第12話 ご褒美とガーリックライス

 とある、閉店後のことである。


「あーーーー疲れたあああ!!!」


 僕は、背もたれを軋ませるように伸びをし、ここ一週間の疲れを少しでも発散させようとしていた。

 僕の喫茶店は、週に一度休みを取っている。たまに卵の時のようなイレギュラーで午前休になることもあるが、基本的には毎週土曜日が定休日だ。

 この世界でも元の世界と変わらず、土、日が基本的に休日扱いなのだが、僕のお店はティアラのおかげもあり、学院の子が下校ついでに寄ってくれることも多いので、平日より土曜日が一番お客さんが少なく、少しお店が安定してきた頃に休むなら土曜日だと決めて以来、土曜日は定休日である。


 そして今は金曜日の営業終了後。ティアラへのレッスンも終わり、明日は休日なので、開放感に溢れている。


「まずは、自分の晩御飯作ろうかな。せっかくだし、少し豪華にしちゃおうかな」


 浮き足立つ心とともに、冷蔵庫の前へ向かう。今日は少しがっつり食べたい気分だ。

 何があったかなと、冷蔵庫を開き、中を探っていくと、いいものを見つけた。


「そうだ、これがあった」


 僕が取り出したのは、僕の手に収まるくらいの牛肉の塊だ。数日前に常連さんから、おすそ分けでもらったものだった。

 さて、メインの食材は決まった。あとは、付け合わせと、どうやって調理するかを冷蔵庫を引き続き散策しながら考える。

 

「ん?」


 そうやって、あれでもないこれでもないと、探している僕の目に、とある二つの食材が映った時に、僕の頭に凄まじく暴力的に訴えかけてくるものが浮かんだ。


「いや、でも…」


 ワナワナと震える手が、自制する理性に構わず、その食材をいつの間にか掴んでいた。

 くっ、思いついてしまったからには、もう別の料理なんて考えられない!


 そうと決まれば、空腹を訴える体に従って、さっさと料理に取り掛かることにした。

 冷蔵庫から必要な食材を取り出し、まな板の上で早速食材の準備をしようとした時だった。からんからんと、聞きなれたドアベルの音が鳴る。反射的に「すいません、もう営業してなくて」と返そうと、扉の方を見ると、


「あれ?ティアラ?」


 そこにいたのは、つい先ほど帰路についたはずのティアラだった。


「ごめん、忘れ物。楽譜忘れちゃったみたいで」


 確かによくよく見てみると、ピアノの上に数枚の紙が残されていた。夕飯のことで頭がいっぱいで、店内の確認を後回しにしてたから気づかなかった。

 ティアラは、楽譜をファイルに挟み、カバンにしまうと、じっと僕の手元あたりを見つめたかと思うと、尋ねてくる。


「何してるの?」


「何してるのって、晩御飯作ろうと思って」


 僕が何のひねりもない普通の答えを返すと、店内にキュルルという細くかわいい音が響いた。


「………」


「…えっと」


 それはまちがいなくお腹の音で、ティアラは恥ずかしそうに顔を両手で覆って、うつむいている。

 僕もここで「お腹鳴ったよ?」なんて言うほどデリカシーに欠けているわけではないので、何とか平静を装い、


「せっかくだし、ティアラも食べていく?夕飯まだでしょ?今日はちょっと豪華にするつもりだったんだ」


 と言った。ティアラは、少し迷った様子を見せながらも、頷いたのだった。まだ顔は覆われたままだけど。


「それで?何作るつもりなの?」


 僕が食材の下ごしらえを大方終えた頃には、ティアラを襲った羞恥も去ってしまったようで、彼女はどこか楽しみな様子で僕に今日のメニューを問うてくる。


「今日はね、ちょっと特別な焼肉を作ろうと思う」


 僕はそういうと、フライパンに牛脂を満遍なく敷くと、そこにスライスしたニンニクを放り込んだ。

 ニンニク特有のいい匂いが広がり、ティアラもワクワクした顔でフライパンを見つめている。ちなみにティアラは焼肉と僕が言った瞬間から、顔から幸福感が滲んでいた。細っこいのに実はティアラはよく食べる子なのだ。本人には言わないけど。


 ニンニクがきつね色になるくらい火が通ったら、あらかじめ焼肉サイズにカットしておいたお肉を、フライパンで焼いていく。

 一枚一枚焼きすぎないように、慎重に焼き加減に気を配り、二人分焼き終えると、大皿に一旦肉を移す。


「さて、こっからだ」


「これで完成じゃないの?」


「最初に言ったでしょ、特別な焼肉にするって」


 この子多分、焼肉ってワードで忘れてたなと思いながらも、本人には言わない。絶対後で足踏まれるもの。


 僕は肉を焼いた後のフライパンに、追加で二、三片、ニンニクのスライスを加える。

 再びそれが色づいたら、僕は秘密兵器を取り出し、フライパンに一思いに投下した。


「ナギ…正気かしら?」


「もちろん僕にもある程度、罪悪感はあるよ。でも、食べたいんだから仕方ないじゃないか!」


 僕がフライパンに投下したものは、大きめのバターの塊だった。僕は冷蔵庫にある、ニンニクとバターを見た時に思いついてしまったのだ。ガーリックライス作ろうと。

 お肉を焼いた後の肉汁に、たっぷりのニンニクとバター。これほど暴力的な魅力に抗える人などそうそういないだろう。


 ティアラも最初は、女の子なら気にするであろうその光景に声を上げていたが、バターとニンニクが合わさった匂いを感じた瞬間、声をなくしていた。僕がそこに醤油をひと回ししたら、もうイチコロだ。


 抵抗する人が場にいなくなったので、すっかり溶けたバターの洪水の中に、大量の白ご飯をぶち込む。その時にあらかじめ用意しておいた、刻んだニンニクも忘れずに。

 その香しい匂いに意識を散らしている場合ではない。僕はひとしきりフライパンの中を混ぜ終えると、一気に火力を上げて、お米をフライパンに押し付けおこげを作る。ジュワッという、他の何ものにも例え難い、心地よい音とともに、主たる調理は完成だ。


 僕はとりあえずどんぶり型の器に、一人分のガーリックライスをよそうと、その上にお肉を盛り付け、刻みネギをこれでもかというくらいかけた。


「よし、これで本当に出来上がり。僕自慢のガーリックライス丼」


 ホカホカと湯気を立てる、完成されたガーリックライス丼に、ティアラの目は釘付けだ。

 しかし、ティアラはハッとした様子で表情を引き締めると、上ずった声で、最後の抵抗をしてくる。


「そんなニンニクたっぷりのもの食べたら、明日一日外出れないじゃない!」


「ティアラも明日から学院休みでしょ?」


「うっ、そうだけど!そうじゃなくて!そんなバターたっぷりのもの食べたら、その…ふ、太るし…」


「むしろティアラはちょっと太った方がいいくらいだよ」


 ティアラは、学院内の寮生活なので、いつも栄養バランスとかが完璧な食事をしているからなのだろうか。こっちが心配になる程細い。

 たまに、うちで食事をしていくので、よく食べるのは知っているのだが、それらは本当にどこに消えているのかというくらいだ。


「なっ!そ、それはありがとうだけど!なんか罪悪感すごいし!」


 あがき続けるティアラに僕は、口の端を上げて言う。


「ほう。なら、ティアラだけ、普通の白ご飯の丼でもいいわけだ?」


 僕がそう言うと、ティアラの顔が絶望の色に染まる。そうだよな、この匂いを嗅いで、目の前でそれを食べられているのに、自分だけ違うものを食べるなんてできないよなあ!ククク、後一押しだ!

 僕は、目をつむり、一つ息を吸い込むと、トドメとなる言葉を吐き出すことにした。


「ティアラ」


「な、何よ」


「罪悪感?それがどうした!それが最高のスパイスになってより美味しくなるんだよ!」


 僕がかつてないテンションの高さで、そう言うと、ティアラは全てを諦めたような顔で叫んだ。


「食べる!食べるわよ!もう明日からのことなんて知ったことじゃないわ!」


 完全勝利だと、僕はほくそ笑んだけれど、ふと、妙なテンションから立ち直って、こう思った。

 僕は何と戦ってたんだ?


*****************************************


 二人で食べるために、奥のテーブル席に移動して、お互いが正面に来るような形で座る。


「じゃあ、いただきます!」


「いただきます!」


 古来からのその合図とともに、僕たちは、丼の中身を一気にかき込む。


「んーーーー」


 口の中に入れた瞬間、ガツンとしたニンニクの香りと、濃厚なバターの味、そして柔らかい肉の溢れる肉汁が一体になって、旨味に溺れそうだ。

 刻みネギがいい役割をしている。バターのしつこさを消してくれて、何杯でもいけそうだ。


 丼が半分ほど空になったところの、文字通り箸休めの時間に、ふと前を向いて、思った。

 そういえば、こうして誰かと一緒に食事を取るのは久しぶりだなと。


 いつも、僕はもっぱら正面にいる人の食事を提供して見守る専門だ。同じ食卓に腰掛けることは、ずっとなかった。それこそ、この世界に来てから一度も。


『あ…よく考えたら元の世界にいた時も、最後がいつか思い出せないくらいには稀だったな』


 よく考えれば、別にこの世界に来てからではなかったのだが、とりあえず、人と食事をともにするのは久しぶりだ。

 不思議な感覚だった。どこともわからない迷い込んだ場所で、可愛い女の子とガーリックライスなんていうものを食べている。そんなことを思うと、不意に笑いがこみ上げて来た。


 そんな僕を、ガーリックライスに夢中だったティアラが訝しそうに箸を止めて見ている。


「何よ急に」


 僕は、そんなだらしない笑い顔のまま、ティアラを見て言った。


「誰かとご飯を食べるっていいもんだね」


「…そうね」


 ティアラは、微笑んで、たった一言だけ賛同の言葉をくれた。そのあとは、再び僕らはガーリックライスに誘惑されて、テーブルには沈黙が降りた。

 でも、心地よい沈黙だった。言葉がなくても、何かが共有できている、そんな沈黙だった。美味しいとか、幸せとか、きっと、そういうの。


 僕は心地よい沈黙の下りる食卓を、この迷い込んだ土地で、初めて知ったのだった。


 お互いの丼が空になった時、僕たちはお腹をさすりながら、ポツリポツリと、くだらないことを話した。でも、なんとなく異世界に来てから、僕にとって、一番大事な時間だった気がする。


「ナギって、いつもこんな食事してるの?」


「まさか、客商売だから次の日が休みじゃないと、匂いの残るものはちょっとね」


「安心したわ。でも、もう少し食べた方がいいわよ。男なのに細っこくて心配になるくらい」


「そのまま返すよ。あと、ご飯粒ついてる」


「もっと早く言いなさい!」


 穏やかな時間が過ぎていく。まあ、いいよね。明日は休みだし、たまには。


「ねえ、ナギ」


「何?」


「…お代わり」


「たまには、いいよね。一週間頑張ったんだもの」


 どうやら、穏やかな時間は一旦中断して、フライパンを手にしなきゃいけないらしい。

 まあ、いい。たまには福利厚生、従業員サービスをしないと。


 その日から、休日の前には閉店後の喫茶店から、いい匂いと、和やかな会話が漏れることが多くなったそうだ。


*****************************************


 昨日同じもの作ってて思いつきました。非常に美味しかった。ただ、罪悪感がすごい。

 明日は、三つ子姉妹とティアラ初めての邂逅の巻。


 

 



 

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