第23話 パーティー

「えー、皆さん。飲み物は行き渡りましたでしょうか」


 時刻は、店の営業が終わった、浅い夜の頃。閉店後だというのに、今日の喫茶店は騒がしく、人で溢れている。


 それはなぜかというと…


「それでは、飲み物を掲げて。ナギちゃん、音頭お願いできるかしらあ」


 僕はその言葉に頷き、咳払いを一つすると、とびっきりの笑顔で声を張り上げる。


「ティアラの、予選突破を祝して!乾杯!」


「「「「乾杯!」」」」


 ティアラを祝うパーティーの最中だからだ。


 なぜこんなことになったかという説明をするには、少し時間を戻す必要がある。


********************************************



「そわそわしてるわねぇ、ナギちゃん」


「そりゃ、そわそわもしますよ」


 ティアラの選考会当日の夕方、僕はいつも通りカウンターの内側に立ち、ちらほらと来店するお客さんの対応をしながらも、隙があると、視線が時計に吸い寄せられている有様だった。

 僕のその様子を見て、偶然遅めのおやつを食べに店に来てくれていたフリーダさんが、からかいを含んだ顔で笑う。


 ティアラの話では、予選が終わると、その場で通過者が発表されるとのことだった。そろそろ日が傾き始めている。朝から行われている選考会が終わってもおかしくない頃合いだ。


 時計の針を眺めながら、ドアベルが今にでも鳴るのではないかと、耳が過敏になってしまっている。奥の席のお客さんがグラスを置いた音にですら反応してしまう有様だ。


「ナギちゃんがそわそわしてどうするのお?信じてるんでしょ?」


「そりゃ、信じてますよ。でも、それとこれとは別で…」


 僕がどこか情けないそんな会話をしていた時のことだ、木製のドアが勢いよく開けられると、ドアベルがけたたましく来客を告げる。


 そして、そんな慌ただしさと共に店に飛び込んで来たのは、


「ティアラ!」


 僕が今か今かと待ち続けていた、正念場を終えた、生徒兼従業員だ。随分と急いで街を駆けてきたのか、肩で息をし、膝に手をついて息を整えている彼女の表情は伺えない。

 僕は、期待と不安が入り混じった気持ちで、彼女の息が整うのを待つ。


 しばらくして、呼吸音が一定に戻り、ティアラがゆっくりと顔を上げる。僕と、なんだ、なんだと、こちらを覗き見ていた、お客さんたちが固唾を飲んでそれを見守る。


 ティアラの柔らかな髪が揺れて、髪が隠していたティアラの表情が明らかになる。そしてそこに浮かんでいたのは。


ーーー満面の笑顔だった。


 ティアラが大きくサムズアップしたのと、僕がカウンターから走り出して、彼女の元に向かったのは、ほぼ同時だったと思う。


「ティアラ!!!」


「ナギ。私、やってやったわ!!!」


 僕とティアラが、ハイタッチを交わした瞬間、大きく店が湧き上がる。このひと月、事情を知って、見守ってくれていた、フリーダさんを含む、常連さん達からは、温かい拍手を。

 何も分からないが、とりあえず騒げる気配と、お祝いの気配を嗅ぎつけた、一見さん達からは「なんだか分からんがおめでとう!」という言葉を。


 最高にあったかい世界だな!ここは!


 騒ぎが少し落ち着いて、僕はティアラに頼まれたマーマレードコーヒーを淹れている。ティアラは、フリーダさんと何やら睦まじくお喋りをしている。最初に会った時は、ティアラがフリーダさんに気後れしていたように見えたのだが、今ではこの二人、とても仲が良い。まだティアラには、フリーダさんに対する憧れはあるようだけれど、過剰な遠慮はしない。そんなティアラをフリーダさんはとても気に入ったようだ。


「はい、お待たせ。マーマレードコーヒー。改めて、ティアラ。おめでとう。本当にこのひと月、よく頑張ったよ」


「ありがとう。でも、ナギのおかげよ?」


 「本当にね」と、ティアラがコーヒーに息を吹きかけながら小さく呟く。そんなことはない、君が努力した結果なのだから。僕はそれに微力を添えただけだ。

 でも、そんなことを言うと、またお互いの譲らない譲り合いが始まるだけなので「ちょうど半分ずつだよ」と返す。


 僕のそんな言葉に、ティアラはいつもより少し甘くて爽やかなはずのコーヒーを啜って、微笑みながら何も言わない。


 そんな心地よい沈黙を破ったのは、フリーダさんだった。


「ティアラちゃん、せっかくだし、お祝いしない?」


「えっ」


 隣に座るティアラに、しなだれかかり、フリーダさんはお祝いをしようと言い出した。ティアラは、憧れの人にしなだれかかられた衝撃からだろうか、ちょっと困り顔で、素っ頓狂な声を出す。


「いや、お祝いって、さっきおめでとうって言ってもらいましたし、十分です」


「いや、でも、ここによく来る人達って、このひと月、結構ティアラちゃんを見守ってた人多いから、お祝いしたいと思うわあ」


 確かに、常連さん達はこのひと月、随分とティアラを応援しつつ心配してくれていた。そんな人達には、今日が本番の日だと伝えはしたが、なにぶん忙しい人も多いので、今日この場にいない人がほとんどだ。


 なんだか、ティアラに対して過保護な人が多かったから、今頃気を揉んでくれている人も多いと思う。


「いや、でも、結構温かい言葉とかかけてもらったから、むしろお礼をしなきゃいけないくらいで...」


「それだ」


「え?」


「常連さん達を招いて、パーティーをしよう」


「ええ!?」


「常連さん達は、ティアラを祝いたい。僕達はお礼を言いたい。それなら一堂に会して食事でもしたら、ちょうどいいと思うんだ」


「さすが、ナギちゃんねえ、話がわかるわあ」


僕にとっても、ちょうどいい機会だ。少しずつ、この世界を認めていくために、僕を、お店を支えてくれた人に、深く関わっていくと決めたばかりだから。


「という訳で、開催は一週間後くらいでいいかな?その位までに店に来た常連さんに誘いをかけておくよ」


「はぁ...あんまり大事にしたくないんだけど、祝ってくれるっていうのを袖にするのもなんだか気が引けるし...」


 彼女は、額に手を当てると諦めたようにため息を吐く。なんだかこの頃、彼女はため息が板についてきた気がするのは気のせいだろうか?


「せっかくするなら、派手にやろう。美味しい料理をたくさん作るよ」


「…それは、楽しみにしてるわ」


 僕が、美味しい料理を作ると言ったことで、ティアラも少しは乗り気になってくれたのか、少し表情が緩む。

 見かけによらず食いしん坊な、彼女のために僕も存分に腕を振るうとしよう。決して、口にはしないけれど。


********************************************



 そして、件のティアラの予選突破を祝うパーティーは、僕の店の定休日である土曜日に行われる事になった。

 常連さんに声をかけ終わり、たくさんの色好い返事をもらった僕は、パーティー当日の早朝から、料理とデザートの仕込みに大忙しだった。


「よし、ケーキはあとはスポンジを時間まで寝かせて…クリームと果物の盛り付けをすればいいね」


 やっぱり、お祝いと言えば、真っ白い中に果物の彩りが眩しいケーキだ。そんな、日本人特有の気質から、僕はあくせくケーキを焼いている。


 それもひと段落して、あとは皆が集まり始める少し前に、ケーキも料理も仕上げてしまえばいい。

 飲み物も、うちは喫茶店だからお酒は出せないけれど、コーヒーと紅茶と果実水をこれでもかというほど冷やしておいている。


 準備に抜かりはない。これであとは…


「飾り付けとか、かな」


 僕は、いつも通りの、遂に見慣れたと言い切ってしまえるほど、視界に馴染んだ店内を見渡す。

 パーティーをするなら、横断幕と装飾の一つでもと思うのだが、残念ながら僕はこの世界の文字が書けないし、装飾は…どうだろう。隣の小物屋に行けば何とかなるのだろうか。


 そんな時だ。


「なに、ぼーっとしてるのよ」


 ドアベルが鳴って、本日の主役が、すっかり秋めいた外気から逃げるように店内に滑り込んで来た。


「早いね。時間、まだまだだよ?」


「なんか、気恥ずかしくって。そわそわしちゃったから、来ちゃった」


 気持ちも分からないではない。僕もきっと、たくさんの人に祝われるなんて事になったら落ち着かないだろうし。


「全く、もし僕らがサプライズとか計画してたら台無しだったよ」


「パーティーまでの時間、ナギと一番過ごしたの誰だと思ってるの?そんな気配あれば気づくわよ」


「それに、ナギは隠し事下手そうだしね」とティアラは笑う。その通りだけれど。


「それで?まだ何かやることあるの?手伝うわよ?」


「まさか、主役に手伝わせるなんてとんでもない。それに、大抵のことは終わって、休憩してたところだったんだ。まだ時間があることだし、コーヒーを淹れるよ」


 まさか、当人に「ティアラおめでとう」なんて横断幕を書かせるわけにもいかない。


 僕は、ティアラに席に座るよう促すと、ミルで豆を挽き始める。コリコリ、コリコリと小気味いい音だけが支配する店内で、僕らは二人とも何か語ることもなく、虚空を見ていた。


 挽き終わった豆を、ペーパーにセットし、慎重にお湯を注ぐ。ゆっくり、ゆっくり。そうしたら、香ばしくて、柔らかな匂いが充満していく。

 いつも通りの匂い、いつも通りの風景。そして、僕の一番近くにいる人間も、何一つ変わらないのに、僕はそれら一つ一つを噛み締めるように、お湯を注いだ。パーティーなんて、慣れないものを言い出したから、ちょっと浮かれているのかもしれない。


 コーヒーカップに出来立てのコーヒーを注いで、ティアラの前に置く。ゆっくりとそれを口に含んだティアラは、たった一言、


「美味しいわね、いつも通り」


 とだけ言った。それを最後に、また会話が途切れた。飾り付けがどうとか、横断幕がどうとか、そんなこと、どうでも良くなっていた。

 ただ、いつも通りの風景の中、少し美味しい料理とケーキで、この子の頑張りを心の底から祝えたらと、今更そんなことを思った。


 そして、ティアラがぼんやりとコーヒーを飲んでいる中、僕は料理とケーキの仕上げに入った。

 そうしていると、ちらほらと招待した常連さんたちがやってきた。


 ニコニコ顔のフリーダさん。そして、料理を今か今かと、騒いでいる、ララ、リリ、ルルの三つ子姉妹。

 秘書を連れてにこやかに、いつも通り紳士然とした姿でやってきたウォルツさん。そんな、ウォルツさんを見て、ティアラがギョッとした顔をしていたが何だったのだろうか。


 他にも、僕のお店の仕入れ先『ハイドアウト』から、ドロシーさんがコーエンさんと一緒に来てくれたり、お隣の小物屋さんの老夫婦が、ご近所さんを伴って来てくれたり。探索者のエルドさんも、いつもの厳しい防具姿ではなく、おしゃれをして来てくれていて、少し恥ずかしそうだ。


 あれから、ちょくちょくお店に来てくれるようになっていた、相談屋さんも来てくれた。ついでに、誘ってないのに店で話を聞いて参加すると言って聞かなかった、クルトなんかも来ている。美人ばっかりだけど大丈夫なんだろうか。


 そして、招待客が全員揃ったのを確認したところで、冒頭の乾杯だ。今は、乾杯から少し時間が経って、皆んなが好きなように飲み食いしているのを、僕はカウンターの定位置から眺めている。


 ティアラが、ここぞとばかりに三つ子に抱きついて、恍惚とした表情をしている。それを、フリーダさんが微笑ましそうにしながら、ココアをゆっくり飲んでいる。ウォルツさんが、秘書さんと大人の余裕を漂わせながらグラスを合わせて、再度小さく乾杯している。中身はコーヒーだけれど。


 ドロシーさんとコーエンさんが、老夫婦たちに「これ、うちの食材を使ってくれてるんです」なんて話しながら、美味しそうに料理を食べてくれている。

 エルドさんとクルトは、相談屋さんと何か真剣な顔をして話し込んでいる。何か相談でもしているのかもしれない。というか、クルトは、相談屋さんとは話せるのか。もしかしたら、性別を勘違いしているのかもしれない。


 手に持つものを変え、組み合わせを変えて、輪は広がっていく。美味しい料理と飲み物は、やはり人の心根を繋ぐね。


 ああ、ララが僕を呼んでいる。僕も、輪の中に戻ろうかな。


 そんな風に、楽しい時間は過ぎていく。終わっていく。


********************************************


 パーティーが終わり、幸せそうな顔をした、ティアラ以外の皆を見送った僕は、火が消えたように静かな店内で苦笑していた。


 楽しい時間だったけれど、僕は今から明日の営業に備えて片付けをしなければならない。まあ、そのくらい今日の楽しい思い出を思い返しながらやればすぐだ。


「皆、帰っちゃったわね」


「そうだね」


 宴の跡地でで僕らは、少し寂しさを感じながら、そんな言葉を交わす。


「でも、すごい良かったわよね」


「そうだね、凄く」


 何が、とかそんな言葉はなくてもきっと通じ合っていた。風景が、表情が、時間が、きっと全部がだ。


「ねえ、私きっと、もう一度こんな光景を作ってみせるわ。本戦も勝ち抜いて、もう一度」


「それは、いいね。きっと、最高の未来だ」


「ね、この夢の跡地の記憶が、私は一人じゃないって教えてくれるもの。きっと、出来るわ」


 僕は最後にもう一度、店内を見渡してから、片付けを始めようと立ち上がる。そんな時に、ティアラが僕の袖を掴んで、


「ねえ、ナギ。ピアノ弾いてよ」


 なんて言った。気分が高揚していたのかもしれない。何か、この想いを音に乗せられると思ったのかもしれない。

 僕は一つ苦笑をすると、店奥のアップライトピアノの蓋を開いて、鍵盤に手を置く。ティアラは、僕の後ろに立って、僕を見つめている。


「いつもと逆ね。なんか新鮮」


 言われてみれば、この立ち位置は、いつも僕がティアラにレッスンをしている時とまるっきり逆だ。

 「確かに、変な感じだ」と言うと、僕はゆっくりと鍵盤に力を込める。


 ポロポロと、音が生まれ落ちては消えていく。そんな中に混じって溶けるみたいにティアラと、小さな声で語り合う。


「ね、それなんて曲?」


「さあ、今適当に生まれたの」


「やっぱり、ナギは凄いわね」


「すぐに、ティアラも出来るようになるよ」


「ほんと?」


「ほんと」


「ねえ、ナギ。絶対にもう一度、こんな時間を作りましょうね」


「ん、頑張ろう」


「うん。ね、もう一曲だけ」


 小さな、二人だけの演奏会。パーティーの予熱みたいな、月明かりの中で。きっと、もう一度あんな幸せを見るんだと、そんなことを思って、鍵盤を叩いた。


 そうやって、幸せな夜は更けていった。


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 なんだか、昨日随分と応援してくれた方がいたらしく、ランキング通知が来たので嬉しくて、12時から19時まで1時間おきに更新します(1345位だけど)昨日応援してくれた方だけでなく、読んでくれた人全員に特別な感謝を。ちょうど、今話のタイトルもぴったりだと思います。偶然だけど!

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