明日から頑張らないと」


 顔を綻ばせる相談屋さんの前にアイスクリームを置くとき、耳元でこっそりと呟く。


「あの…相談屋さん」


「うん?」


「今日のお代いいので、少し相談が…」


「ナギ君が…?どうしたの?」


「いや、まあ、僕というより…」


 ちらっと横目でクルトの方を覗き見ると、相談屋さんもそれに倣う。


「彼がどうかしたの?」


「いや、よく見てください。様子がおかしいから分からないかもしれませんが、相談屋さんも会ったことあるはずです。思い出してください」


 僕がそう言うと、相談屋さんは顎に手を当てて思案顔をする。そして、数秒間考え込んだ後、真顔になってクルトを二度見した。気持ちはよく分かる。


「な、ナギ君。あれ、クルト君かい!?」


「ええ、残念ながら」


 確か、クルトと相談屋さんはパーティーの時に何やら話し込んでいたので知り合いのはずだが、それでも気づけないほど今日のクルトはおかしい。異常気象さながらだ。


「相談って、あれだよね?」


「はい、なんとかなりませんかね。正直気味が悪くて」


「時々君は口が悪いね…相談屋を長年やって、最もと言っていいほど自信がないけど、やってみよう」

 

 相談屋さんをそこまで戦々恐々とさせるクルトの変貌に、もはや若干恐怖を覚えつつも、黙って見守ることにする。


「やあ、お久しぶりクルト君。覚えているかな?パーティーの時色々と話したよね」


「ああ、ごきげんよう、です」


 にこやかに話しかけた相談屋さんの笑顔が早速引き攣る。なんだその挨拶。


「今日は随分と真剣に何か読んでいるんだね。何を読んでるんだい?こう見えても、私も本には詳しくてね」


 態勢をなんとか立て直して、会話を継ぐ相談屋さんにクルトは無言で読んでいた本を差し出す。


「ほう、これは最近流行りの恋愛小説じゃないか。私も読んだけど、良いものだよね。でも、なぜ急に小説なんか読み始めたんだい?私でよければ、相談に乗ろう。こう見えても、私は話を聞くプロだからね!」


 どうやら短期決戦に出たらしい相談屋さんの手腕に拍手を送ろうとしていると、クルトが何かを言おうと口を開いたところだった。息を呑みながら、言葉を待つ僕たちだけれど、なかなか言霊は現れない。

 視線を泳がせるクルトを待ちながら、どのくらいが経っただろうか。意を決したように、クルトがたどたどしい口調で語ったのは、思いもよらぬ話だった。


 簡単な話、クルトは恋をしたのだそうだ。


 相談屋さんが聞き出した事をまとめると、クルトが恋をしたのは学院の廊下でのことだったらしい。


 クルトは、学院の音楽技術科に属している。そこは、楽器製作者だったり、楽器整備士を志す人間の集まりなので、工具箱を持ち歩くことがあるらしい。

 その日、実習室へ向かう途中クルトは、工具箱の中身をばら撒いてしまったそうだ。長年使っているものなので、持ち手のネジが緩んで落としてしまった故の出来事だそうだが、それが恋の始まりだった。


「大丈夫?」


 そう声をかけて、一緒に道具を拾い集めてくれた子が、クルトのお相手だ。いくらなんでも、ちょろすぎるだろうと思ってよくよく話を聞いてみると、その子に去り際に「道具の手入れがよくされていて凄いね。きっと、良い職人さんになるよ。君の作った楽器なら弾いてみたいもの」と言われたのが、決め手だったらしい。


 クルトにとって、丹念に手入れをした道具を褒められるのは何よりも嬉しいことらしい。その気持ちはよく分かるので、クルトの抱いた恋心にも納得がいくというものだ。


「君の作った楽器なら弾いてみたいって言ってたってことは、音楽科の子なのかな?」


「バイオリンケース背負ってたらしいし、そうだろう」


「なるほど、それでその子のことを考えると、悩みすぎてこんなことになったと…」


 なるか?と思うが、よく考えれば、見た目や普段の態度とは裏腹にクルトは、女子と面と向かって話すどころか顔を真っ赤にして逃げ出す純情青年だ。

 異性関係で思い詰めれば、こうなることも…いや、ないだろ。どういう精神構造だ。


「それで、恋愛のことを調べるために流行りの恋愛小説を読んで、それでまたその子のことを思い出してため息を吐いてたと」


 それで、共感した文章が思わず口から漏れ出たらしい。ものすごい共感能力だし、どちらかというと演奏家向きなのではと思うが口にはしない。埒があかないから。


「それで、一応その子のことは多少なりとも調べたのかい?」


「音楽科の、シオンちゃんって言うらしい…バイオリン専攻志望なんだって」


 俯きながら、そう言うクルトの耳は真っ赤である。名前を本人がいないところで呼んだだけでこの有様だと先が思いやられる。


 僕が頭を抱えていると、ドアが開きティアラがやって来た。ティアラは、相談屋さんの姿に嬉しそうにしながらも、二人揃って頭を抱える姿に訝しそうにする。


「どうしたの?」


「いや、実はね…」


 事情を説明すると、やはりティアラも女の子である。恋バナだと分かった途端イキイキとし始め、目を輝かせている。


「ああ、シオンちゃんが相手なの?私同じクラスよ」


「え?そうなの?」


「うん、特に用事がないのに手持ち無沙汰にしてる私に声をかけてくれたり、優しい子よ。あの子を好きになるなんて、見る目があると思うわ」


 どうやら、クルトの惚れた弱みとかではなく心優しい子らしい。少し安心である。ただ、それが分かったところで話は先に進まないと思っていたところに、まさかの発言がティアラから飛び出る。


「あ、そういえばシオンちゃん、私がこのお店で働くってなった時に宣伝をお願いして、一番頑張ってくれた子なの。いつかお礼をしなきゃと思ってたんだった」


 「忙しい子だけど、本人も来てみたいって言ってたわね」と呟くティアラに、相談屋さんの目が光った気がした。


「へえ、この店に、ねえ」


 そう言って相談屋さんはニヤリとこちらを見る。なんだか、嫌な予感がする。


「ティアラ、その子をこのお店に誘ってくれないか。そして、日付を私にも教えてくれ」


「え?シオンちゃんを?別にいいけど…」


 もう言わなくても、相談屋さんが何を言いたいか分かった。この店で、クルトと引き合わせようというのだろう。


「確かに、チャンスは出来るかもしれないですけど、クルトのこの免疫のなさだと、会話すら怪しいと思いますけど」


「私も、リスクは承知だ。けど、どっちに転ぶとしても変化は必要だろう?ナギ君はクルト君がずっとこのままでも良いのかい!?」


「ヨクナイデス」


 非常にを文頭に付けたいくらいには良くない。


「けど、カウンターに並んで座ったとしても、多分何も起きませんよ?」


「何言ってるんだ、我々がいるじゃないか。ティアラ、もう一つ頼みがあるんだが、その子の他にもう一人女の子を連れて来てくれないか?」


「え、良いけど…どうして?相談屋さん」


「一対一で話すのは流石にきついだろう。それは私にも分かる。だから、宣伝のお礼の名目で、大きなテーブルで一団として話そう。それなら、随分ハードルは下がるはずだ」


 なるほど、大きな樹も、森の中にあると一本一本の大きさは意識しないといった感じの理論か。確かにそれなら、クルトも多少マシなのかもしれない。


「というわけで、男女比はちょうどの方がいいだろう。だから、ティアラにもう一人女性を頼んだのさ」


「ん?」


 何か引っかかることを相談屋さんが言った気がした。


「シオンって子、相談屋さん。クルトなら、男性が足りないのでは?」


「ああ、私はクルト君のフォローのために男性に扮して加わるよ。それに、女性はティアラも加える予定だしね」


 なら、男性がクルト、相談屋さん。女性がティアラとシオン。これで、別の女の子はいらないはずなのだが。


「何言ってるんだ、君も入るんだよ」


「え?」


「ハードルを下げるなら、二対二より、三対三の方がいいだろう?というわけで、協力してもらうよ?ナギ君」


 相談屋さん、僕の元々いた世界では、そういう集まりのことを合コンっていうらしいです。


 …嫌だなあ。


*****************************************


 次回、知り合いだらけの合コンもどきの巻。ただ、相談屋さんとクルト君が書きたかっただけです。次回、新キャラ出ます。




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