第28話 迎秋祭②

 日に日に移り変わっていく、葉の色、それによって微妙に形を変える景色たち。そんなものが、芸術家の感性を刺激する毎日なのか、昔から、そんな言葉がこの季節にはあった。

 「芸術の秋」この言葉に恥じない、お祭りが、芸術学院という名を冠する場所にはあるらしい。


 存分に楽しめばいいと思う。ただし、それは、自分が関係しないからこそ言える言葉である。祭りは、設営や盛り上げる人がいるから楽しめるわけで、僕はずっと参加する側でいたい。にぎやかし担当だ。日本人らしく、祭りの情緒だけを感じて過ごしたい。


「だからさ、僕は不参加ということで」


「諦めなさい。もう、先生陣にも、一部の生徒にも、私に先生がいることはバレてるわ」


 今年は例外として、迎秋祭の時期に、ピアノ専攻の最終候補が揃っているため、余興として、そこまで導いた先生と、生徒の連弾が企画されたらしい。

 そんなに高貴な場じゃなければ、これがうちの生徒ですよ、頑張ったんですと、鼻高々に行けたのだが、今回は訳が違う。


「クリスが言ってたの、こういう事だったのね…」


「クリス?」


「私の…友達?みたいな子よ。天才って呼ばれてる子なの」


「天才か…それはすごい」


「どうせ、迎秋祭で会うわよ。ナギに会うの楽しみにしてたから」


 予選会の時に、ティアラの先生に会いたいから、予選会を突破してねと言われたそうだ。その時には、そのクリスって子は、こうなることを知ってたのか。


「連弾ねえ、その迎秋祭って、どれくらい先なの?」


「二週間後ね」


「二週間か...よし、普段の練習の合間に、少し僕と練習しようか。あれだけやったんだ、勘は鈍ってないね?」


「もちろんよ」


どうやら、逃げられないらしいので、諦めて、連弾の練習することにする。

連弾だ。ティアラをメインに、僕は彼女の音がよりよく聞こえるように、寄り添うような音色にすればいい。

夏休みにあれだけ聞いた音だ、二週間あれば、さして大変なことではない。気が重いことに、間違いはないが。


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「あら、迎秋祭、ナギちゃんも行くのお?」


「不本意ながら」


 それから一週間後、店に来てくれたフリーダさんに、参加に至った経緯を話すと、彼女はケラケラと「ナギちゃんらしい巻き込まれかたねえ…」と笑った。解せない。


「も、ってことは、フリーダさんも?」


「そうねえ、アルスターには、服飾関係の子達もいるから、真剣に観に行くのよお。もちろん、夜のパーティーも呼ばれてるわあ」


 フリーダさんは、女性の憧れであり、稀代のファッションデザイナーにしてモデルなので、当然お呼ばれしているらしい。一瞬、そのデザイナーとしての彼女の顔が見えた気がして、かっこいいなと思った。


「それで、準備はできてるのお?」


「ええ、楽曲自体は、僕も嫌ってほど頭に入ってますから。それに少しアレンジを加えて、ティアラのサポートをするくらい訳ないですよ」


 一週間、ティアラと、多少連弾をしてみたが、問題はなさそうだった。楽曲も、ティアラの音も、癖も体が覚えているからだった。


「そっちも心配だったけど、パーティー会場に行くんでしょ?服は大丈夫なのお?」


「服?」


「当然だけど、ドレスコードあるわよお?」


 フリーダさんに言われて気づく。やべえ、ドレスコードに値する服どころか、私服一つ持ってない。


「その反応だと、全く考えてなかったみたいねえ…」


 「そうじゃないかと思って聞いてみて正解だったわあ…」と、フリーダさんは呆れたような言葉を漏らす。


「でも、ティアラそんなこと一言も…」


「学生は、制服が正装だから、伝え忘れてたんじゃなあい?」


「あー…」


 ティアラも、あれで少し抜けているところがあるので、僕の服装まで考えていなかった可能性は否定できない。


「仕方ないわあ…仕立てでも、今からじゃ間に合わないし、私が面倒見てあげるから、当日うちの店に来てねえ。昼間の展示を見て、一旦帰ってくるわあ…」


「すいません、面倒をおかけします…」


「前々から、ナギちゃんの服装はどうにかしなきゃいけないと思ってたから、ちょうどいいわあ…特別に、値段も友情価格にしておくわあ」


「いや、本当に何から何まですいません…」


 ファッションのことなど、何もわからないので、正直に頭を下げる。僕が笑われるだけなら、まだいいが、今回は、僕の格好が変だと、ティアラも笑われることになる。それだけは、あってはならないことだった。


「ただ、一つだけ、条件があるわあ」


「何なりと」


 うちの飲食代、半年無料とかだろうか。フリーダさんのお店の服は、聞くところによると、目玉が飛び出るお値段だ。一式となると、それでも足りないかもしれない。


「ティアラちゃんも、連れてくること。彼女も、セットで着飾ってみたかったのよねえ…!」


 多分、ティアラはそれ喜ぶんじゃないだろうか。そんなことを思いながら、本当に恵まれているなあと思う。お客さんに頼るのはどうかと思うけれど。


********************************************


 さて、そんなこんなで、迎秋祭当日。僕は、おやつの時間まで営業して、その後は臨時休業として、店を閉め、フリーダさんのお店に向かった。

 ちなみにティアラとは、時間が合わなかったし、女性の方が時間がかかるからと、先に行っている。


 お店の場所自体は知っている。貴族区の、大通りに面した一等地にある、凄まじくお洒落な建物だ。恐らく、一生縁がないと思っていたのだが、人生何があるか本当にわからないものだ。


 数十分歩いて、ようやく、店の前にたどり着いた。こういう時は、馬車に乗ればいいらしいのだが、ティアラに「絶対にナギはぼったくられるから、乗らないこと!」ときつく言い含められているので乗れないのだ。


 色とりどりの、もはや芸術品といった服装を着たマネキンが並ぶ、ショーウィンドウの前で、どうしたもんかと、立ち止まる。


「入りにくい…」


 入って行く人たちは、先ほどから、優雅な貴婦人ばかりだし、僕は、エプロンを脱いだだけの制服だしで、肩身が狭い。

 店の前で、キョロキョロと行き来する僕は、どこからどう見ても不審者だったので、覚悟を決めて、ガラス戸を開け、店内に入る。

 中は、適度な空間を開けて、服が置かれており、僕のオシャレ経験値では、言葉にならなかった。

 とりあえず、輝かしく、素人目から見ても素晴らしいというくらいしかわからない。


「あの、すいません」


「どうされました?」


 店に来いとしか言われていなかったので、困り果てて、店員さんに話しかける。その店員さんも、オシャレで参ってしまうが。


「フリーダさんに呼ばれて来てるんですけど」


「失礼ですが、ナギ様でよろしいですか?」


「あ、はい。そうです」


「ただいま、デザイナーは、お連れ様のコーディーネートを行なっているので、裏で少々お待ちください」


 そう言って、店員さんに連れられて、控え室のような場所に通される。案内されている最中、周囲から「デザイナーに呼ばれてるとは、何者だ…?」「フリーダ様に呼ばれてるなんて羨ましい!」なんて、声が、かすかに聞こえたけれど、すいません。ただの一般人です。


「ナギちゃん、お待たせえ」


 少しの間、椅子に座って待ちぼうけていると、フリーダさんが満面の笑みを浮かべてやってきた。


「ごめんね、ティアラちゃんが、可愛すぎてあれこれ、模索してたら、遅くなっちゃった。さ、ナギちゃんのも始めるわねえ」


 フリーダさんは、側に控えていた店員さんに、何か指示すると、僕に立つように命じる。彼女に、ペタペタと、何やら腰回りだとか、足の長さだとかを測られていると、店員さんが、ラックのようなものに、大量の服を掛けて持ってきた。


「ナギちゃん、スタイルいいから、なんでも似合いそうねえ。腕が鳴るわあ」


「…お願いします」


 僕は、その目に見覚えがあった。こっちの世界ではなく向こうで先生の買い物に付き合わされた時と、同じ目だった。僕は、長くなることを察して顔を引き攣らせるのだった。


 パーティーに出られる礼服のようなものでも、こんなにパターンがあるのかと戦慄しているうちに、あれよあれよという間に僕の服装が決定した。


 黒の品と光沢のあるタキシードに、ベスト、同色の蝶ネクタイ。中に着ているとてつもなく肌触りのいいシャツには、ボタン沿いに、さりげないフリルが施されていて、どこか遊び心があるように見える。ボタンにも、精巧なデザインが刻まれていて、凄まじいものだなと思う。

 スラックスと靴は、ピアノが弾きやすいようにと、動きやすさを考慮しながらも、全体が纏まっているように見えるようになっている。


 そして、せっかくだからということで今の僕は、髪型も随分と変えられている。いつもは、下ろしっぱなしの髪型が、真ん中で分けるように上げられて、艶のある整髪料のおかげで、どことなく大人っぽく見える。


「すごくいいわよお、ナギちゃんはやっぱり、磨けば光ると思ってたのよお」


「僕じゃないみたいで、ちょっと落ち着かないですけど…」


 どこか、気恥ずかしさを覚えて、頬を掻く。店員さんも、続いて「とてもお似合いですよ」なんて言ってくれるから、なおさらだ。


「ティアラちゃんを、待たせてるから、行きましょうか」


 そう言われて、少し早足で、ティアラの待つ場所へと移動する。革靴の奏でる、カツカツという硬質な音が、どこか、僕の意識を引き締めるようだった。


「ティアラちゃん、開けるわよお」


 フリーダさんが、ノックし、扉を開ける。そして、中の光景を見て、僕は、ただ息を飲むことしか出来なかった。


 そこにいたのは、確かに、ティアラだった。でも、いつも見慣れた、女の子ではなかった。いつもは結われている、綺麗な紺色の髪は下ろされていて、何か香油でもつけたのか、艶やかだ。その一部がいつものリボンを使って、精巧に編まれていて、美しさの中に、どこか可愛らしさが混在していた。

 着ているドレスは、髪の色に合わせた、深い青色で、控えめなスリットから覗く健康的な脚が、柄にもなく僕をドキドキさせた。

 派手になりすぎないように、控えめな装飾品が、ティアラを彩っていて、どこかの令嬢と言われても、信じてしまいそうなほど、美しく気品がある。


「………」


「ナギちゃん、女の子が着飾ってるんだから、言うことがあると思うわあ」


 黙りこくる僕を見かねて、フリーダさんが小声で、そんな助け舟をくれる。そこでようやく、ティアラがこちらを、ジトっと見ていることに気づいた。


「…なによ、似合ってないの?」


 少し、不安そうに瞳を揺らして、ティアラが僕に尋ねる。慌てて、言葉を紡ごうとして、似合ってるだとか、すごく良いよ、とか、そんな無難な言葉が、頭に浮かんで、どれを選ぼうか迷っている内に、ぽろっと、僕の口から溢れでたのは、


「綺麗だ」


 そんな言葉だった。言霊が、放たれた一瞬、部屋が静まり返った。


「な、なな…何を!言ってるのよ!」


 そんな静寂を、打ち破ったのは、焦ったように大声で立ち上がったティアラだった。


「ナギちゃん、やるわねえ」


 ティアラが目を回している光景と、そんなからかい混じりの言葉で、ようやく自分が何を口走ったのかに気づいて、思わず口をふさぐ。


「ど、どこで覚えてきたのよ、そんな言葉」


「い、いや、つい」


 そんな、お互いに顔を見られない中でのやりとりがあって。僕らは時間がないことに気づいて、フリーダさんが手配してくれた馬車に乗り、三人で学院に向かった。


「でも、ナギちゃんが、思わず言っちゃうのもわかるわあ。すごく綺麗だもの、ティアラちゃん」


「掘り返さないでください…」


 僕らが何度か、顔を真っ赤にすることを経て、馬車は学院にたどり着いた。扉側に座っていた、フリーダさんが降り、そして、僕とティアラが立ち上がろうとした時、ティアラがよろめいた。


「きゃっ」


「大丈夫?」


 咄嗟に、ティアラの軽い体を支える。香水をつけているのか、爽やかでいて、甘い香りが鼻腔をくすぐって、なんだか恥ずかしかった。


「慣れないヒールを履いてるから、ちょっとバランス崩しちゃった。もう大丈夫」


 ティアラは、そう言うが、馬車から降りる足元はおぼつかない。それを眺める僕の背中を、フリーダさんが、ポンと叩く。


「生徒をエスコートするのは、先生の役目よお」


 その言葉の意味を察して、少しためらったけれど、どうせ、一度は恥ずかしい思いをしたのだ。恥の上塗りの一度や二度、変わらないかと、深呼吸すると、ティアラに、おずおずと手を差し出した。


「行こうか、ティアラ」


 ティアラは、僕の差し出した手に、目を瞬かせると、少し頬を赤くして「転ぶといけないしね」と手を取った。


 パーティーに登壇する前に、心臓がすでにバクバクで、こんなんで大丈夫だろうかと、苦笑する。

 フリーダさんにお礼を言って別れ、ティアラのに道案内されながら、パーティー会場へ向かう最中、隣から、わざとらしい咳払いが聞こえる。

 何かと思って、ティアラの方に目をやると、何度か言葉を詰まらせながら、途切れ途切れの声で、彼女はこう言った。


「その、い、言い忘れたけど。ナギも、新鮮で、良いわ。か、格好いいと思う」


 パーティーの雰囲気に当てられたのだろうか。僕は、それに微笑み「ありがとう」と返すと、手を力強く握り返した。

 もちろん、ティアラの瞳に映る僕は、熟れたリンゴ見たいだろうけど。彼女の隣に並び立てるとは言わないまでも、見劣りしないのなら、よかった。


 本番はここからだけど、きっと今日はいい日になるに違いないと、そう思った。


 パーティーが始める。

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