第31話 迎秋祭 あふたー

 木々が頬を染める季節が終盤に近づいているのを肌で感じる、今日この頃。色々あった迎秋祭から、一週間ほどが過ぎた。

 煌びやかな世界の余韻も、僕の体から既に消え去り、穏やかな日々の中に身を置くただの名のない喫茶店マスターへと戻っている。


「お待たせしました」


 カウンターで、何やら書物を読み耽る美丈夫の前にコーヒーを差し出すのも、いつものことだ。


「ありがとう、店主さん。いやはや、またしてもバタバタしてしまってね。結局、ここにくるのも随分と遅くなってしまった」


「ティアラから聞きました。迎秋祭の後始末で大忙しなんでしょう?」


「ああ、ようやくあらかた片付いたがね」


 そうやって渋面でコーヒーを啜るウォルツさんの目元には、うっすらとクマが浮かんでいる。さぞ、お忙しかったのだろう。


「舞台袖で会ってから、挨拶に行かなければとは思っていたんだが。ままならないものでね」


「別に構いませんよ。ウォルツさんが、この店を出て何者だろうと、あの時伝えた通り、僕の出すコーヒーの味は変わりませんし、もちろんお代も変わりません」


「いやいや、そろそろ付き合いも長いのに身の上を明かさなかった不義理はよろしくない」


 ウォルツさんは、カップをソーサーに戻すと、綺麗な動作で胸に手を当てると「改めて」との前置きと共に、礼をする。


「この街、ユグドラシルに連なる貴族の末席である伯爵家の家名を頂いている、ウォルツ・キャンベルと申します。以後お見知り置きを」


「こちらこそ、特に誇れる家はないですけど、コーヒーの味だけが自慢です。天沢凪と申します」


 誇れる家どころか、出生記録とか戸籍とかもないけど。と心の中で思いながら、堂に入ったウォルツさんの言葉に、見よう見まねで返す。


「そういえば、学院の理事長も兼任してるんですよね」


「昔から我が家は芸術と縁が深くてね、私も芸術に関心はあったから引き受けたのさ」


「ウォルツさんも、楽器何かされるんですか?」


「恥ずかしながら、奏者としては何をしてもからっきしでね。でも、昔から一流のものを聴いてきたからか、耳だけは誉められるんだよ。その耳で判断する限り、君たちの演奏は素晴らしかったよ」


「ティアラが努力しましたから」


 実際、ティアラの下地がなければ響かない弾き方をしていたので、嘘ではない。あくまで、メインはティアラなのだ。


「ふふ、謙遜しなくていいよ店主くん」


 僕が答えに窮した時、ドアベルが鳴る。時間的に、そろそろティアラがやってくる頃だろうと、当たりをつけドアの方を見ると、予想通りアルスター芸術学院の制服を纏った少女がそこには立っていた、のだけれど。


「やあ、ナギ」


「クリス?」


 そこにいたのは、ティアラの友人であり、僕の度肝を抜くほどの演奏をしてみせた天才と呼ばれる少女クリスだった。


「座っていい?」


「もちろん、空いてるところにどうぞ」


 僕がカウンターを指し示すと、クリスは躊躇なくウォルツさんの隣へと腰掛けた。その勢いに、少し椅子が軋む音がした。

 というか、クリスは横にいるのが自分の学院の理事長だと気づいているのだろうか。気づいていたとしたら、すごい胆力である。


「何が美味しいの?」


「おすすめはコーヒー。だけど、人によって好みが分かれるかな?」


「どんな味?」


「苦くて酸っぱくて、ほんのり甘いよ」


「面白そう、それで!」


 クリスは笑顔でコーヒーを注文する。両手で顔を支える形にした頬杖と、少し揺れ動く体と漏れ出す鼻歌から、やけに上機嫌だと感じた。

 挽いた豆を取り出している最中に「ご機嫌だね」と話しかけると、クリスは「そうなんだよ!」と声を大にする。


「面倒ごとが一つなくなって、気分がいいんだ」


「それはよかった。ティアラは、一緒じゃないんだね」


「ティアラは…今日一度も会ってないな。学園、馬鹿みたいに広いし、授業も被ってないから」


 あの敷地面積だとそりゃそうかと、抽出し終えたコーヒーをクリスの前へと置く。クリスの視線は、琥珀色の液体へと吸い寄せられ、水面をじっと見つめている。


「いい匂い」


「ミルクと砂糖が欲しくなったら言ってね?」


「へえ、ミルクと砂糖を混ぜてもいいんだ。でも、まずは普通に飲もっかな」


 そういうと、クリスは結構な量のコーヒーを口へと流し込む。噴き出される未来が見えた僕は、クリスの顔の直線上から離れて防御体勢をとる。やたらと思い切りのいい子だ。


「ん、んん?んー…」


 クリスの顔が百面相みたいにコロコロ変化していくのを眺めながら、布巾を手に、次の一言をじっと待っていると。


「うん、美味しくはないけど、不味くもない。不思議。苦くて酸っぱいのにね」


 ごくりと喉が鳴る音が聞こえて、クリスが些か正直すぎる感想を口にしたのを聞いて、とりあえず安堵する。布巾の出番が無くて、本当に良かった。


 試しにミルクと砂糖をたっぷり入れてみたら「これは凄くいい。僕の好み」という評価を頂けたので、これまた重畳。


 ほっと一息ついた頃、クリスが思い出したかのように口を開いた。


「あ、そうそう。忘れちゃうとこだった。今日は、ナギに用事があってきたんだ、僕」


「用事?」


「そうそう」


 クリスは、コーヒーを飲んでいた時と変わらぬ笑顔で、こう言った。


「僕のピアノ講師になってよ」


 そんな言霊が世界に響き終わった時、ドアが開く。


「ごめんナギ、遅くな…って、何?この空気」


 役者は揃った。新たな厄介ごとの種は、この時既に撒き終えられていたことを、この時の僕は、まだ知らない。

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